黒幕の正体

 証拠を? これから明らかにする……。


 文月はパニックになった。

 何も聞いていない。それどころか想像もつかない。

 いくら趙良様でもあんまりだ。ここで皇帝陛下の期待を裏切ったらタダでは済まない。そんなことは、どんな世間知らずだってわかる。


「文月、私が前に番号を聞いたことを覚えているだろう。例の銀の延べ板のことだ」


「はっ、はい」


 いけない。趙良様が聞いている。

 銀? えっと、銀がどうしたんだっけ。延べ板。番号……。


 文月は突然、思い出した。

 あれは皇后様のお屋敷に預けられる直前のことだ。

 見た物を再現できるくらいに記憶している。そう言った後、ついでのように聞かれたことがある。

 そうだ。千から始まる三つの数だ。


「千四百二十二。千四百二十五。千四百二十六……」


「なんだ、それは」


「私がこの娘に初めて出会った日のことです。秋貴妃様の命令で中常侍殿に贈り物を届けようとしていた文月は、うっかり途中で転んでしまいました。中身は輝くばかりの銀の延べ板だったそうです。

 よほど強い印象を受けたのでしょう。文月はその瞬間の出来事を頭に焼き付けてしまったそうです。何かその銀の延べ板に特徴はなかったかと聞いたところ、その三つの数を口にしました」


「一瞬で、その番号を覚えたのか?」


「えっと、いいえ。それとは少し違います。たとえば頭の中に焼きつけた何十枚もの絵を、後でじっくりと眺めたような感じでしょうか。もちろん視界に入っていた部分だけしかわかりません。銀の板はもっとありましたが、記憶の中にあった数はその三つだけでした」


 ん……えっと。うわっ。

 こ、こ、皇帝陛下に直答してしまった。

 気づいたら急に寒気がしてきた。貴人と言葉を交わす時には、先に許可をもらうのが礼儀だ。不敬罪で首を斬られたらどうしよう。


「大丈夫だよ。陛下はそんな小さいことは気にされない」

 趙良様に優しく耳元でささやかれ、今度は一気に体中が熱くなった。寒くなったり熱くなったり。もう、頭がおかしくなる。


「確かに凄い記憶力だ。だが、それが実際の事件とどうつながるのだ」


「国営の鋳造所では延べ板に通し番号を刻印します。同じ物は二つとありません。

 そしてこれが、程陽と小猫を殺そうとした連中の隠れ家で押収した銀の延べ板です。この部分をご覧ください。今、私の助手が言った番号が刻印されています」


 李光さんが銀の延べ板を、皇帝の席まで運んだ。刻印の部分を見やすいように角度を変える。


「……なるほど、わしにもわかったぞ。その銀の延べ板が中常侍の物であることは間違いない。つまり殺害を指示した動かぬ証拠というわけだ。

 なるほど。実に素晴らしい才能だ。趙良が選んだだけのことはある。文月とやら、おまえにも後で褒美をやろう。何か考えておくが良い」


「ま、まさか。そんな……」

 中常侍様はその場に崩れるようにうずくまった。


「あり得ない。あり得るはずがない。文月が贈り物の箱を落としていた……そんなのはただの偶然だ。予測できるわけがない。そんなことまで、どうして趙良様は知っていたのですか」


「私は文月に初めて会った日、教育のために推理を披露していました。服装の乱れや汚れから行動を予想して、転んで箱を落としたことを言い当てて見せたのです。

 その後、文月が文章以外にも驚異的な記憶力を持っていると知った私は、試しに落とした延べ板の通し番号を覚えているか聞いてみました。資金の流れを追うのは捜査の基本です。そのこと自体は特別なことではありません。

 狙いどおりに銀の延板が出てきた時には、正直、私も驚きました。これこそが天命というものでしょう」


「私は天にも見放されていたのですか。……いや、それも文月を殺そうとした報いかもしれません。

 信じてはいただけないでしょうが……文月のことは、本当に孫娘のように思っていたのです。刺客が返り討ちにあったと聞いた時には、心の底では、ほっとしていました。私の運命は、その時に決まっていたのでしょう」


「中常侍様……」

 文月の頭の中で鮮明な記憶が蘇った。


 本を取り寄せてくれた優しい中常侍様、笑って下さったお顔。侍女としては落第の文月が後宮の中で伸び伸びと暮らせたのも、全て中常侍様のおかげだ。


「曹高よ。わけを話せ」

 その時、皇帝は初めて中常侍様のことを名前で呼んだ。


「陛下もご存じのとおり、私は前の主人の時代より後宮に仕えておりました。自分だけが生き残ったことへの罪滅ぼしのつもりで、後宮の内外で、梁の国の遺臣や孤児の面倒をみていました。程陽や、文月のそばにいる天佑もその中のひとりです。

 ある日、天佑から程陽が酷い目にあっていることを知らされました。下級の美人ひとりを追放することなどたやすいことでしたが、程陽は自分のことはいいから小猫を助けてくれと願い出たのです。いくら私でも冬貴妃様の侍女には手を出せません。そこで……いろいろと考えているうちに魔がさしたのです。

 冬貴妃様を毒殺しようとしたふりをすれば、皇后様が疑われる。外戚の力が弱まれば宦官の権限はもっと強まる。力のない宦官など虫ケラと同じです。私は自分の立場を守りたかった」


「天佑というのは、おまえか」

 皇帝は次に天佑さんに声をかけた。


「はい。皇帝陛下」


「おまえは何をした?」


「程陽のことをお知らせした後は、中常侍様の指示で文月殿を守っていました。趙良様の監視という意味もあったでしょうが、中常侍様も最初は、本当にそのつもりだったのだと思います。でも、趙良様に段々と追い詰められていくと少しずつ風向きが変わってきました。

 殺害の命令が出ることを恐れた私は、文月殿と誓いを交わしました。

 その誓いにより、中常侍様の放った刺客を返り討ちにしたのは私です。文月殿は宦官の私のことをおとこと呼んでくれました。それが身の破滅につながったとしても、彼女の命を救ったことは後悔していません」


「誓いか……面倒なことを」

 皇帝はため息をついた。


「おまえは中常侍を裏切ったわけではない。信義に基づいてこの娘を守っただけだ。つまりは、そう言いたいわけだな」


「ごまかしと思われても仕方がありません。しかし、私は誇りを失いたくなかったのです。どうせ、こうなることはわかっていました。どうかこのまま首をお刎ねください」


 天佑さんが……、天佑さんが殺されてしまう。

 考えるより先に体が動いていた。

 文月は皇帝陛下との間に入って、床に頭をこすりつけた。やってしまった。もう取り返しはつかない。


「お願いです。天佑さんをお救いください。せめて命だけでも……。ご褒美などいりません。罰を与えていただいても結構です。天佑さんを殺さないでください」


「ほう、なるほど。……確かに記憶力がいいだけの女ではないようだ。少なくとも、守るだけの価値はあったな」


「はい。これで胸を張って死ねます」


「まあ急ぐな。……ところで、曹高よ。この宦官はおまえの陰謀には、どの程度関わっている」


「何も。程陽の苦境を知らせてくれただけです。ただ頭抜けて優秀な人間ですから、全てを悟ってはいたでしょう。私は天佑に文月を守るように命じました。直接の関わりはそれだけです」


「趙良よ。おまえはどう思う」


「優秀な人材という点では、中常侍殿と同じ意見です。私は陛下に見出されて名を残すことができました。もし梁の国にも陛下のような方がいれば、この男も恐ろしい軍師か将軍になっていたことでしょう。そう思うと肝を冷やします。

 ただし、この人物は私の手には余ります。後宮の混乱を収める役としては適任かもしれませんが、並の人間には、心から従うことはないでしょう。妙な色気を出さずに殺してしまうのがよろしいかと思います」


 えっ、今。趙良様は何と……。

 殺してしまえ。

 その冷たい言葉が頭に反響する。床に膝をついたまま趙良様を仰ぎ見たが、その表情からは何の感情も読み取れなかった。

   

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