第4話 シンデレラ・グレイマンという少女、或いは主人公


 街中に、風が抜ける。

 金色の髪が靡く。

 それでも、咎めるような少女の金の双眸は揺らがない。一直線に。射抜くように。


 耳の奥で、遠雷のように銃声が鳴る――リフレイン。


 スーパースターに向けられるカメラのフラッシュめいて突発的に訪れる記憶の濁流。

 今やあの戦場の向こうに薄れて遠く隔たってしまった記憶の中でも、印象としては覚えている。

 かつての自分が目の前の彼女を知ったのは、原作ではなくそれを元にした映像版だったろうか。

 全ての攻略対象の好感度を高く保つか、それとも誰とも特別な関係性を持たないか――そんな果てに彼女が行き着く一つの未来を、改めて映像として描いた作品だった。


 女性向け恋愛シュミレーションゲームとして売り出された異色のSFミリタリーロボット作品『アーセナル・コマンド 〜愛・戦士〜』。

 その売上を利用して作られた制作陣の趣味に溢れる高難易度ハイスピードロボットアクションゲーム『アーセナル・コマンド 〜胸の鼓動は愛〜』。

 本来の客層と狙った客層のどちらにも届かず、コアな人気を博すだけだったそれが――……アニメ化されると一変、戦場という非日常で傷付いた男たちやその人間ドラマにより人気を博すことになった。

 あの戦争から三年後。

 その正当なる続編が『アーセナル・コマンド・ネクスト 〜殴り愛・宇宙そら〜』だった。


 彼女は、その主人公だ。

 冷静そうな顔と声の内側の頑固さと繊細さ。静謐ながら隠しきれない不安感と激情が呼ぶ刺々しさ。

 家庭から見捨てられて行き場を求めていた少女。

 そして戦場の狂気に飲み込まれ、摩耗していった少女。

 それが、シンデレラ・グレイマンという少女だった。


「助けてくれたことには感謝します。……でも、あんなやり方しかなかったんですか? あんなふうに、人を殺す道具を向けて……軍人って、皆そうなんですか?」


 黒と青を基調にしたブレザーに身を包んだ彼女の口を尖らせるような物言いに――不意に、何とも言えぬ気持ちが訪れる。

 どう答えたものか、測りかねていた。

 測りかねているのだ。この自分が。

 彼女の声を皮切りに溢れ出した感傷と郷愁――……〈頼むよ、グリム。〉〈ね、この子の性格凄いと思わない? ■■くんはどう思う?〉〈グリム。お前、笑いすぎだ〉――それが、口を噤ませた。


 神経が剥き出しにされたように肌が粟立つ。

 遠く――〈兵士が何も考えないってのは嘘さ。こんなにも〉〈最初はなんだこの主人公って思ったよ? でも、続けてたら……この子が幸せになれたらなあって〉〈流石だな、グリム・リーパー〉――だが頭蓋に響く声。

 跳ね散る火花めいて追想の音が襲いかかる。

 かつて死ぬ前の前世の自分の記憶と、こちらの戦場での自分の記憶――それらが散発的かつ閃光的に脳裏に瞬いて、寒気すら感じさせた。


 ……聞いたことがある。混線だ。

 戦場という高ストレス下に置かれた際の感情の抑圧の影響。正常な精神の防衛反応。それ自体は。

 しかしながらその防衛反応の傾向として……。

 特定のストレスの記憶に関する感情のみならず、しばらくその周辺一体の情動、あるいは情動そのものが堰き止められてしまう。

 それが何かのきっかけで噴出し、蓄積したその分だけ、抑圧したその分だけ、より強く反動的な奔流となって襲いかかるのだ。


 死する以前の遠いかつてを思い出させるという行為が、同じく――――前の戦争の追憶まで引き出したのか。

 或いは、どちらにも死が絡む。

 実際に死んだことと、死ぬほどの目に遭ったこと。

 脳は精密機器だが、繊細なる精密機器故に大雑把な面もある。相似した関係の感情を、同じ箱に詰め込んだのか。


「……どうしたんですか、そんな顔をして」


 シンデレラ・グレイマンが怪訝そうにこちらを見上げてくる。

 ……まさか、自分の身にこんなことが起こるとは。

 強烈なパニックにはならない。

 深呼吸をする。制御は、行える。切り替えはできる。だが瞬間的にとはいかず、まとまりが悪くなった頭を引きずって無理矢理に答えを捻り出す――


「……そう、だな。すまない。眼の前でいきなり銃を抜かれて、いい気がするはずがない。……本当にすまないことをした」


 なんとか自分が漏らせたのは、そんな、意味も価値もない苦しいだけの謝罪の言葉だった。

 彼女はきょとんとしてから、何故だか逆に何かに咎められてしまったかのように目を僅かに見開く。

 それから、やや声のトーンを落としながら呟くように口を開いた。


「……別に、謝ってくれって言っているわけじゃないんですよ。わたしが、謝らせたくてああ言ったって思ってるんですか? 貴方は」

「いや、謝るべきだと……俺が思っただけだ。重ね重ね、本当にすまない。配慮が足りなかった」

「……なんですか、それ。簡単に謝って……。言えばいいじゃないですか、お前みたいな子供にはわからないことなんだって。そういうふうに」


 少女の言葉に、首を振る。


「……なんのつもりですか。子供なんかには適当に謝っておけばいいと思ってるんですか?」

「この件に大人か大人でないかは、関係がない。一人の人間として、一人の人間である君に謝罪すべきだ。……俺はそうすべきだと、思った」


 そう言うと、彼女はまた酷く何か言いたげな顔をした。

 小さな唇を開いて何か発しようとして、だが飲み込むように噤む。

 戸惑っているのだろうか。こちらの頭もまだ落ち着かないので好都合ではあった。


(……こうも、神経にヤスリをかけられているような感覚になるとは。あまりいい兆候ではない。今の俺は、過敏な行動に出てしまいかねない)


 それは、避けられるべきだ。奥歯を噛み締める。

 考えろ。或いは動け。

 無理矢理でも思考を回せば、つまりは思考を含む行動全般をすれば、あたかも回転する独楽が倒れぬように平静さは自立していく。

 取り留めのないことでも頭を動かすことをしたい。

 何においても考え続けることが思考と正気を保つのだ。単なる経験則であるが。


(戦友から聞いてはいたが――……自分でさえこうなるのか)


 感情の抑制には長けていると自認しているためパニックとはならなかったが、それでも強烈だ。これで収まり切らずに悪化するなら軍医に相談すべきだろうか?

 そんな風に何とか普段通りの思考を続ければ、感情の波も普段通りに落ち着いていく。

 そうしてハンス・グリム・グッドフェローの準備が整うのと、シンデレラ・グレイマンが言葉を発するのは、奇しくも同時だった。


「……なんですか、さっきから。調子が狂うんですよ。貴方、変ですよ。変な人です……さっきはあんなに簡単に、乱暴に銃を抜いたのに」

「簡単ではないつもりだったが、そう見えたなら申し訳ない。俺の不徳だ。謝罪する」

「あれはどう見ても簡単でしたよ。簡単でないと思ってるんだったらおかしいですよ。それに……ええと、だから、わたしは謝れって言ってるんじゃないです」

「謝罪を要求していないとは、理解している。ただ、それとこれとは別に謝罪の必要があると思っただけだ」

「なんですか、本当に。……変な人ですね、貴方」


 小動物がそうするように、警戒混じりというか――呆れ混じりで、それだけではない値踏みするような別の感情が混じった目線を向けられる。

 おそらくだが、敵意はない。

 あったら、こうも会話を成り立たせてくれないと……思う。

 シンデレラ・グレイマンはそういう少女だった筈だ。

 確か――――……おそらくは。


「変な人のついでに、もう一つ……いや、二つほど言わせて貰えるだろうか」

「……なんですか?」

「一つ。――簡単に銃を抜く人間には話しかけない方が、きっも安全かと思われる」

「――――」


 信じられないものを見るような目を向けられたが、続ける。


「二点目。あの状況は、君も、危険だった。幸い――彼らが迂闊で程度が低いために俺もあのような強引な介入が叶ったが、ともすれば君自身も危ぶまれる行為だった。特に……なんにせよ法を盾にされてしまうと、手の打ちようがない」


 言うと、金髪の少女の顔の険が強まった。

 敵意、と言っていいかもしれない。

 それまであったどこかガードを下げた表情ではない。憤懣に燃える金の瞳が、咎めるように向けられていた。


「……じゃあ、見逃せって言うんですか。あんな――あんなことをしている奴を相手に。大人しく、言いなりになれって言うんですか。それとも、黙って見送れっていいたいんですか」

「違う」

「違わないじゃないですか! 子供は余計なことをせずに、黙って大人に従っていればいいって……そう言いたいんでしょう! そういうのが賢いんだって、そういうことをしなければいけないんだって! それに……そういう危ないことにもわたしなんかは気付けてないんだって! 違いますか!」


 爆発するような激情の発露だった。

 爛々と、ある種の獣のように琥珀色の瞳が鋭さを増す。それだけの怒りを抱えている。漠然とした怒りだ。迂闊に踏み込めば、余計に燃え上がるだろう。

 だが――だからこそ、言わなければならなかった。


「助けを求めろと言いたいが――」

「求めて、求められても見て見ぬ振りをしてるのは……貴方たち大人の方じゃないですか!」

「……言いたいが、君がそれをしなかった理由も十分に理解ができる。だが……孤立無援なら、孤立無援の戦い方がある。それを知るべきだ」

「……は?」

「戦い方を知ったほうがいい。戦法は、大事だ」


 奇矯なものを見たような少女へ、一度、頷き返した。


「一つは――あまり褒められた方法ではないが、動画などを通じて拡散するという方法だ。警官のボディカメラの義務化は久しいが、彼らはからそれを有していない。……だからあのような行動に出る」

「……告げ口みたいに広げて、リンチをしろって言いたいんですか?」

「そうだな。褒められた方法ではない。そしてこの件がエスカレーションし盛大なデモが起こったときに、その責任は個々人その人が取らされる。ときには血も流れる。つまり、君の手には負えない事態になる。……理解しているから、君は選ばなかった」

「見透かすような言い方を……!」


 毛を逆立てるような金髪の少女をしばし見詰め、それから、彼女が口を噤むまで待った。

 口を継ぐんだが、彼女は、こちらを睨み返している。


「二つ目。警官を呼び付けてやる方法だ」

「――は?」

「警官を呼ぶ。銃を持った人間が、人を脅していると」


 そう言えば、無碍にはされまい。

 少女は困惑を滲ませながら、それでも反論を思い浮かべて口を尖らせた。


「あんな偉そうにしている連中なんかに、警官が何ができるんですか。……できてたら、こんなことになってないじゃないですか」

「そうだ。何もできない。彼らは公安機能を有している憲兵でもあるためだ。実際のところ、簡単に遠ざけられてしまうし……警察側でもそんなお触れも出ているだろう」

「だったら……!」

「――しかし、現場がそれを快く思っているかは別の話であり、通報の伝え方によっては彼ら警官とて対応せざるを得ない。いや――エスカレーションが見込める状況であれば、彼らもまた真摯に対応することになるし、そうでなくとも――」


 どうにも説明が冗長となってしまい、自分自身これを普段から気にしているところであるが……全て伝えざるを得ない。万が一を考えれば、ここで削ぎ落とした言葉は少女を傷付けるだろう。話が長く説明が多いのは自分の欠点であると思えるが、言う他ない。


「――それが現実だとしても、いざ現場に来られてしまうとまず対処の気が削がれる。……実のところ、機能は同じでも管轄が全く違う。軍と警察は同じではない。つまり、彼らが憲兵機能を有するといえども直接の指示や命令ができないという意味だ」


 ゆっくりと噛み締めるように、少女へと告げた。

 

「だから、必然、互いに上を通しての話にするしかなくなる。そうなると、連中の内の対応すべき注意力がそちらに割かれる。戦いとは、それだ。如何に有限である相手の注意力を割り振らせて損なわせるかにかかっている。……その間に君は目的を達成すればいいし――」


 ふと、少女が彼らと諍いを起こした場面を思い返しながら告げた。


「そういう意味では、君の行動は理に叶っていた。あの御婦人に対する有形無形の暴力を遠ざけた。その一点に関しては、見事であったと言っていい」

「……は? なんですか、いきなり。何が言いたいんですか、貴方は」

「戦い方の話だ。何を得たいのか、何を得るべきなのか、何を思ってそうしたのか――――難しいとは思うが、だ。得るべきを得るためには、段階分けと優先順位付けが必要になる」


 言ってはみたものの、そう合理的に割り切れる問題ではないかとも思えた。

 あの婦人を助けたかったのも少女の中では真実であるし、あのような悪漢に正面から不満をぶつけたい憤りもまた真実だろう。或いは、世か何かへの反抗の気持ちも。

 そう答えれば、いつの間にか眼の前の少女の瞳からは怒りが消え、困惑が強くなっていた。


「……わたしのことを怒りたいんですか? 褒めたいんですか? 貴方一体、なんなんですか?」

「危険な行為だったことは一つの事実で、そして結果としてあの御婦人を助けられたのも一つの事実だ。どちらに関しても。……願わくば、今後は、君自身も安全な方法をとってほしい」

「そうやって、自分可愛さに――」


 どうも、この言葉も彼女の持つ大人や世間への憤りを刺激してしまったか。

 また吠えかかろうとする少女へ、あえて、ゆっくりと首を振った。


「君は貴重だ」

「…………は?」

「君だけでなく、個々人の生命や身体は貴重だ。損なわれてはならない。断じてだ。それが命題だ」


 これは、どんなことより確かなことだ。死や喪失は、忌むべきものである。


「そして何より――君のように悪しきことへと怒れる人間も貴重だ。過程はどうあれ、君は、あの御婦人を庇った。そのことは褒め称えられることだ。立派な善性だ。……故に、君がそうできなくなることで、少し、今後の多くのそんな御婦人たちを助けられなくなることも考えてほしい。君の戦略的な価値、と置き換えてもいいかもしれない」

「戦略……? 的な……、……なんなんですか貴方」


 怒りよりも何よりも、完全に戸惑いが勝ったようだ。

 どうも、彼女の今までの人生で軍人と深い話をする機会がなかったか――そういう価値観に馴染みがなかったか。

 なんにせよ、言いたいことは一つだ。


「君の勇敢さは、称えるべきだ。そしてあの御婦人が現に助けられたことも、称えるべきだ。今回の騒動が被害が少なく収まったのも、良い結果だった。――しかし、、戦術の見直しを考えることもやめてはならない。そういう話だ。戦う上では重要だ。今後は、そこに留意したほうが良いと思える」


 現実を前に反抗を――つまり闘争を行うなら、その見極めを欠かしてはならない。押し並べて闘争とは、そういうものなのだから。


「……今後って、わたしがまたあんな危ないことをすると思ってるんですか? バカなことはやめろって、そう言わないんですか?」

「勇敢な選択も、慎重な選択も、どちらも理がある。……あれを危険と認識しているなら、君の状況判断に特に挟める口はない。それに……」

「なんです?」


 片眉を上げた少女へ、おもむろに頭を下げた。


「あんなものを蔓延らせている側である人間が、その危険性を語るのは些か筋が通らないだろう。そう唱えるなら、まず、こちらで自浄作用を働かせるのが筋だ」

「……!」

「無論、民間人にできる限り危険に近付いてほしくないのは本音だが。……それはそれとして、あの御婦人が救われたのも事実だ。俺からは戦略的な合理性を考慮してくれとしか言えない。何においてもそれが最も重要だからだ」


 そう告げると、金髪の少女は困ったように口を尖らせた。


「……変な人。怒りたいのか、励ましたいのか……。貴方と話してると、頭が痛くなってきます」

「そうだな。――――……時折、いや、よく言われる」


 例えばあのマーシュ・ペルシネットがそうだ。

 そうして怒ると本当に口を聞いてくれない。チラと眺めては溜め息をつかれる。或いはおもむろに歩み寄ってきて急に頬を左右に引っ張られる。いや、あれは怒っているのだろうか。それも判らないし、怒らせる理由も思い当たらないのだが――……。


「ちょっと。やめてください、そういうの。ここにいるのに別のところを見てるような……今話してるのはわたしなんです。凄く失礼ですよ、それって」

「……確かに。謝罪を」

「だから謝ってくれって、そう言ってるわけじゃないのに……変ですよ。大人がそんなに、子供相手に簡単に。貴方、本当に変な人です」


 口を尖らせる彼女に、ああ――と記憶が関連付けられてくる。

 シンデレラ・グレイマンの家庭は、軍の技師を努める父親と兵器メーカーの開発局の母親とその一人娘という形だ。正しくはその父親は、軍人というよりも軍の研究所に努める研究者である。

 あの戦争の影響で急速に研究・開発が進められるアーセナル・コマンドに関わるが故に両親ともに多忙で、彼女は一人がちにされながら育った。

 そんな家庭環境が故に彼女は幼少期からアーセナル・コマンドに慣れ親しみ、それが、高い操縦技能適性に繋がる。

 大人への不信感と、どこか消極的そうな性格には似つかわしくもない試し行為にも似たズケズケとした物言い。そのアンバランスさのバランスを作ったバックボーン。

 そうだ。

 それが主人公――シンデレラ・グレイマンという少女だ。


(……前のときは、会おうとしても会えなかったが)


 メイジー・“ザ・レッドフード”・ブランシェット。

 前大戦で狼狩人ウルフハンターという試作型アーセナル・コマンドを駆り、衛星軌道都市サテライト海上遊弋都市フロートとの戦いで象徴的な存在となった少女――彼女もまた所謂主人公だ――とは、近付こうと努力はしたがついぞ生身での会話の機会もなく戦争を終えた。

 だが、今回は――ここで、出会うことになった。


 ……その意味を測りかねながら、結局自分の口をついて出たのは、平凡な言葉だった。



 ◇ ◆ ◇



「……俺はハンス・グリム・グッドフェロー大尉。君の見立て通り、軍人だ」

「それは……誰だって見れば判りますよ、そんなの。軍人だって。そんなジャケットを着てるんだから、パイロットだって。それにさっきから、貴方の話の内容が……。……それで、急に名乗って何がしたいんですか?」

「今の件で面倒事があったら、俺の責任にしてくれ。そういう話だ」


 奴らが、付け狙わないとも限らない。【フィッチャーの鳥】とは、そういう連中だ。

 あの場での害意ヘイトは自分に集めた。そうなるように振る舞った。無意識的に振る舞えるようにしていた。彼女に対する印象はきっと薄れているだろう。

 だが、彼女は――シンデレラ・グレイマンは、筋書き通りならばあの【フィッチャーの鳥】と因縁ができてしまう。


「俺のせいだと、わかりやすくそう言ってくれていい」


 これが何かの気休めになるか判らないが、矛先が向かうなら民間人である彼女ではなく、そのような職務であり訓練を積んだ自分であるべきだ。

 それが、職責というものだ。

 そんな気持ちで口に出したのだが……どうにもシンデレラの不興を買ったらしい。


「……それが大人なんですか? 結局そうやって、なんでも自分のせいにしたがる。子供になんて何もできなくて、自分だけが責任を取れるんだって。わたし――いや、ボクは嫌いです。そういうの」

「そうだろうな」

「……なんですか、その余裕ぶった態度。こっちがそんなに判りやすい子供だって言いたいんですか?」


 頭一つ以上の下方から、金色の前髪の間から、意思の光を強く宿した琥珀色の半眼が見上げてくる。


「……いや。子供とは……君が、意味もなく彼らと揉め事を起こすように分別がないとは今更思っていない。ならきっと、こういうのも嫌うかと思っただけだ」

「だから見透かすようなことを言わないでください。女に、そういうことは。……いやらしいですよ、大尉」

「了解した。肝に命じる」


 首肯で返すと、また僅かに口を尖らせられた。

 何か地雷を踏んでしまったのか。彼女は難しい――或いは内心でこうおもねるように考えることが、良くないのかもしれない。

 あらゆる戦闘や交渉のために表情から内心を推し量られぬように努めているが、未だ未熟か。顔面表情筋の制御が足りていないのだろうか。気をつけねば。


「……さっきから、そういう軍人みたいな言い方、嫌いです。ボクは。嫌いなんですよ、偉そうで。……なんです? 何かおかしなことを言いました?」

「知人にもそう言われた」

「その人とは仲良くなれそうですね。……でもその顔、どうせ女性でしょう?」

「ああ、女性だ。尊敬している友人だ」


 尊敬――多分、あのマーシュ・ペルシネットに対して自分が向ける感情は、それの比重が一番大きいだろう。

 そう考えながら答えると、シンデレラはまたつまらなそうにした。確か家庭の影響だったか――……誰か別のこと、何か別のこと……目の前の相手から居ないもののように扱われるのが、ある種のトラウマなのだろう。

 ……ともあれ、ああ、これは、思わぬ邂逅だった。

 彼女が――シンデレラ・グレイマンが実在しこの場にいるということは、そして【フィッチャーの鳥】と騒動を起こしたということは、この世界にまた戦いが始まるということだ。

 誰に言っても信じられない。

 自分さえも、あの戦場で記憶と精神が狂ったのかと思える。それでも未来のそんな筋書きを、知っているのだ。


「……君は、」

「なんです? まだ何か? どうかしましたか?」

「いや……なんでもない。ただ……そうだな。先程から長々と話してしまって申し訳ないが……困ったことがあったら、ときには君の味方になる人間もいる可能性があるというのは覚えていてくれ。一見、頼りないかもしれないが……全てを君がやる必要はないんだ」


 一度、言葉を区切る。

 結局これも、彼女のような人間が嫌う有り触れた綺麗事にしかならない気もする。どこにでもある、有り触れた一般論にしか。

 それでも――……


「せめて戦う前に、一度、前提条件と戦略目標の確認を。戦闘にはそれが必要だ。君が戦いたいなら、そうすべきだと俺は思う」

「……」

「その上で、君だけが全てにそうしなければいけない訳でもなく……特に軍人とは、そういう役割だ。慣れている。だからその……どうにも上手く言えないな」

「……なんですか、急に。いきなりそんな話をして」

「上手く言えないが、言う必要があると思った」


 そうとしか、言えなかった。


「……本当に、変な人ですね。それに……その、別に頼りにならないとは……」


 もごもごと呟いた彼女と同じく、こちらも、思考が尻すぼみになる。

 一度目の戦いも、そうだった。

 なんとかできないかと思って備えをして軍人になっても間に合わず、何ともできないうちに人殺しだけ上手くなった。も、幾人も死んだ。

 理解したのは――そうだ。一つだ。

 どんなときも変わらずに、あらゆるものを断ち切れる力を磨くこと。あらゆる状況によらず、あらゆる制約を意に介しない絶対的な刃となること。諦めず、そうし続けること。

 俺が俺としてできることは、それ以上でもそれ以下でもない。そう胸に刻んだのだ。


 

 

 


 そうだ。自分の有用性を磨かねば。暴力――――その規範的かつ確実な行使。敵を落とすことが自分に選べる唯一の道で、人命を守る手立てだ。それしかできない。

 故に、ただそれをどこまでも磨く。それしかない。


「勇敢な君が、無事で良かった。俺が言いたいのは、結局、そこだけだったのかもしれない」

「……」


 そうして、頭を下げた。


「……貴重な時間を取らせて、すまなかった。訓練がある。これで失礼する」


 カーキ色のフライトジャケットの下に纏っているのは、パイロットスーツだ。大層な注意表示が貼り付けられた宇宙服をダイバースーツほどにも圧縮したような防刃・防弾製の対大気兼対宙間防護服。

 蛍光オレンジで示された諸注意表示デザインや胸部のプロテクターが特徴的だろうが、自分としてはダイバースーツの上にタキシードを纏ってその境界を混ぜ合わせたような近未来的なデザインの方が印象的だ。

 普段からそれを纏っていることに変わりはないが、特に今日は意味合いが違う。


 ――新型量産機体の配備。


 ようやく今日、最新鋭の第三世代型アーセナル・コマンドが部隊に配備される。

 これまでシュミレーターで扱っていたが、実際に動かすのは初めてだ。何事も初めが肝心というが、今後のことを考えれば十分な時間はないのだ。


「待ってください。訓練……ですか?」

「新型が配備される。それに併せて機種転換ではなく新兵を――となった。彼らの命を、俺が預かることになっている」

「……大変なんですね、軍人も」

「いや。俺には、彼らを生かして家に返す義務があるだけだ。上官として、先達として、それが果たさねばならない職責というだけでしかない」

「職責……。……でもその言い方、まるでこれから戦争でも起こるみたいですよ。また戦争をするんですか?」


 言われてぎょっとした。いや、或いは告げた方がいいのだろうか。

 前の大戦で主役に近い立ち位置には行かなかったためにどうするかを測りかねて――……おまけにこの、目の前の彼女は特にこの先の戦争での疲弊と摩耗が大きく、何が負担になるか判らない。余計なことを言うべきではないのだろうか。

 少し、時間がほしい。どう動くべきか、考えたい。

 ――不甲斐ない。ここで即座に動けずして、自分は何のために普段からああ努めているというのか。ぶり返した記憶の反動の影響だと思いたい。これでは、兵士として何の進歩もない。

 何とか口を開き、


「不安にさせて、すまない。……でも、安心してくれ。そうなったときに、盾になるのは本来俺たち軍人だ。……必ず守る。君のことも。何度でも。きっと。……約束する」


 我ながら白々しいセリフだった。

 彼女もそう思ったのかは判らないが、少し目を見開いてからはもう何も言わなかった。

 これで、会話は終わりだ。

 もしも筋書き通りに進むなら――記憶が正しければ、彼女はこの後、観閲式に乱入してきた【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】と【フィッチャーの鳥】との争いに巻き込まれて、そのどさくさでパイロットになる。

 父母の影響で幼少より脊椎接続アーセナルリンクを果たしていた操縦神経と持ち前の勘の良さにより、戦果を挙げる。そのような運命になっている。


 前の大戦と同様ならば。

 どちらも操縦適性に優れただけの民間人の少女が、戦場に弾き込まれて、殺し殺されをするようになる。……自分のような薄汚れた人殺しであることを強要させられる。

 最初から軍人に志願したわけでもないのに。

 ……そう思うと、不意に胸が痛くなった。

 内心で頭を振ってそれを追い出す。自分に感傷は不要だ。それは、自分という性能を鈍らせる。ただすべきことを――為せ。そう言い聞かせて踵を返す。


「あの……!」


 が、背中にかかる声に足を止めざるを得なかった。

 振り返りながら思案する。この先の訓練計画について。できれば新人には十分な理解と時間を積ませてやりたい。だが、否応なく促成栽培的に切り替えなければならない。

 設定されている訓練計画と矛盾や齟齬を与えず、如何に教育すべきか――そう考えながら彼女をじっと見詰め続けると、やがて、何故だか目線を合わせようとしなかった彼女もようやく口を開いた。


「……あの、大尉。その……遅くなってしまったけど、あの……わたしのことを、助けてくれてありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとう。市民からのお礼は、とても嬉しい。感謝を」

「……市民じゃなくて、シンディ・グレイマンです。グッドフェロー大尉」

「ああ、ミス・グレイマン。……気をつけてくれ。観閲式が間近だから、彼らも気が立ってる」

「……行進して歩くだけなのに随分と偉そうなんですね、そんなの」


 口を尖らせる彼女は年相応だ。ただの年頃の少女だ。

 ……だから、もう一度内心で頭を振った。


「あの……」

「俺は失礼する。……まだ何か? 不安なことでも?」

「そうじゃなくて……シンデレラでいいです。また会うか判らないけど。大仰で嫌いなんですけどね、この名前。でも、名字よりはいいです。親あっての子供、みたいで嫌なんですよ。名字は」

「了解した。シンデレラ」

「……だからその喋り方、やめてください。固っ苦しいですよ、もう。調子が狂うんです。貴方は、本当の本当に変な大人です」


 ぷい、と顔を背けた彼女に別れを告げる。

 願わくば――願わくばその名を二度と呼ぶことなく、二度と出会うことなく終わらせたい。

 或いは再び出会い、彼女のその重荷を減らすことができれば――――それでも、いいのだが。


 ……いや。

 駄目だ。本来なら、二度と出会うべきではない。

 彼女は民間人で、自分は軍人だ。その職責により強い自覚を持つ必要があった。

 民間人に人を殺すなどという忌まわしい行為を背負わせるべきではない。それをするのは、軍人の役目なのだ。


 

 



 ◇ ◆ ◇



 部隊に顔を出したとき、当然ながら、されたのは隊長室への呼び出しだった。

 あの特務部隊の彼らは品性に欠けていたが、どうやら知性はそこまででもなかったらしい。こちらが纏っていたジャケットから部隊を割り出した。そして、苦情に及んだ。

 どうやら身上調書にも載るとか、そういう話もされたらしい。

 自分は特には構わない。これ以上昇進しないなら、つまり、抱えきれない部下を持つ心配もないということだ。それに階級は敵の弾丸を防ぐ盾にはならない。さして困ることもない。

 ただ、部隊長には申し訳なかった。

 そういう部下が下にいる、そのことが問題になることもある。退役が近く……いずれは彼もどこそこの艦長か、方面隊の司令だろう。そういうお決まりのコース。そこに水をかけてしまう気はなかった。

 ……彼の娘や家族の写真を知っている。そういう父親の幸福な家庭に水を差すのは、本当に避けたいのだ。幸せそうな人を見ると幸せだし、辛そうな人を見ると、辛い。


 ともあれ、


「もぉ〜〜〜〜! 何したんスかぁ、グリム大尉ぃぃぃぃ〜〜〜〜! あいつらめっちゃ睨んでモノに当たっていったんですよぉ〜〜〜〜! オレのロッカー凹んじまってぇ〜〜〜!」

「そうか。……フェレナンド、怪我は?」

「あ、オレは大丈夫っす。逃げてたんで! あ、でも、ローズレッド先輩はちょい絡まれてました。でもちっちゃいから趣味じゃないとか言われてました!」

「そうか。……迷惑をかけた。貴官は無事そうでよかった」

「どもっす! あざっす!」


 橙色にも見える目立つ赤髪と、明るいお調子者――新兵のフェレナンド・オネスト少尉。新型機種の配備に伴う士官学校出たての新兵だ。

 機種転換。

 アーセナル・コマンドは一つの資格をとってしまえば、必ずしも全てに乗れるという訳ではない。機体特性に合わせて、その習熟が必要となる。

 特に第三世代型では脊椎接続アーセナル・リンクとコクピット内でのコントロールバランスが変化した、と聞く。より直感的な脊椎接続アーセナル・リンクの比重を高め、コクピット内におけるパイロット自身の操作は限定的にしているらしいのだ。

 それも、無理はない。

 人間は歩くのにも無意識にいくつもの筋肉を使っている。脊椎接続アーセナル・リンクはその特性を高め、機体の制御をより無意識的に行えるようにする仕組みだ。

 つまり古兵では、そのバランスが上手くいくか判らない。接続酔いリンカードランクも予期された。


「で、グリム大尉ぃー……あんだけの剣幕って何やらかしたんスか? アイツラの女に、コナとかかけちゃったんスか?」

「……いや。撃とうとした」

「はぁ!?」


 大仰に仰け反ったフェレナンドを前に、若干訂正する。


「正しくは、射殺しようとした」

「いやいやいやいやいや、余計意味分かんないっスよ!? えっ!? なんで!? ねえなんで!? なんでそうなるんスかぁ〜〜!?」

「暇がなく、そして彼らは防弾装備を身に着けていなかった。撃てばまあ、死んだだろう。そして俺は必要に応じて撃つ。そのつもりだった」

「何なんスかこの人〜〜〜〜! もう〜〜〜〜! 怖いよこの人〜〜〜〜〜〜!」


 ふぎゃあふぎゃあと叫びまわるフェレナンドに、何とも頭が痛くなる気持ちでいっぱいになる。

 軍人らしくない。この先、やっていけるのだろうか。訓練をしっかりものにしてくれるのだろうか。死なせずに済むのだろうか。

 戦いに駆り出さないで収めてやれはしないかと思う反面、彼も軍人なのだからそこの職責から遠ざけるのは侮辱かと思ってしまう。


「相変わらずですねー、先輩……鉄のハンス。死神グリム。頭のネジが飛んでる切り裂き屋リーパー。ちっとも変わってなくて安心というか心配というかー……ちゃんとご飯とか食べてます? 大丈夫です? おかしなことしてません?」


 頭一つ下から、何とも言えない目で見上げてくる鮮やかな桃色髪の少女――エルゼ・ローズレッド。

 以前はオペレーターを努めていたが、戦後改めて駆動者リンカーを志し士官学校に入隊し直した変わり者だ。


「財布を忘れたが、食堂はある。問題ない」

「うーんこの天然ボケ。流石は戦闘以外ではまるっきり頼りにならない男」

「……そんなことはない、と思う」


 戦時徴用の民間人出身。そのまま、軍部に居残りになった。かつては同じ部隊に所属していたが、その時から、何とも言えないシニカルな物言いをしてくる少女だった。

 特に幼少期からの駆動者リンカー経験はないが、身長は低い。そのことを、気にしていた……と思う。


 彼と彼女とでスリーマンセル。

 交戦中ではない部隊編成で、これが、今の自分の部下だった。

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