第17話 infinity

「な~るほどね……」

「てっちゃん……それ神様じゃなくて、神隠しだよ……」

 みやびの顔が青ざめている。

 その横でトボケた顔で大樹たいじゅ

「千と千尋の神隠しだけに?」

 とか言ったので、

「茶化すな! 俺死ぬところだったんだぞ」

 思わず立ち上がり、その腕を叩いてしまった。


「いやあ、神隠しの神って、いわゆる神道の八百万やおよろずの神だけじゃなくて、天狗や鬼なんかの怪異全般も含むからね。哲也の直感はあながち間違いじゃないよ」

 すらすらとつつみ先生が言った。

 ザンボニーの音は既に止んでいる。間もなく整氷終了のアナウンスが流れるだろう。

 俺は再びベンチに腰を下ろした。


「……先生が『千と千尋』を振り付けてくれた時、スピンからステップにかけて、どんどん見覚えのあるものに変わっていくのが怖かったです。俺が見たのは、一つの未来だったんじゃないかって……」


 あの時、確かに竜のようだと思った。

 ただし、白ではなく、黒。

 湖にむ邪龍。


 ふぅん、と先生は呟く。

「じゃあ、俺は自分がいもしない場所で行われた、見たことも無いスケートを、透視して君に振り付けたってわけか。……こりゃあ、異能力者は俺の方だな」

 そして妙に満足そうな微笑みを浮かべた。

 それを見て、俺は自分の中で凝り固まっていたものが溶けていくのを感じた。


「俺、今でも思うんです。あの時聞いた『滑る場所を失う』って言葉は、本当にただ釧路クリスタルセンターが無くなることだけを言ってたんだろうか、って。もっと広い意味で、俺がいつかスケートそのものを失うということだったら……」

「それこそ美咲ちゃんの言った通りだよ! 誰もがいつかはスケートを失う。人間が必ず死ぬようにね。永遠に滑っていられるスケーターはいない。だからこそ、滑れる身体を持つうちは滑り続けようって、俺は思ってるよ」

 そう言って先生は深く頷いた。

 その目は窓の向こう、整氷したてのまっさらな氷を見つめている。

 先生が現役を引退しても、ショーで新たな自分のスケートを追求する理由が分かった気がした。


「……にしても、哲也の見たタンチョウは本当に幻だったのかなあ」

「え?」

「いやあ、丹頂たんちょうの里あたりからふらふら迷い込んできた個体がいたんじゃないのかなって……」

 先生は首を傾げながら、ほんの少し眉をひそめ、何かを考え込むような遠い目をした。


 俺はふと思った。

 もしかしたら、先生もまた、アイツに会ったことがあるんじゃないかと。

 しかし、それを声に出すのはやめた。

 先生は、たとえそのような経験があっても、簡単に人には話さないだろう。

 俺はたまたま言葉にできただけだ。

 相手が、堤先生だったから。

 そして、雅がいたから。

(大樹はまあ、置いとく……)


 靴紐を結び直して立ち上がる。ドアノブに手を掛けようとしたところで、さっと雅が後ろに来て、

「てっちゃんが、ちゃんと帰ってきてくれてよかった」

 こっそり言った。

「俺もそう思う」

 苦笑しながら俺は答えた。

「もういなくならないでね」

「……ああ。俺はやめないよ」

 フィギュアスケートを。


 本物とか偽物とか興味ない、とあの時姉は言った。

 でも、俺は本物になりたいと思う。

 たとえこの場所に空は無くとも。


 60×30のリンクは無限だ。


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