エピローグ 名探偵の憂鬱
名探偵の憂鬱
その男は、いつもふらりと現れる。
「今日は視察の帰りだ。近くまで来たから寄らせてもらったぞ。田舎道を通ったせいか、少しばかり疲れた。余り物でいいから酒と肴を出してくれ」
やれやれ。
皇帝をもてなすのに、余り物で済むわけがない。
「李光、悪いな。また頼む」
「はい、先生。お安い御用です」
李光は妻を娶ってから、また一段と頼もしくなった。
特にあの、明鈴という妻がいい。気働きができる上に如才ない。李光が自分の右腕なら、李光の右腕は明鈴だ。夫の指示を待つよりも早く、いつの間にか動いている。
趙良は皇帝を部屋に通すと、まずはぬるめの茶を出した。
給仕をする美女たちは近隣の町や村から集めた者たちだ。
この屋敷で働けば、嫁入り修行をしながらお金がもらえる。そんな評判が広まったおかげで、最近は人集めにも苦労しなくなった。
もちろん、給仕をするだけで皇帝が手を出すことはない。よほど気に入った娘がいれば、後宮に入るようお声がかかる。それもまた、隠れた人気の秘密だ。
「趙良様、お久しぶりです」
皇帝に随行してきた天佑が声をかけてきた。
「おお、中常侍殿。お元気でしたか。聞いていますよ。最近は陛下に色々と連れ回されているのでしょう」
「おかげさまで、忙しくしております。ところで……」
天佑は皇帝の方をチラリと見た。美女たちをからかって楽しんでいる。
少しは自由になる時間がある。そう判断したのだろう。
「不躾ですが、前から趙良様に聞いてみたかったことがあります。この場で伺ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ。天佑殿は妻の命の恩人です。何でもお聞きください」
「あの事件で、私は見殺しにされる覚悟をしていました。もちろん、趙良様なら自分の功績を盾に陛下を説得することもできたでしょう。でも、それでは陛下を言いなりにした危険な人物と思われることになります。
それでは自分の身が危ない。だから私を切り捨てるのが最善の策だ。一流の軍師なら必ずそう考えるだろうと思っていました。
でも趙良様は、あの推理ショーという前代未聞の仕掛けで全てを得てしまいました。皇帝陛下も貴妃様たちも納得し、楽しみ、趙良様のことは恐怖よりも娯楽を提供した
私は知りたいのです。どうしてそんなことができたのか。軍略家として、私のような凡人と何が違うのか。ひとつ、ご教授を願えないでしょうか」
真剣な目だ。
この人物のいる間は帝国も安泰だろう。
歴史を振り返るまでもなく、王朝の衰退は後宮の乱れから生じる。その主役はいつも寵妃と宦官だ。
「答えは、天佑殿の問いの中にあります」
「私の問いに?」
「天佑殿は最初に、一流の軍師ならは自分を犠牲にするはずだと考えました。これは戦術上の定石のようなものです。でも、むしろ定石を知っていたために、天佑殿の思考はそこで止まってしまっていたのです。
圧倒的に有利な状況であれば、ただ定石をなぞれば事足ります。ただし不利な状況で勝つためには奇策が必要です。もちろんバクチにはなりますが……あなたの命にはその価値があると判断しました」
「なるほど、梁の国の軍師たちが束になっても勝てなかったわけだ。完敗です。趙良様と知略で競おうとした私が愚かでした」
「いや、そうでもありません。私が天佑殿を恐るべき人物だと言ったのは本音です。あなたはもう、軍師として一番大切なものを持っていますよ」
「大切なもの?」
「自分の感情で戦略上の目的を見失わないことです。古来より多くの軍師がそれで失敗してきました。……前の中常侍、曹高殿もそうです。ただの思いつきを奇策だと勘違いし、そこから先に駒を進めてしまいました。『策士、策に溺れる』とは、あのようなことを言うのです」
天佑は深々と頭を下げて、皇帝の側に戻っていった。
もちろんこの男の本当の名前も知っている。
「おおい趙良、そろそろコッチに来い。そうだ、おまえの妻をわしに見せてくれ。子ができたのだろう。腹を見て、男か女か当ててやる」
「呼んで参ります。少しだけお待ちください」
小さくため息を漏らしながら、趙良は妻のいる部屋に向かった。
気配を察したのか、部屋に入った時には文月はもう立ち上がっていた。大きなお腹に手を当てている。
一緒になってから、文月は驚くほど綺麗になった。欲目ではなく貴妃にも負けないだろう。好色な人間の目にさらすのが、単純に男として面白くない。皇帝陛下でなければ無視するところだ。
「旦那様。陛下がお呼びなのでしょう」
「理解が早くて助かる。戯れに酒をすすめられるかもしれないが、絶対に飲むなよ。いや、飲んだふりをして吐き出すのがいいか。ともかく面倒臭いお方だ。適当に下がらせていただくように言うから、それまで辛抱してくれ」
「はい。私も趙良様の妻です。この子のためにも失敗はいたしません」
女というものは、子ができるとここまで変わるものなのか。以前のオドオドしたような態度は微塵も感じられない。
もともと賢い女だ。足りないのは自信だけだった。それくらいはわかっていたが、妻の変化は趙良の想像を遥かに超えていた。
愛しさに耐えられなくなり、趙良は後ろから文月を抱いた。腹部に当てている妻の手に、自分の手を重ねる。
「頼むぞ。これもこの子のためだ。……そうだ。陛下はたぶん、この子は男だろうとおっしゃるだろう。そうしたら国家を支える家臣になれるよう、立派に育てると言ってくれ。そうすればお喜びになる」
「そんなことがわかるのですか?」
「本当にどっちが産まれるかは私にもわからん。だが、陛下は私の家系が、将来的に味方になるかどうかを知りたいはずだ。それならば女だろうと言っても意味がない」
「趙良様はなんでもご存じなのですね」
そうでもない。
本当にわからぬのは、おまえの心の中身だ。
感情は知性を鈍らせる。特に男女の愛情は、それ以外のことを盲目にしてしまう。それを知っているから、今まで女性と親密になるのを避けてきた。
でも、今ではそれも構わないと思うようになった。
妻子にべったりの趙良という間抜けな男がいる。それを外から眺めながら策を練るのも、また楽しいものだ。
皇帝陛下への妻のお披露目は、おおむね予想どおりに進んだ。
皇帝からすすめられた酒は、機転を効かせた明鈴が代わりに飲んでくれた。想定された問答が済むと、上機嫌になった皇帝は趙良の肩をつかんで横に座らせた。もう、相当に息が酒臭い。
「……それでだな、趙良。天下の大軍師にひとつ頼みがある」
来たな。
趙良は身構えた。
どうせ、ここに寄ったのもそれが理由だろう。そして、皇帝が頼み事をする時は、例外なく面倒事だ。
「実は、徐州で優秀な官吏が殺された。清廉な男だっただけに、どうやら地元の裏社会と対立していたらしい。宰相が動いてくれているが、事件の真相は闇の中だ。
このまま放置しておいては国家の威信に関わる。どうだ、探偵として、また調査をしてくれぬか」
「そんなこと、宰相殿に任せておけばいいでしょう。裏社会が関わっているなら、別の罪でどんどん摘発すればいいのです。そのうちに組織が弱まってきて、こちらの言うことを聞くようになります」
「これは宰相からの頼みでもあるのだ。天下の名探偵、
裁きはわしが直々に行う。後宮の女どもも楽しみにしているようだ。どうだ、全て良いことずくめではないか」
「また、私に女装をさせるつもりですか」
皇帝はにやりと笑った。
「……だが、その前にもう少し体を絞った方がよいぞ。妻を持ったせいか、少し太ったようだ。できればわしは、おまえを麗人探偵として宣伝したい。そのためには、おまえにも気合を入れてもらわなくてはな」
最初から、話を聞く気はないな。
長い付き合いだからわかる。こうなったら抵抗は無駄だ。
「わかりました。ですがもう、後宮から女性をいただくのはごめんですよ」
「わかっておる。その代わりに報酬として、これから生まれてくるおまえの息子に、わしの娘をやろう。天下の大軍師と縁戚になれば帝国は安泰だ。これからもよろしく頼むぞ」
趙良はうんざりした。
美女よりも、こっちの方がよほど難問だ。
それでも臣下の立場ではこう言うしかない。
「身に余る光栄です。この趙良、陛下の御世の繁栄のために、これからも全力を尽くして参ります」
【 完 】
【後宮の麗人探偵】〜後宮でなぜか名探偵の助手をやっています〜 千の風 @rekisizuki33
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