元王太子、現商人

池中 織奈

元王太子、現商人


カランっとベルが鳴り、扉が開く。



「いらっしゃいませ」

「ウェリッセさん、こんにちは!」


 此処はツドア王国のシルフイン商会の本部。その場所で、俺、ウェリッセは働いていた。


 商人として働き始めて七年、すっかりここで働くことに俺は慣れている。



 お客さんへの接客や仕入れなど、このシルフィン商会で多くのことを任されていて、充実感に満ちた日々を過ごしているのだ。





 お客さん対応をしながらも、楽しく過ごす。

 そうしていれば、「ウェリッセ!!」と、そう言いながらシルフィン商会の長の娘であるアポローナがその場にやってきた。


 アポローナは俺が七年前に路頭に迷っていた時に俺を拾ってくれた相手であり、俺の妻にもあたる女性だ。

 藍色の髪と、赤い瞳を持つ意志の強い女性で、俺は大変アポローナのことを好いている。



「アポローナ、おはよう」

「ええ。おはよう」

「今日はご機嫌だね、どうしたの?」

「ふふ、オーセドリ王国の噂を聞いたのよ」

「……ああ、何かあった?」

「まだ若い王子が跡を継いだらしいわ。ふふ、神童と呼ばれた王太子から王太子という立場を取り上げた王が、さっさと引退なんて面白いわよね」

「……どうしてそんなに早く王位を王子が継ぐことに?」

「まぁ、神童と呼ばれていた血の繋がらない兄のことを知ったんじゃない? 神童と呼ばれた王子が王国からいなくなった際に、当時幼かった王子も、七年も経てば神童と呼ばれていた王太子―――貴方が何で王国からいなくなったかぐらいわかるもの。あ、ちなみに国王は元気よ。元気なまま説得されて王位を譲ったみたい」




 アポローナはそう言いながらくすくすと笑っている。



 俺の故郷の情報だからこそ、アポローナは俺にその情報をくれたのだろう。

 そう、俺は昔、完璧王子などと言われていた王太子だった。オーセドリ王国を継ぐ予定だった。




 だけど――俺の世界はある日がらりと変わってしまった。




 きっかけは、王妃であった母上がなくなった事だった。

 母上は下級貴族の出だった。本来ならば王妃になんてなれない立場だったけれども、父上と学生時代に大恋愛をして王妃になったと聞いていた。


 桃色の髪と、青い瞳を持つとてもかわいらしい人だった。

 俺は母上のことも、父上のことも好きだった。

 俺のことを慈しんでくれていた母上と、俺と母上を大切にしてくれていた父上。俺は彼らが大好きだった。

 俺は子供のころから出来が良いと言われていて、自慢の息子だと言われるのが誇らしかった。



 だけど、あの日。

 九歳の誕生日に、母上がなくなった。



 亡くなった瞬間から、俺の中での全てが変わってしまった。

 父上が、母上と俺を冷たく見た。

 それは父上だけじゃなくて、まわりだってそうだった。



 ……俺の母上は、父上や周りに魅了の魔法を使っていたらしい。

 そのことが母上の死をもって、周りに露見した。言ってしまえば俺は母上に魅了の力を使われたが故に、父上が母上を愛し、産まれた子供だった。



 それから俺を可愛がってくれていた父上は、俺のことが嫌いになったのか、接し方が分からなくなったのか、俺に近寄らなくなった。

 それだけじゃなくて、王宮に仕えるものたちだってそれまで俺のことを神童だとか、王太子だとかそういって持ち上げていたのに、そういう風に言うこともなくなり、俺の周りから人がいなくなった。


 王の息子という立場でありながら、寧ろ俺に冷たくする者の方が増えた。

 正直、突然変わってしまった自分の世界に俺は戸惑い、悲しかった。だってあんなにやさしかった母上が、自分の意志で人の意志を曲げるような魅了の魔法を使うなんて思ってなかった。

 そして例えきっかけが魅了だったとしても、愛し合い、子供までなした死した相手を悪くいう父上も、何とも言えない気持ちになった。俺に対する愛情が全て嘘だった……とは思えなかった。

 

 でもしばらくしたら後継者問題もあったから、父上は側室を取って、すぐに男の子が生まれた。

 王太子の地位はその弟のモノになった。

 そして俺はそれから八年後の、十七歳の時に飼い殺しされる日々を抜け出したくて、王位継承権を放棄する旨と、自分を死んだことにしてほしいということを手紙に書いて、王宮から抜け出した。


 そもそも幾ら昔に神童と呼ばれていようとも、すっかりそのころには王に見捨てられた王太子でしかなかったので、抜け出すことは簡単だった。しばらくは探されていたらしいが、まぁ、すぐにアポローナに拾われていたので、見つかることはなかった。


 というか、探してどうするつもりだったかも謎だし。

 その後、父上――オーセドリ王国の国王がしばらく腑抜けていたっていう噂も聞いていたけれども、元王太子という立場の俺にとってみればどうでもいい話だった。





 そういえば、王宮から出る前に母上の日記を見た。

 その日記には、『魔女』から「貴方が幸せになるための手助けをするもの」として、魅了の効果のあるものを受け取っていた旨が書いてあった。母上はやっぱり自分の意志でそれを行ったわけではなく、ただただ王妃になるには純粋すぎる人だったからそれをそのまま受け取っていたのだろうと思う。

 母上が死ぬまで続いた魅了の魔法――それは多くの人の人生を惑わしたわけで、決して母上が悪くないなんて言うことは出来ないけれど、それでも俺は母上を憎めないし、母上が死ぬその瞬間まで幸せっでいられたことは良かったと思っている。



 もっと早くに魅了の魔法をを母上が自分の意志で使っていないことがわかれば父上と話したかもしれないけれど、その時にはすっかりのちの王妃になった女性と仲よくしていたから、そういう話はしなかった。

 母上が死んだ後から、俺と父上の距離は離れていて――なおかつ新しい王妃は俺が王位を継ぐことがないと分かっているだろうに、俺に嫌がらせばかりしていた。そういう女性をえらんだ父上に幻滅していたのもあったのかもしれない。




 そして王太子であることをやめた俺は、すっかり商人として生きている。




「オーセドリ王国が貴方を捨ててくれてよかったわ。貴方が王太子のままだったら絶対に結婚出来なかったもの!!」

「はは、そうだね。確かに、王太子のままで王位を継いだなら結婚相手は貴族だっただろうから。王宮を出た時は、未来に対する不安もあったけれどアポローナに出会えて本当に良かったよ」



 アポローナの言葉に、俺はそう言いながら笑った。

 俺が王太子であったことは過去のことだ。王位を継ごうと頑張っていた日々も、過去のことだ。

 だけど、その過去に頑張ったことはこうして今の商人生活に役だっている。


 勉強したことは何一つ無駄ではなく、俺の人生は王太子になれなかったからといって陰りがあるものになるわけでもない。




 母上が魅了を使ったから、俺はこうして商人になった。でも母上が魅了なんて使わなければそもそも俺は産まれなかったかもしれない。

 例え母上と父上が愛し合っていたとしても、その力がなければ王妃になることは許されなかったかもしれない。

 九年間の、母上と父上に愛された子供時代は、今では夢のようだけど、俺にとっての大事な記憶でもある。



 母上に対しても、父上に対しても、憎しみ何て感情はない。ただそれを大事で懐かしい思い出として思い出しているだけだ。



 きっと俺はもう、オーセドリ王国と関わる事なく生きていくことだろう。




「アポローナ。王になれなかった俺を、商人として立派にしてくれてありがとう」

「ふふ、お礼なんていいのよ。とても優秀な子が困っていたら助けるのも当然だったもの。それに貴方はとても好みだったから」


 嬉しそうに、恥ずかしそうに笑うアポローナを見ながら俺は幸せだなとそんなことを思うのだった。






 ――それからしばらくして会ったこともほぼなかった王位を継いだ母親違いの弟がやってきたり、

 ――王位を退位した父上がやってきたり、なんてことがあるだが、それはまた別の話である。






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