第3話 斯くして旅は始まる

その日は森の中でなくしものをしてしまいいつもより帰りが遅れていた。


他の友人達は皆先に帰ってしまい、捜し物を漸く見つけて帰路に着く頃には既に日が沈んでいた。


夜闇に包まれた森に中を歩いているとスゥルは異変に気付く。


「村の方、やけに騒がしいな…それに何か焦げ臭い…」


――祭りやってる訳じゃあるまいし、何が…?


騒音のする方へとスゥルは歩みを進める。


切り拓かれた道を進んでいく内に段々と、その騒音の正体がハッキリとしてきた。



それは悲鳴、怒声、呻き声。


しかも森の木と木の隙間に村から立ち込める黒煙の柱が見えた。


「これは…只事じゃねえな!」


何か良くない事が起きている。


そう察知し、駆け足で村まで向かった。


この時、スゥルは村で火事でも起きているのだろうと考えていた。


しかし、現実はもっと残酷だった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇









村に戻ったスゥルを迎えたのは、想像を絶する惨状だった。


鮮血が飛び散り、あちこちで家屋が燃え盛っている。


村民は叫び声を上げながら何かから必至に逃げ惑っていた。


何が起きているのかまだ理解しきれていなかったスゥルの前で一人の村民がその何かに捕らえられる。


今朝挨拶を交わしたばかりの友人が生きたまま腹を引き裂かれ、貪り喰われていく。


友人の絶望と恐怖に満ちた表情と耳を劈く程の苦痛の悲鳴を前にしてスゥルは理解をすることはできなかった。


いや、理解を無意識に拒んだのだ。


腹の中が空になって既に息絶えた友人を咥えているのは2匹の魔物。


正確に言えば、魔物に寄生されて変異したスゥルの両親だった。


「な、何してんだよ母さんも、父さんも…どうし、ちまったんだ」


両親は胴体が真っ二つに分かれ、一つの大きな口と化していた。


腕は内側から破裂し体内で急速に成長した魔物の触手がゆらゆらと揺れ、まともに原型を留めているのは足と…



いつも自分に笑いかけてくれたあの顔だった。


嘗て両親だった魔物は奇怪な鳴き声を上げながらスゥルを喰らわんと接近する。


ヨタヨタと歩きながら大口を開いて近付いて来るがスゥルはその場から動き出せずにいた。


あまりの恐怖と、友人が目の前で両親に喰われたという現状の理解を拒んだ事によって彼女の体は硬直していた。


魔物と化した両親と目が合った。


首より下の悲惨な様子に対して表情は異様に穏やかで、まるでこちらに笑いかけているかのようだった。


目の前まで迫って来た魔物が立ち止まると大口の中から触手が出てきた。


触手がスゥルの体に絡みつき中に引きずり込もうとする。


無抵抗のスゥルは徐々に大口の中へと引きずり込まれていく。


――ああ、死ぬんだ…俺。


スゥルが死を悟り、魔物が口を閉じようとした時だった。







振るわれる一振りの斬撃。


魔物の体越しに聴こえる風切り音。


衝撃波で吹き飛ばされる自分。


身が地に叩き付けられた事によってスゥルは我に返る。


何事かと困惑するスゥルの傍らに何かが転がる。


それは横一文字に真っ二つにされた魔物の死骸。


燃える家屋の炎に照らされて鈍色に輝くを見ると、それを持っていたのは真っ黒なボロ布に身を包んだ誰か。


こちらに背を向け、その巨大な鉄塊を右手に持って村の奥から更に出てくる魔物に寄生された村民達と相対するその男の姿をスゥルは知っていた。


「あ……アッシェ!!」


そこにいたのは、自分の両親を両断したハルバードを構えるアッシェだった。


「状況は最悪だが、今までの借りを返しに来た」







ハルバードを両手で構えたアッシェは眼前の魔物の群れを見据える。


――か、少し面倒だな。


それは寄生型の魔物の一種、ラスカと呼ばれる。


単体では脆弱で直ぐに死んでしまう程だが、宿主であるヒト種に寄生すると急速に成長し体を乗っ取っていく魔物だ。


潜伏期間は約七日で寄生されてから直ぐは何とも無いが七日目になると感染者は何の前触れも無く突然一気に変異を始め魔物と化してしまう。


ラスカはどこにでもいる訳ではなく日光にも弱い為主に南方大陸群の洞窟や地中などに少数生息しているぐらいだ。


そしてここは西方大陸群のラッツェール大森林だ、いる筈が無い。


何故ここにいるのか、という問いに対する答えはアッシェの中ではある程度固まっていた。


「スゥル、すまんが少し時間が掛かりそうだ。そこから決して動くな」


「待てよ!あんなのに勝てる訳――」


スゥルがそう叫ぶ前にアッシェはハルバードを構えて走り出した。


ラスカの一匹が口の中から触手を伸ばし突っ込んでくるアッシェを捕らえようとする。


触手はアッシェのハルバードを捕らえ、アッシェと共に引き寄せる。


しかし目の前まで来た所でアッシェはそれを超える怪力でハルバードに絡みついた触手を振り払い、思い切り振り下ろした。


まず目の前のラスカを斧で縦に両断し、その次に後ろに回り込んできたのを反対側の鉤爪で突き刺した。


鉤爪にラスカが引っかかったままハルバードを振るい、今度は前に突き出す。


先端の槍が大口を突き破り、更に後ろの別のラスカまで貫いた。


ハルバードに纒わり付いた何匹かのラスカの死骸を振り落とし、再び構え直す。


ウォーア程の知能も無いラスカ達はアッシェに向かって闇雲に突っ込む。


数匹分の触手が一斉に襲いかかるがそれに構わずハルバードを横に振るう。


その時に振るわれたハルバードが凄まじい風圧の風を生み出し、触手の狙いが逸れ明後日の方向へ飛んでいく。


触手しか攻撃手段を持たないラスカは懐に入り込んできたアッシェによって次々と切り刻まれる。


数匹同時に叩き斬り、吹き飛んだ死骸が他のラスカに直撃しバランスを崩させる。


村民の殆どが感染したのかまだまだラスカは現れる。


「時間が掛かるとは言ったが、これは流石に面倒だな。あまり使いたくはなかったが…」


そう呟いて構えていたハルバードを下ろし右手を前に突き出す。


スゥルを回復させた時のようにアッシェの体が灰燼を纏い始め、赤く火が灯されたかのように輝く


その灰燼は次第に大きくなり、一つの巨大な柱となる。


全ての準備を終えたアッシェは遂にそれを唱える。


アッシェ灰よナハゥ万物メド腐敗スタァナ・オスクラート吹き荒れよ



唱え終えた途端、体に纏っていた灰燼が急激に拡散し辺りに広がっていく。


嵐の如き勢いでアッシェを中心に広がる灰の嵐にラスカの何匹かが耐え切れずに吹き飛ばされた。


村全体すら呑み込んだ嵐はやがてある現象を起こし始める。


突然村の家屋が次々と倒壊し始めたのだ。


これはアッシェの放ったが範囲内にいる全ての有機物を腐食しているからだった。


基礎部分が急速に腐食したことによって崩壊した家々がさらに腐食して只の塵芥と化して風で舞っていく。


勿論同じ有機物であるラスカの群れも同様に腐食していった。


あまりの勢いにラスカは抵抗する間も与えられぬままに腐り落ち、原形を失いその場に崩れ落ちる。


「ま…魔術まで使えんのかよアッシェの奴…」


範囲外にいて何の影響も受けなかった灰の嵐が過ぎ去った後に残された惨状を見て息を呑む。


そこは村もラスカの群れも消え去り地面の土までもが腐食し、死の大地と化した跡地に佇むアッシェの姿しか残されていなかった。


「無事か、スゥル」


あの武骨で巨大なハルバードは何処へ行ったのやら手ぶら状態のアッシェが歩み寄って来る。


「あ、ああ。ピンピンしてるよ…アンタのお陰でな…ありがとう」


スゥルの感謝の言葉に特に反応は示さず村の跡地の方へと目をやる。


もうそこにスゥルの故郷は無い。


文字通り全て灰燼に帰してしまったのだから。


何もかもを失ったスゥルはその場で棒立ちのまま何も物を言えずに呆然としている。


故郷を、友人を、家族も、全てが奪われた。


――何で俺だけが…生き残っちまったんだ。


足元に目をやると灰の山が二つ出来ていた。


ラスカに感染した両親の物だった。


灰を掬い上げ見つめる。


それはもう両親ではなく只の灰に過ぎなかった。


「………スゥル、お前に一つ提案がある」


立ち尽くすスゥルに背後からアッシェが声をかけると彼女は両手の灰をそっとその場に戻し振り向いた。


「俺はある使命を背負って旅をしている。それは、事だ」


アッシェの告白にスゥルはただポカンと口を開けているだけだった。


「俺は誰かに物を教えるなんて事は出来ない。だから、もし…俺の旅に着いて来る気があるなら自分の力で強くなるんだ」


――もしお前に魔を滅ぼす意志があるのなら…。









――剣を取れ。


スゥルに差し出されたのは、いつの間にどこから取り出したのか分からない一本の長剣だった。




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アッシェの鎮魔歌 COTOKITI @COTOKITI

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