第四部 いくつかの表現方法

 第一章 尾を噛む原蛇 非の矛盾


 無色透明とは是れ絶空である。空すらも絶している。それを表現することは不可能である。かたちないというかたちもないからである。さらに、そういうかたちもなく、…という無限の繰り返しである。

 だが、表現できないこともない。非の『構造』の矛盾を利用する方法である。

 非は全てを否定する。躬(みづか)らも否定する。否定されるので、否定できなくなる。否定できなくなるので、否定されず、否定できることとなる。否定できるので否定され、否定することができなくなる。結局、どういうことなのか。これは尾を噛む原蛇と同じ構造の永劫未解決の矛盾である。未遂不収である。差延にも似る。

 これは全否定、又は全肯定に於いて、見られる現象である。

 たとえば、全肯定などに於いては、全てを肯定するが、全て肯定するがゆえに全肯定を否定することを肯定するため、肯定できなくなる、という構造である。



 

 第二章 全網羅 


 又、全網羅がある。全網羅は全てを網羅しなければ、その義を満たせない。すなわち、全てを網羅しないということを網羅しなければならない。つまり、全網羅であり、かつ、全網羅ではないということでなければならない。だが、全網羅でないということ丈であることを網羅していない。つまり、全網羅するものではなく、全網羅しないもの丈でなければならない。又、これでは一部を網羅することを網羅していない。全網羅で、かつ、一部網羅でもないということを網羅しなければならない。一部の網羅丈若かしない(全網羅はしないということ)ということを網羅しなければならない。

 つまり、全網羅とは、荒んだ野に誰かが中身を食べて捨てたブリキの空き缶の反り上がった蓋のこと丈でなくてはならない。

 禅僧の龍鳳の著した『叙無記(じょむき)』に彼の師である眞巌との対話が次のように記されるゆえんであった。


 公案録『叙無記』肇輯(じょうしゅう)第十七段

  眞曰(しん いわく)、文趣眞(ふみのこころ)奚焉(いづく)にしあるとも、究竟也

  龍曰(りゅう いわく)、巻子(かんす)皆同じう究竟ならずや

  眞曰(しん いわく)、 隹文(このふみ)究竟の所以※ 

  

  眞巌が言った「この書に何が記されていようと、この書は究竟の書である」

  龍鳳が言った「ならば、すべての書が究竟の書ではないですか」

  眞巌が言った「それこそがこの書が究竟の書であるゆえんである」

    註)龍峯寺の僧、眞巌が弟子、龍鳳が龍呑神社に

        奉献した公案録「叙無記」肇輯第十七段より抜粋。

   白善、之を讃じて曰く、「森羅万象を平等に貫通せる無記を露呈す」

   ※異本眞神神社眞倉蔵版には「隹文特異究竟の所以也」とある。其解釈同義。

 


 

 第三章 絶空の数式化

 集合をもって、これを数式化できる。

 {Ω |Ω =A∪(A∖A) }, {Ω |Ω ={y} , y∉(A∪(A∖A)), 

                 {Ω |Ω ={x}} , x∈(B={x}) , B⊊A 

(集合Ωは集合Aと反Aとの和に等しい。集合Ωはy元だけの集合である。yはA及び反Aに属さない。集合Ωはx元だけの集合である。xは集合Bに属する。BはAの真部分集合(Aの一部分)である。)

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学究ノート#4 しゔや りふかふ @sylv

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