16 処罰と報酬

処罰と報酬

「趙良よ、ご苦労だった。後はこの始末をどうつけるかだな。……貴妃たちよ、安心して良いぞ。もう、おまえたちに罪が及ぶことはない」


 皇帝の言葉で、緊張がどっとゆるんだ。

 貴妃様たちの話し声が聞こえる。特に秋貴妃様は、まわりの人間に片っ端から話しかけていた。明鈴も迷惑そうだ。


「さあ、お立ちください」

 李光さんが引き上げるように手を貸してくれた。


「どうしよう。趙良様が、趙良様が天佑さんを処刑しろって……」


「あなたも助手なら、先生を信じてください。私は先生を信用して失望したことは、ただの一度もありません」


「でも……」


「李光、おしゃべりが過ぎるぞ。今から皇帝陛下が裁定をくだされる」


 趙良様の言葉のとおり、突然、皇帝陛下が立ち上がった。ゆるんでいた空気が、また一瞬にして引き締まる。


「剣を持て!」


 最初から用意していたのだろう。後ろに控えていた武官が、一振りの剣を皇帝に差し出した。柄や鞘に翡翠があしらわれた美しい宝剣だ。剣を受け取ると、皇帝はそれを右手に持って中常侍様の前に突き出した。


「曹高よ、おまえにこの剣を授ける。明日の夕刻まで時間をやろう。自らの手で後宮の混乱を収めるが良い」


「はい。謹んでお受けいたします」


「おまえは後宮のためによく尽くしてくれた。そのことには感謝する。今までご苦労だったな」


 この剣に、どのような意味があるのだろう。


 宮女や宦官の中には、そんな当惑の表情を浮かべる者もいた。

 だが、歴史オタクの文月にはわかる。主君が臣下に剣を与えるのは、それで自決しろという意味だ。春秋時代の名将、伍子胥はそうやって自ら命を絶った。


「さてと、次は天佑。おまえの処分だな」

 皇帝は天佑さんを見た。


「皇帝陛下のお心のままに。私はどのような処分でもお受けいたします」


「趙良は殺せと言ったが、わしはそれだけでは足らぬと思う。おまえは曹高の陰謀の原因を作った。それならば、後始末もおまえの役目であろう。……曹高は明日中には死ぬ。おまえには曹高亡き後の後宮を取り仕切ってもらいたい」


「わ、私が。中常侍様の後を……」


「不服か。だが、これは勅命だ。辞退は許さんぞ。天佑。おまえには明日から、中常侍の職を命ずる。二度と、このようなことが起こらぬよう後宮に目を光らせろ」


「はっ、はい。陛下。命に代えまして」

 天佑さんは、まだ信じられないような顔をしていた。


 そうか。ようやくわかった。

 趙良様はわざと逆のことを言ったんだ。

 皇帝が、臣下の言いなりで処罰を決めたのでは格好がつかない。特に許す場合は、自分の度量を見せつける必要がある。


 名軍師は相手の考えの、先の先まで読んで結果に結びつける。

 それが趙良様だ。一瞬でも疑った自分が恥ずかしい。


 また、部屋の中に音楽が流れ始めた。

 趙良様が指示したのだろう。


「ご英断でございます。私の浅慮など、遠く及びません」


「あまり褒めるのはよせ。皮肉に聞こえるぞ。……それにしても趙良よ、実に楽しいひと時であった。さすがは中華一の名軍師だ。いや、今宵だけは名探偵と言うべきであろうな。

 この余興の締めくくりとして、わしから褒美を与えよう。覚えておるだろう。わしはおまえに後宮の美女を誰でも良いから一人、与えると約束した。意中の女がいるのなら、この場で言うがよい」


 遂にその時が来た。

 文月は、ぎゅっと手を握りしめた。

 自分には関係ない。趙良様は雲の上の世界にいる人だ。そう思ってはいても、心の乱れはどうにもならない。

 

 趙良様に選ばれる幸運な女性は誰だろう。

 皇帝陛下がわざわざ誰でもよいと念を押したのだから、貴妃様クラスの美貌の持ち主に違いない。どう考えたって末端の宮女には縁のない話だ。


「皇帝陛下、願わくばこの娘を。……文月ウェンユェを私に賜りたいと思います」


 一瞬、耳を疑った。

 えっ? えっ、えっ、えっ。

 まさか。ありえない。冗談に決まってる。


「何? 今、何と言った」

 驚いて当然だ。皇帝陛下の声も少し裏返っている。


文月ウェンユェを賜りたいと申しました。後宮の女性なら誰でもよいとのお約束です」


「それは構わぬが、どうしてこの娘なのだ。悪くはない器量だが、これくらいの女なら後宮には山ほどいるぞ。まさか、このわしに気をつかって当たり障りのない女を指名したのではないだろうな」


「滅相もありません。人の価値は、その人物が何を求めるかによって違ってきます。私は軍師として陛下に見出されましたが、矛や槍を使って戦う能力では雑兵にも劣るでしょう。

 文月は賢く、心根の真っ直ぐな女です。その上、信義のためなら自分の身さえ顧みない芯の強さがあります。それは皇帝陛下もご覧になったはずです。

 私にとっては、彼女こそが奇貨なのです。これまでに美しい女性は数多く見てきましたが、心を動されたことはありませんでした。この機会を逃してしまえば、私は生涯、妻を持つことはかなわないでしょう」


 つ、妻! 今、妻と言った!

 きゃあ、どうしよう。


 文月は天にも昇りそうな気持ちになった。

 でも、冷静になれ。趙良様のことだ。何か別のお考えがあるのかもしれない。


 頭の中に、さっきの皇帝陛下の言葉が蘇った。

 そうだ。ダミーだ。


 趙良様は、後宮の美女を押しつけられるのを嫌がっている。だから提案を断る代わりに、わざとどうでもいい人間を指名したんだ。そうに決まっている。

 でも……それでも嬉しい。一生ぶんの夢を見せてもらった。利用されただけで捨てられてもいい。この言葉だけで、ずっと幸せでいられる。

 

「まあ、わからんでもないが……わしの立場も考えろ。ただの宮女を下げ渡しただけでは、褒美をやったことにはならん。そうだ。それならば別に、もう一人選んではどうだ。なんなら二人でも良い。わしに遠慮することはないぞ」


「何人もの妻を持つのは、私の手には余ります。美女に囲まれて過ごすのは、陛下のように度量の広い方にこそふさわしいものです」


 趙良様はそこで、急に文月の方を見た。

 きゅん。まるで少女のように胸がときめく。

 凛々しいお顔だ。女なら誰でも、見つめられただけで昇天してもおかしくはない。その尊い唇が、自分のためだけに動く。


文月ウェンユェ、私の妻になってくれ。大切にする。生涯、命をかけて守ると約束しよう。私と一緒に暮らしてはくれないか」


「はい。はい、はい……」

 涙が流れてくる。これほどの幸せに浸ることが、許されていいのだろうか。

 

 ははははは。笑い声が響く。皇后様だ。

「陛下、ここまで惚気のろけられたのでは仕方がないのではないですか。この変人がようやく身を固める気になったのです。趙良に嫁を取らせてしまいましょう。褒美が足りなければ、その女にくれてやれば良いのです。それならば、趙良も嫌とは言わないはずです」


「なるほど……わしも趙良が選んだ女が、何を望むのかを知りたい。いいだろう。文月よ、おまえに褒美をやろう。何でも好きなものを言うがよい」


「い、偉大なる皇帝陛下。恐れながら申し上げます」


 今度は言えた。

 無礼を咎められてこの幸せを壊してしまったら、死んでも死にきれない。


「皇帝陛下には、先ほど天佑さんを救っていただきました。それだけでも私には身に余る栄誉です」


「自惚れるでない。あれは、わしが決めた判断だ。断じて褒美などではない。皇帝が宮女に言われて処罰を変えることなど、あるわけがなかろう」


 文月は頭が真っ白になった。

 それはそうだ。でも、何かを言わなければならない。まだ皇帝の御前だ。幸せボケに浸ってる場合じゃなかった。

 肩の上に何かが載った。

 あ、ああっ。趙良様の手だ。


「思う通りのことを言えばいい」


「お、恐れながら申し上げます……」


「そんなに何度も恐れなくても良いぞ」

 皇帝陛下に笑われた。でも突き進むしかない。


「私には明鈴という同郷の大切な友人がいます。今は私と同じ秋貴妃様のところで、侍女をしています。その明鈴の後宮での任を解いてください」


「雑作もないことだが、それだけでは褒美にはならんぞ。もっと大きなことを言え」


「そ、その。明鈴はイケメンのお金持ちと結婚するのが夢なんです。趙良様の弟子の李光さんが好きみたいなんですけど、貧乏みたいで……だから褒美は李光さんにあげてください。李光さんをお金持ちのイケメンにしてください」


「バ、バカ! 文月、何てこと言うの」

 明鈴の声がここまで届いた。


「えっ、もしかして。ダメだったの?」


「当たり前でしょ! まだ李光様のお気持ちも聞いてないのよ」


 うわああぁ。またやってしまった。


「くっ、くっ、くっ。趙良よ。おまえの女はとんでもない天然だな。いやあ面白い。笑わせてもらったぞ。余興の最後を飾るのにふさわしい出来だ。……趙良の弟子、李光に五千戸の領地を与える。イケメンは、そのままでも十分であろう。文月、それで良いな」


 どう返事をしたのかは覚えていない。

 ただ、その後すぐに趙良様が優しく肩を抱いてくれた。その感触、温かさが文月の記憶のページに永遠に刻みこまれた。

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