第8話 overtaken

 フライングの概念が頭をよぎった時には既に全員が滑り出していた。

 何を捉えたのか分からないまま、俺は走っていた。

 パン、というピストル音は確かに鳴った。鼓膜が残響で震えている。

 その感覚が幽体離脱のように、世界をダブらせている。


 全ての音が背後にあった。

 ザクザクと氷に突き立てる自分のブレードの音までも、後から付いてくる。

 それでも腰は低く、手足を交互に振り上げ、身体は前へと進んでいた。


 100mゴールライン。

 ダッシュ区間が終わり、ストライドを長く取り始める。

 視界には誰もいない。


『ゴールライン先頭通過は、白、鮎川……』

 アナウンスが響いた。

 先頭、と思ったのもつかの間、アウトから黒い影が伸びてきた。

 射出された弾丸のように、残像を描いて。


 かぶされる、と判断した時にはもうインに入っていた。

 コーナーへの最短距離を身体が計測している。頭が付いてくるのは後。


『続いて、二番手は……』

 上空で音が割れる。

 ぶつ切れのノイズが氷にヒビを入れる。

 神経に触れられるようなダイレクトな不快さ。

 耳障りだ。絶対に振り切ってやる。


 コーナー。身体を倒す。

 しかしそんな俺をあざ笑うかのように、影はきっちり俺の身体一個分、インのラインを先取った。

 並走はほんの一瞬だった。

 黒い背中がスクリーンとなり、白い雪が浮き上がる。一斉に、今生まれたみたいに。

 それまで気にならなかったのに、急に胸に熱さを、頬に冷たさを覚えた。


 抜かれた。


 左手は目の前できっちりと握り込まれていた。

 遠心力を手懐ける、潔く傾斜したシルエット。

 はっきりと分かった。

 こいつは、氷を恐れていない。


 その足元はノーマル。

 長いブレードは伸び生えた骨のように、足の動きと完璧にシンクロしている。

 銀色の明滅。


 徐々に開けられる距離に食らいつきながら、俺が捉えたのもまた光だった、とスタート時の記憶が瞬いていた。

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