第一幕 怒りの聖者
第3話 出会い、或いは遭遇
――現時刻、〇七一〇。
「……貴方、女を馬鹿にするのが好きよね」
気怠げに話される、冷たいヨークシャー訛り混じりの上流発音の女の声。
起き抜けにかけられたのはそんな言葉だった。
身体に被せた軍用ジャケットを除けてソファから身を起こせば、ガラス天板のテーブルを挟んだ真反対側――同じくソファに収まって白く細長い指のその爪を磨くマーシュ・ペルシネットが、長睫毛の冷めた目でこちらを見ずに言った。
テーブルには湯気の失せたコーヒーカップ。その隣には錠剤と、グラス周りに水滴のついたコップが置かれていた。
頭を抑えながらコーヒーを啜る。
代用コーヒーなどとは違う濃い匂い。一口で脳が強烈に透明化していく重カフェインの濃抽出。フィルターで濾過しきれなかった粉が、カップの底に沈殿していた。
物憂げな美貌の少女は、まだヤスリで爪を磨いている。
白い肌の殆どが顕になるような紐を首にかけただけの薄手の黒ドレスと、灰色にも程近い色素の薄い栗毛。
直立しても地面に届くだろう長く豊かなそれを、二本の緩いおさげのように首の後ろで大きな三編みに結んだ彼女は、さながら塔の上から髪を垂らす童話の少女か。
出会ってから今まで概ね冷めた眼差ししか見たことのないその橙色の瞳は、変わらずこちらを向こうとしなかった。
「お酒を飲んで
言われて、ああ……と記憶が鮮明化していく。
彼女の言うとおり、何杯か酒を煽ったあとにシミュレーターに向かい
そのまま、自宅ではなく彼女の家に足を運んだらしい。
意識は完全に覚醒したが、思考や記憶との接続が上手くいかない。特に考えもなく懐から取り出した煙草に火をつけたその時だった。
「ねえ、
「……そうか。すまない」
「謝る場面じゃないの。……本当に気が利いたことの一つも言えないのね、貴方。今更だし、まあいいですけど」
ふ、と尖らせた口で爪に息を吹いた彼女が呟く。
何と返したらいいものか考えながら、コーヒーを啜る。結局彼女が全ての爪を整えるまで、上手い言葉は浮かばなかった。
「今夜はお店だから、急に来られても助けてあげられないわよ」
ソファから投げ出された彼女の細い足を受け止め、その爪に保護用のマニキュアを塗っているときだった。
溜め息ばかり漏らすいつも通りの愁い顔で頬杖をついて、フローリングに片膝をつくこちらを見下しながらつまらなそうに告げてくる。
まるで令嬢と召使いか。
マーシュ・ペルシネット――高級クラブのピアニストだ。
塔から垂らされるのではないかという足元までの長い髪と、腰が細く全体的に華奢ながらも反面豊満で女性的な身体。演奏中に醸し出される汗を恥じぬ情熱と、普段のアンニュイでシニカルな冷静さ。彼女目当ての客も多い……そうだ。
一年半ほどの付き合いだが、他人に足の爪のマニキュアを塗らせる私生活のズボラさも、彼女がやれば絵になるだろうという少女だった。
「そうか。了解した」
「……軍人は嫌いって前に言わなかった? そういう喋り方はやめて。私の部屋では特に」
「了か……わかった。とても気を付ける」
「そ。……お店の子が今日辞めるの。見初められて、そのお祝い。ドアの前で一晩明かしたくなかったら、もう馬鹿な押しかけ方はやめることね。貴方に付き合うのも限度があるわ」
目線も合わせずに吐息が漏らされた。この辛辣さも、それが不快にならないのも彼女の人間性故か。
どことなく羨ましい気持ちにもなる。職務上、妙な気遣いもしなくてはならない自分とは大違いだ。
人間関係で悩むことはあるのだろうか。そう問うと、毎回盛大な溜め息を吐かれる。確かにあの戦争で中立――つまりは日和見だった――この
そんな
自分の名で、彼女のクラブへの花束を発注する。メッセージは祝いの定型文。手の内のスマートデバイス上には完了の文字。これで多少は、保護者のようなものの義務を果たせただろうか。
「……ところで貴方、飲酒の習慣なんてあったの?」
「いや、特にはない」
「そ。……ほんと、馬鹿な男。度を越した終末論者は、ゾンビ向けのシェルターでも買うといいわ。お似合いでしょう? それが」
ベージュのトレンチコートを肩にかけてドア縁に寄りかかったマーシュの半眼を背中に受けながら、軍用ジャケットを纏って部屋をあとにする。
思えば今日は、遅れてはならない仕事だった。……無論、軍人に定刻遅れは許されない。今日でなくともそうだろう。
それは敵前逃亡や、或いは不意の被襲撃を意味するのだから。
軍人だ。
ハンス・グリム・グッドフェロー大尉。
人型機動兵器アーセナル・コマンドの搭乗者で、新設部隊の小隊長。前大戦の生き残り。
軍用ジャケット――カーキ色のフライト・ジャケット風のパイロット・ジャケットには、優れた撃墜数に伴う勲章めいた双剣のワッペン。
グリム・“ザ・リーパー”・グッドフェロー。
それがこの世界における自分の名であり、役割だった。
◇ ◆ ◇
この四つが、今の地球圏の勢力だ――つまり人類の可住地域。誰しもが、いずれかに属している。
今や地球の第二の衛星となった巨大隕石B7Rの影響により潮汐力は増し、海面上昇・海流の速度上昇に伴う海岸侵食の加速度的増加――同時に地下マグマ対流上昇に伴う火山活動の活発化と、それらに伴う深刻な気候変動が発生。
海面上昇によって島嶼部や沿岸部が被害を。
海流速度の上昇によってハリケーンも大型化し、また、早く強すぎる海の流れにより海洋の生態系も変化。
活発化した火山の噴火と、その火災被害と、火山灰に由来した大規模な曇天と降り注ぐ酸性雨。
人類が生存可能な領域は狭められ、地上というのは選ばれた富裕層ないしは海上や高空へも脱出不能な貧困層の生活圏に変貌した。
かつての緑豊かな星は、ない。
そこに降り注いだのが、神の杖と呼ばれる流線型の自由落下型運動エネルギー利用兵器――
B7Rから採掘された金属――ガンジリウムで作り上げられたそれは、地表の各地を死の雨として潤した。
その神の杖を素材に作られたのがアーセナル・コマンドと《
戦車に比肩する装甲と、戦闘機に等しい戦略機動性。
相次ぐ強襲戦を皮切りに盤面を逆転し、ついには衛星軌道上での戦闘に勝利した
故に、
……とは言っても、現地住民との関係性はそこまで悪くもない。そこは配慮がされている。何にしてももう一度戦争をやるには疲弊が多すぎた。
三年経った今、ある程度の豊かさを見せているのはここが
ガラスの城の名を冠するストロンバーグ。
太陽光発電で賄った電力によりガンジリウムの力場を作り出し浮游する都市は、降り注ぐ日光の強さとどうにも味気ない透明ドームを除けば快適な街なのだろう。
そんな都市の間近で軍事行動を行うことは、酷く気に病む。
示威行為とは理解している――戦勝者が誰か刻み込むことをするのだとは。そのための観閲式なのだと。だが、それは必要なのだろうか? まだ戦争の悪夢も冷めやらぬ人たちの頭上でまで……。
(……いや、俺の考えることではないな。どのみち、観閲式には参加しない)
見世物になるのは得意ではない。
見せて恥じる練度のつもりはないが、それとこれとは別だ。敵対勢力の気概を削ぐための示威行為と言われれば、比較的平和的な行動なのだと言われれば、是だと思う。無論命じられれば、それを可不可なく熟す。
ただ、得意ではない。それだけだ。
得意でないのに小隊長まで努めることになっている。自分の判断でまた部下が死んでしまうかもしれないと思うと、どうにも気が重い。
今日は、新兵たちをどう訓練したものか。あの戦争で自分が得たものは、他者には直感的にフィードバックしにくい。戦争の基礎素養以前の一般的な新兵のために教えられることはそう多くはないのだ――と、胸元からコール音。
『……ねえ、グリム。貴方、忘れ物をしてない?』
「
『あらそう。じゃあ、この素敵な財布は私のなのね。全く趣味じゃないけど……プレゼントとして貰っておくわ』
忘れてた。
困った。
「……その、返してください」
『駄目よ。エスコートしてくれるなら、考えてあげてもいいけど。……観閲式のせいで見慣れない軍人が多いのよ』
「了解した」
『……グリム、言葉遣い』
「わかりました」
『そ。いい子ね。結構よ。……それじゃあまた、夜に。お店で。お酒臭いのは嫌よ、王子様?』
「俺は平民なんだが……」
『手をとって連れ出してくださるなら、王子様でしょう? それとも従者の方がお好き?』
「どちらかというと、そちらが似合うかと思う」
『……そ。あらそう。わかった。……じゃあ頼むわ、ネズミの御者様』
ぶつ、と不機嫌に通話を切られた。王子と答えていたら、カエルの王子だと呼ばれていたのだろうか。
疑問は尽きないが、彼女がそう求めるならそうするだけだ。デバイスをタップし、課業外のトレーニングジムと戦闘シュミレーターの予約を打ち消す。汗臭い状態で行ったら何か小言を言われるかもしれない。……いや、シャワーを浴びれば大丈夫だろうか。大丈夫な気がする。大丈夫じゃないかな。
そんなことを思案しながら、駐留地へ向かっている――ときだった。
「謝ってください。彼女に。貴方は、そうすべきだ」
「誰に言ってるのか、分かってるのか……お前!」
凛とした少女の声と、粗暴な青年の声。
視線の先に人だかりはあまりない。
近付けば男の怒声はより強い。逆に少女こそ、よくあそこまで声が届いたというべきだが――
「オレに何を言ってるのか、わかっているのかよ!」
「謝るべきだと、そう言っているんです。ボクは。……貴方がたの運転で人が一人、死ぬところだったんですよ」
「へっ、おれにはあのババアは当たり屋にしか見えなかったがね。近頃、そうして難癖をつける連中も多いんだよ、お嬢ちゃん」
停められたジープの横に男二人と、倒れた老婆を庇うようなブレザー姿の小柄な金髪の少女が一人。
明らかに揉め事だ。生憎とこの身は兵士であっても憲兵ではないため取り締まれないのだが――……近くに警邏はいない。
「オレたちは【フィッチャーの鳥】だ! オマエはその意味をわかって言ってるのかよ、ガキが!」
いや……憲兵こいつだ。困った。
特徴的な黒服と髑髏めいた刺繍。連盟憲兵と治安警察から作られた先鋭的特務部隊。あの【
彼らの粗暴は耳にしている。だが、まさか、観閲式間近にこんな揉め事を起こすのだろうか。若干理解に苦しむ。
……いや、観閲式間近だからだろうか。マーシュの言うように、警備や式出席のための軍人が増えている。そのうちの一人、なのだろうか。
「ガキではなく、ボクは十四歳です。それに子供か大人か、女か男かなんて関係ないじゃないですか」
「十四歳? なるほどな、言ってろよ
「――ッ。女の外見の話を、気安く……!」
金髪の少女が瞬間的に激昂した。
金に近い琥珀色の瞳が怒りに染まり、目が見開かれる。
だが男たちは、それを幸いとばかりに口角を上げた。
「そういうことかよ。オマエは、どこかの反勢力に飼われてる。ガキの頃から
「確かに
「偉そうじゃなく、偉いんだよ! クソガキが!」
青年の手のひらが、小柄な少女の肩を突き飛ばした。
止めに入る間もなかった。そして地面に尻もちを付き、石畳に投げ出されたストッキングに包まれる彼女の華奢な足を眺めた彼らの目の色が変わった。
……どこまでが真実かは判らないが、【フィッチャーの鳥】に関する噂を聞いたことがある。
対テロの名目で人を拘束し、或いは勾留し、凄惨な暴行や私刑を加える。聞く中では、それは、行き過ぎた正義感や連帯感或いは使命感によるものかと思っていた。
だが、今の青年の目を見ればわかる。アレは、暴力を愉しんでいる者の目だ。戦場の狂気。前の大戦の亡霊めいて、彼の瞳にはそれが宿っていた。
制服に裏付けられた権力と、腰の拳銃のような暴力を持つ男が自分に歯向かった少女にどのような応対をするだろうか。
最早――猶予もない。
「ッ、この――これが軍人のすることですか! 服だけ着たところで、貴方たちは軍人になんてなれてない!」
刺々しい少女の言葉に、男たちの目に怒りが交じる。
「それじゃあ、お前さんはどんな服を着て何になろうとしてるのかね。……
「チッ。オマエ、後悔したって遅いんだぜ」
拳を鳴らしながら、青年が彼女に歩み寄る。少女は気丈に睨み返して拳を握るが――何某かの武道の心得はあるかもしれないが――無謀だ。
彼らの戦力の差は、歴然としている。
このままでは少女は、一方的に暴力を振るわれるだろう。身体、生命への危機――つまり双方向的な暴力が拮抗する喧嘩などではない、市民を守るべき職務の軍人による市民への暴行。
吐き捨てたくなるが――だから、それが、よかった。
「……貴官のそれは、明白に不当な暴力行為だな」
「あ? それがどうかしたってのか、平軍人が!」
「認められたことに感謝を。こちらも、速やかに移行できる」
路上に尻をついた少女と黒服の軍人たちとの間に割って入る。
軍人――そう、軍人だ。こちらも軍人なのだ。
ならば、必然のものがある。備えているものがある。
「両手をあげて後ろに下がれ。連盟大憲章に基づき、一市民として自衛権の行使をする。統一軍事法典第118条違反が懸念される……法的妥当性の釈明があるなら、聞くが」
「……オマエ、この制服が何か分かってるのか?」
「ああ。貴官のそれは、防弾製には見えない」
言いながら、ホルスターの銃に手をかけた。
引き抜かれた大型リボルバー拳銃。対装甲拳銃。武器を手にすれば、己の意識はすぐさまに切り替わる。
照準は彼らの足元に。レーザールール――銃口をみだりに人に向けるなという訓練隊の教えを頭の片隅に思い出して、妙な笑いが浮かびそうになる。
久方ぶりに切り替えた意識に、現実からの乖離感を覚える。だからこんな心地になっているのだろうか。
男たちが、ぎょっとした。背後に庇った少女もまた、息を飲んでいた。
それならば――実に丁度いい。威圧を与えるというのは、発砲を行わずに済ませるためにも必要なのだから。切り替えた自分は有用に機能している。
「正気なのかよ、オマエ……! 自分が何をやってるのか判ってんのか!?」
「精神鑑定で今まで不具合が出たことはない。俺は常に、兵士として最良のパフォーマンスを出せるように心がけている」
「そういう話をしてるんじゃねえんだよ!」
「正気を問うたのは貴官なのにか? ……まあいいが」
相手は二人。
こうしてしまった以上は、途中で鉾を止めるという選択肢はない。そも、メンツを損ねられた彼らは止まらないだろう。そのような手合いと聞いていた。
庇った先の少女は、立ち上がって逃げ出す気配を見せない。
(逃げてくれれば話は早かったのだが……)
それでは仮にあえて軽く殴られて終わりともいかず、いずれにせよ、このまま押し通るしかないだろう。
望むところだ。
自分はそうあるべくして、備えてきたのだ。――職責として。いや、その職責を背負うことで得られる、その先のもののために。
「貴官のその行動が如何なる法的な裏付けであるか不明だが、こちらは大憲章に基づいた自衛権により保障された行動だ。そして、自己のみならず他者の身の安全のためにそれを行使することも保障されている」
俺はそれを行使することに躊躇いはない――言外にその意図を敢えて含め、目線で肩の動きを制圧する。
言ってみたが、これは、実際に問答無用で正当防衛に問えるかは疑問が出ることだろう。仮に射撃をしたら相応に裁判が長引くだろうが――――……まあ関係ない。
相手も拳銃を所持している以上、こちらが素手で応対できる次元を超えているため、最悪を想定するとこうするしかない。
仮に素手で挑み――それで沈黙させることも叶わず逆に撃たせてしまえば、どう銃口を振り払おうとも辺りの市民に被害が出る。そのリスクがある。
首尾よく一人を抑えたところでもう一人から撃たれた場合も同じくだ。この至近距離では、こちらの身体を貫通した弾丸が市民に向かうだろう。
……それは避けたい。民間人に被害を出していいはずがない。
「法的な合理性と妥当性を説明せよ。でなければ、これは明確に恣意的な法の悪用となろう。……ゆっくりと後ろに下がれ。余計な動きはするな」
意識を切り替える。それとこれとは別だ。
鉄火場で余計な考えを見せるのは厳禁だ。弱音も正論も不要だ。ただひたすらに己の意思を押し付け有利を奪う。相手を勢いづかせてしまえば、あわよくば言葉で収められるものも収められなくなってしまうのだ。
如何なる手段を用いようとも、平和的に終わらせたい。市民を巻き込む銃撃戦は、御免だ。撃つなら、一方的に、確実に反撃を許さずに殺すしかない。
そうだ。
殺すしかない――――そう己を切り替える。今この場ではそれが唯一の正解であり法理なのだと、己に指向性を与える。
「オマエ……! 撃ったらどうなるのか、分かってるのかよ!」
「繰り返すが、貴官の制服は防弾製には見えない。……もう一度問うが、状況の理解は可能だろうか? 言葉が少ないと言うなら、もう少し詳しく説明するが」
「……オマエこそ、どういう状況なのか理解してんのか?」
「被撃墜に備えた射撃訓練により、近接射撃戦闘の心得はある。この間合いで取り押さえようとしても、俺の射撃の方が早い。貴官らに防弾装備はない。……状況に何か誤りは?」
グリップを握った右手を左手で背後へ押し込むような、胴体よりも後ろに銃の殆どをやる近接射撃の構え。
腕を伸ばして銃を突きつけると、敵から振り払われる危険や銃を奪われる危険がある。故にこうするのだと、訓練では言われていた。
あくまで脅しではあるが、一方で――脅しのつもりはない。本気で発砲するのだ。そう思わねばならない。引き金に指はかけており、内部安全装置は既に解除済みだ。
見やれば、彼らは及び腰だった。そして躙り去るように、こちらを向きながらも立ち去ろうとしている。
……会話が通じる文明人でよかった。
暴力そのものの最終的な行使は避けたい。暴力とは等しく忌まわしく、忌避されて然るべきものだ。不要な殺人に興じるだけの狂気は、流石に、こちらも持ち合わせていないのだ。
「イカれ野郎が……!」
「俺は正気だ。そして、貴官の懸命なる判断に感謝する。貴官を貫通した弾丸が市民に向かうことは避けられた」
「ッ、この――」
殴りかかろうとした若い金髪の青年を、もう一人のやや年上の厳しい顔の男が抑えた。
銃口を外すべきか、僅かに悩む。
撃ったなら貫通し、二人共死ぬだろう。一人は鉾を収める気がある。そうなれば、射殺は不当だろう。社会的にも己の自意識的にも。
また若干、彼我に距離・時間共に猶予ができてしまった。仮に撃つ場合も、まずは牽制射撃が必要になりそうだ。
そうなると拳銃の機構的に、こちらの射撃に応じて続け様に飛びかかってきた相手への応対射撃は間に合うだろうか――。
などと、努めて己を沈降させるべく思考を回し続け、冷静に考えようとしているときだった。
「オマエ、覚えてやがれよ。軍隊ってのは、弾は前からだけ飛んでくる訳じゃあ、ないんだぜ」
「そうか。そのときも俺は、貴官に正面から銃撃するだけだろうが……」
「ッ、ふざけたボケが……! この腐れ狂犬野郎が! 後々、思い知らせてやるからな……! 覚えてやがれ!」
そうして捨て台詞を吐きながら彼らはジープに乗って去っていく。
弾丸は一つも消費しなかった。流血もない。死者もなし。努めて比較的平和的な解決は済んだ、というわけだ。
……もっとも、部隊の指揮官には苦情が来るかもしれない。そう思うと多少申し訳ない気持ちになる。己の行為の法的な正当性とはまた別の話だ。社会は、それだけでは立ち行かないのだから。
(……)
ともあれ、それはそれだ。
現に暴行を受け、暴言をかけられ、暴力によって心身共に何らかの影響が考えられる被害者とは関係ない。
最も見過ごしてならないのは、それだ。
さてどう声をかけたものかと、銃をホルスターに戻して振り返ったその時だった。
「……暴力で人に言うことを聞かせて、そんなに楽しいんですか?」
倒れた老婆を起こしてその腰を払った金髪の少女からの、冷徹さも感じるほどの冷めた声。
或いはそんなふうに怒りで心を押し殺しているような声。
こちらを睨みつける金色に近い琥珀色の吊り目。不条理への義憤に輝く瞳。
ああ――と内心で息を吐く。
グリム・グッドフェローとして生きて二十数年。半ば記憶の彼方に褪せてしまいつつあったが、覚えている。
シンディ――シンデレラ・グレイマン。
幼年期から
軍の機械技師と軍需メーカー社員の一人娘。
今後、彼ら特務隊との戦闘で最前線に立つことになる――所謂主人公、というものだった。
……そうだ。
女性向け恋愛シミュレーションゲーム及び派生ロボットアクションゲーム、並びに同タイトルアニメーション作品――。
――その続編。
『アーセナル・コマンド・ネクスト 〜殴り愛♡
それが、今やグリム・グッドフェローとなった男の、この世についての知る限りの全てだ。
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