第14話 burial

 氷上に映っていた俺の瞳が震えた。

 花が移動している。

 氷の上を滑るように、ゆっくりと一点を目指し、集まっていく。


 顔を上げる。濃い霧が出ていた。

 さっきまでの柔らかな陽光はどこへやら、氷の霧が俺たちを包んでいた。吸い込んだ冷気にむせそうになる。

 目の前が白く、煙のようだと思った。血の気が引く。


 この冷たい霧には覚えがあった。

 いつかの湿原。幼い頃迷い込んだ、針葉樹林の奥、細い遊歩道の向こう。

 あの時、なぜ俺はふらふらと足を進めた?


 バサバサ、と舞い降りる音。

 ――そうだ。タンチョウの羽ばたきを聞いたのだった。


 そのタンチョウが、今目の前にいる。

 もはや最初の二羽だけでなく、そこかしこに何羽もいた。

 白い身体。黒い風切羽。血のように赤い頭頂部。

 群がり、氷をついばんでいた。

 鋭いくちばしで一斉に貪る。長い首を伸ばして、天に雄叫びを上げる。


 その中心で、彼は滑っていた。

 足元に集約した氷の花。

 それらを全て蹴散らすように、彼は飛んだ。

 トリプルアクセル。

 氷の飛沫が飛び散る。着氷と同時に亀裂が走る。


 自分の身が冷たく削られていくようだった。蝕まれたように全身が痛む。

 どこも傷付いていないのに、なぜこんなにも痛いのか。

 俺にはまるで分らなかった。

 分からないまま、膝から崩れ落ちた。


「君は、一度死ぬよ」

 霧が鼓膜を何重にも覆っているように、声は遠く響いた。

 死ぬ? 俺が?

 霧の向こうに、黒い影が揺らめく。


 ……そうか。俺は、死神を見たのか。


 冷たいミルクのような霧に全身を巻かれ、もう何も見えない。

 氷をつんざくタンチョウの叫び声と羽音だけが響いていた。


 命を取り戻すには、ただの音ではだめだった。

 俺が氷上で必要とするもの。流れを司る楽譜。


 やはり、音楽が無ければ――


 薄れ行く意識の中で聞いたのは、ことの音。

 ヴァイオリン、ピアノ、パーカッション。

 近付いては遠ざかる、オーケストラ……

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