終章 epilogue~もう一つの結末 

  達也は、金剛崎の駐車場に『PRADO』を停めると、岩場に張り付いた豆電球を頼りに石の階段を降りて行った。『ランプの宿』の部屋のいくつかには、すでに灯りが点っている。禄剛崎で聞いていたのと同じような荒々しい潮騒の音が上がって来る。無理もないのだ。わずか数キロしか離れてはいない。全く同じ音だと言っても、間違いではないのだ。紗月も同じ潮騒を聞いていたのだと考えると、不思議な感覚に囚われる。


 紗月は起きていた。髪が濡れているところを見ると、すでに風呂に入っていたようだ。バスローブの上から強く抱きしめると、身体からほのかな甘い匂いがしてくる。

「おはよう、紗月、寂しくなかったか?・・・。」

「もちろん、寂しかったわ。達也……、何か進展はあったの?」

「いや、全てが無駄足だった・・・」

「そうなんだ…、直美も明日香の行方は分からないって言ってたの?」

「ああ、地元の親友でさえ見当がつかないらしいよ。お手上げだな」

「わたし…、何時かは分からないけど、明日香が元気で帰って来るような気がするのよ。だから…、あまり心配しないようにしてるわ」

「だと良いけどな。だけど紗月・・・、その根拠は何なんだ?」

「う~ん、私の希望かな。……それより、早くお風呂に入って来て。あれから寝ていないんでしょ? 少しは休んだほうがいいと思うわ、まだ時間はあるし……」

「ああ、そうさせてもらうよ。それから、ゆっくり朝飯を食べよう・・・」

「そうね。それがいいわね…。二人の人生での二回目の朝食ね」


考えてみれば、知り合ってからまだ数日間でしかないのだ。すでに、心と身体が溶け合っている。この穏かな空気感が何処からくるのか、説明が出来ない。まるで何十年か前に一度愛し合い、そして別離を経験し再び巡り合ったようなのだ。

達也は紗月から身体を離すときに、何故か明日香を思った。懐かしい匂いがした。初めて部屋を同じくした時には、なぜ気付かなかったのだろうか?

「紗月の付けてる『コロン』良い匂いだね・・・」

「分かる? 最近替えてみたのよ」

「それは、いつなんだ?」

「内緒!……達也、何でこんな事が気になるのかしら。これも刑事の癖なの?…」

達也は、紗月が明日香と同じものを付けている理由が聞きたかったのだ。しかし、            親友同士なのだ。話の中の情報交換で、たまたま知り得た可能性もあった。

たぶん深読みであるのだろう。これが紗月の言うところの刑事の癖なのか?     明日香の秘密でさえ、知るのに20年もの時間を必要としたのだ。慌てることはないと諭す自分もいた。



 達也が目を覚ますと、9時過ぎであった。3時間は眠ったことになる。

「達也、何か怖い夢でも見たの? 汗をかいているし、大分魘(うな)されてたみたいだから……」

紗月が心配そうに、達也の顔を覗いている。

「そうか・・・、ああ、確かに怖い夢だったな・・・」

目が覚めた時には朧気(おぼろげ)であった記憶が、しだいに繋がっていく。

しばらくすると、鮮やかな映像として蘇って来た。心の深層に隠れていたものが、解き放たれて出てきたのであろうか・・・。

「紗月、俺の見た夢の話聞いてくれるか?・・・」

「怖いのは、いやよ」

「それは分からないよ。聞いた本人がどう感じるかだからね」

達也は、かすかに聞こえてくる潮騒を聴きながら、ゆっくりと話し始めた。


 *


 鳥の目のようである。日本海を渡りきり半島を南下すると、金沢駅の真上に出た。さらに南下し医王山近くまで来ると、獲物を狙うように空の上から住宅地を見下ろしている。どうやら『太陽が丘』であるらしい。一軒の洋風住宅に焦点を合わすと、大鷹がズームレンズのように滑空して近づいて行く。見覚えのある山崎直美の家のようだ。

馬酔木の枝にとまり、リビングのガラス越しに中を見ると、3人の女性がソファーに座って何かを話しあっている。真ん中に座っている直美に似た聡明そうな女が指示を出しているようだ。


「あなたは、彼女がドアの鍵を閉めた後、ポストに入れて置くから、その鍵を使って入るのね。彼は、午前中はテレワーク中だから、背後から狙えば簡単なはずよ。犯行時刻は、12時前後が理想ね」

「分かったわ。終わったら、すぐ帰ってくればいいのね。でも、監視カメラがマンションの玄関にあると思うけど…」

「その日は、たまたま設備点検があって、お昼前後の一時間が停電になるらしいわ」

「なんて運がいいのかしら…」

明日香に似た女が、微笑んでいる。


「そして今度はあなたが、当日はどこに泊まっていてもいいけど、翌日の午後3時には、必ずあの場所に行っていること。あの男は、私が呼び出しておくから。方法は、簡単よ。気をそらせて、背中を強く突くだけで良いのよ。その後、すぐに乗って来た車でその場を離れて実家で待機しているのよ」

「分かったわ。マンションの鍵を返してもらうのはいつなの?」

今度は、紗月に似た女が確認をしているようだ。

「20年前の約束のとおり、翌々日の午前中がいいわ。願掛けみたいだけど…」

明日香に似た女が言った。


「肝心なのは、車の中に『Love Letter』を忘れないで置いておくこと。それも自筆でよ。終わったら、すぐに私の白いワンボックスに来るのよ。分かったかしら…」

直美らしい女が細かく指示を出している。

「ええ、分かったわ……」

「そうそう、鍵は手渡しでは駄目よ。灯台のどこか近くに隠しておくのよ。一時間後に来てもすぐ分かる場所にね」

「了解よ。これって、一種の交換殺人っていう事かしら?・・・」

明日香に似た女が聞いている。

「そうよ。直接関係性のないお互いの邪魔な相手を一気に抹殺出来るんだから…」

「でも、私がしばらく身を隠していなければいけない理由はなんなの? 彼とは、

一緒になったばかりよ。とても無理だわ」


「そこのところは、彼に細かく説明しているから上手くやってくれると思うわ。肝心なのは、あなたの『失踪宣言』が受理されるのは、7年も後という事なの。

あなたは、『普通失踪』だから、要するに災害や事故で無くなった訳ではないから、利害関係人が『保険金』を受け取るには『被保険者』の死亡決定が必要なのね。それに必要な期間が7年という事で、家庭裁判所の判断材料の一つになるの。

もちろん、その7年間も保険料の支払いは継続が必要よ。これは、彼も了解済みだから、問題ないと思うわ」

直美に似た女は、保険金事情に詳しく首謀者であるのは間違いなさそうである。


 大鷹は、女3人の打ち合わせを密かに聞き取ると、高く舞い上がり半島の突端から遠く離れた孤島『舳倉島』を目指した。この島は、アジア大陸と日本を行き来する渡り鳥の休息地であるのだ。やはり大鷹は、達也自身であったのだろう。



達也でなくても、魘されそうな夢であった。

「・・・、紗月、怖い話だろう?・・・」

「……、下らない夢だわ。その女たちが私たち3人に似てたって…… 、

 きっと、推理小説の読み過ぎね。真剣に明日香の事考えてるのに…。             それより早く、ご飯食べましょうよ」

逆光の中、紗月が笑っているように見えたのは、錯覚であったのか?

必要以上に知らなくても良い事が、人生には多くありそうである。


達也は、金村翔一には、手渡しではなく明日香の名の郵便で送ることにした。

単純な『Love Letter』の可能性もあるし、そうでないことも考えられる。

しかし、もう真実を知ろうとも思わない。


 所詮、夢の通りであったとしても、達也自身が直接手を下したかも知れない蓮司と、憎き紗月の夫がこの世からいなくなったことを考えれば、明日香と翔一、そして紗月と達也にとっても、ハッピーエンドでしかないのだ。直美に、最終的に立案者として多額の金が渡ったとしてもだ・・・。


 達也と紗月の初々しくも楽しい食事が終わると、11時前には『ランプの宿』を後にすることが出来た。『PRADO』を新高岡の同系列の営業所で、乗り捨てる。

「良い相棒だったよ。この車は・・・。随分頼りになったな」

「そうみたいね。今度は達也の助手席に乗せてもらって、湘南の海沿いを一緒にドライブしたいわ。お洒落な『ristorante』もいっぱいあるし…」

「了解です! ただし条件があるけどな・・・」

「何かしら……」

「それは・・・、僕と一緒に毎日朝食を食べてくれるというのが条件だよ」

「嬉しい!私もそう思っていたところよ。もうあのマンションには帰りたくないもの」


 新高岡発東京行きの北陸新幹線は、15時01分発はくたか566号である。

「紗月、まだ5分ほどあるから、電話を一本を掛けさせてくれ」

「ええ、どうぞ……」

達也は、予め聞いておいた金沢東署の内線番号に掛けた。相手は、生活安全課課長

の一ノ瀬真由美である。

「捜索願いの出ている貴船明日香さんの車を発見した者ですが・・・、」

「……、たぶん…、上条警部補ですね。ご苦労様でした」

「・・・分かってしまいましたか」

「ええ、警部補の声だって、すぐに分かりました」

「それは、どうしてですか?」

「それを私から言わせるのですか?……」

「・・・いいえ、・・」

「では、ご想像にお任せしますわ…」

達也は、時間が気になった。話を本題に戻した。


「一ノ瀬課長・・・、明日香の乗っていた車に間違いないと思われます。赤い『DEMIO』でしたから。発見場所は、『狼煙道の駅』駐車場北側の木々の真下あたりです」上条は、いたって事務的に説明をした。


「貴船さんは、乗っていなかったのですね」

「そうです、発見出来ませんでした」

「警部補、その先に禄剛崎の断崖が広がっているのをご存じですか?」

「ええ、知っています。でも、ここではないと思ます・・・」

「なぜ、そのことがお分かりに…、」

「私にも分かりません。ただ、元亭主の勘と言いますか・・・」

「では、署としてもご両親と相談したうえでの捜索という事で……」

達也は、まだ十分に冬の寒さを引き摺っている気候の中、みすみす無駄になる仕事を署員にさせたくはなかったのである。同じ警察官としての配慮であった。

「一ノ瀬課長、後のことはよろしくお願いします」

「分かりました。お気を付けて…」

「ありがとうございます・・・」

 

定刻通りに、東京行きの新幹線がホームに滑り込んで来た。お互いの声が聞き取りにくくなる。

「もしもし…、今、どちらからこの電話を……」

「・・・新高岡からです。では、また7年後にお会いすることになるかも知れません。それまで、お元気で・・・」

「………? 警部補、それはどういう……」

二人を乗せた新幹線が滑るようにホームを離れて行く。

明日からは、3月である。季節は確実に春へと向かっているのだ。決して後戻りは出来ない。上條達也は紗月の手を強く握ると、眼は真っすぐと未来に向けられていた。




 FERMATA(フェルマータ)

 





  あとがき・・・


 『junko』さんをはじめ、『まさぽんた』さん、『Eternal-Heart』さん、そしてその他の大勢の皆さん、お忙しい中、そして貴重な時間を使って読んで下さり、ありがとうございました。応援が何よりの力となりました。


 正直、連載って難しいですね。一か月に渡って書いて来ると、精神状態が明らかに違ってくるのです。最初は単純な恋愛小説のつもりが、終わりには探偵ミステリーのような物語に変わって行ったり。今回も多少の『あれ?』には、温かい目でよろしくお願いします。

 

『狼煙の灯台』には行ったことがありますか? 僕は、車で能登半島を4,5回まわった経験があるので、その当時のことを思い出しながら書いてみました。

半島の先端がどうなっているのか、とても気になるのです。伊豆半島もしかり、小さな三浦半島でさえもです。何か、神々しい感じがして・・・。

金沢も歴史のあるいい街ですね。今度訪れたら、大手町の『和菓子金村』でお土産を買ってあげて下さい。実際にあるか、どうかはわかりませんが。



『雪の果て』という題は、書き終わったころには、春の訪れを感じているころだろうとの思いから付けました。決して暗い印象ではなく、明るい希望に満ちている未来という意味ですが。 僕自身、今回初めて知った言葉です。何か、記憶に残るというか・・・。


今回も、結末には正直悩みました。気持ちとしては、綺麗な恋愛小説として終わりを迎えたかったのです。あこがれもありますしね。(笑)             その場合は、epilougueまであえて読まない手もあるのですが・・。え、もう遅い?読んで仕舞われたのですね。(ゴメンナサイ)


またまた、主人公の上条達也さんが刑事さんだったとは・・。この辺のことは『junko』さんが良く知っていると思いますよ。何しろ耕太郎は、刑事さんや探偵さんに過剰労働を強いますから。解決した後には、美味しいものを食べて頂き労をねぎらっていますが・・・。

『まさぽんた』さんには、まだ未読でしたら『女刑事 成宮綾乃』をお勧めします。

何しろそのバイタリティーには、作者ながら敬服であります。


最後に伝えておきますが、epilougueは、達也さんの夢の中の出来事ですからね。 結末は、読み手の皆さんの解釈にお任せします。

お付き合い、ありがとうございました。

今後とも、よろしくお願いいたします。



 笹岡耕太郎

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雪の果て 笹岡耕太郎 @G-BOY

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