第2話 灰は全ての始まり
ラッツェール大森林。
その近くに住む一人の犬獣人の村娘がいた。
彼女の名はスゥル・マスナエド。
物心付いた頃から彼女はある夢を持って生き続けてきた。
それは誰にも負けないような精強な戦士となって世界を旅する、というようなものだった。
確かに獣人として生まれたスゥルは人間よりかは力も強かったし長命種故に老いを気にする必要も無かった。
だが、スゥルは戦士の家系に生まれた訳でも兵士として訓練を受けた訳でもない。
所詮はただの村娘なのだ。
毎日が農作業と家畜の世話、そして山菜取りの無限ループ。
剣を握る事は両親が許さず、持つことが許されたのは鍬と鎌だけ。
農作業に一生を費やすなど彼女は考えたくも無かった。
しかし両親に簡単に逆らえる程育ちが悪い訳では無く、戦士を目指す夢は未だ遥か遠くにあった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつもの、大森林に山菜取りに出かけた日の事だった。
以前と違って魔物がいなくなったお陰で奥の方にも行けるようになり、普段の倍以上の収穫を得ることができていた。
「…よし、もうこの辺で帰るか」
背中の籠一杯に山菜を詰め込んだスゥルはそろそろ帰ろう、と踵を返してその場を離れようとした。
だがその時ある異変に気付いた。
それは臭いだった。
鼻につく森に似つかわしくない異様な臭い。
微かだが、あの時嗅いだものと同じ臭いだった。
「灰の臭い…一体どこから…?」
灰の臭いを追ってスゥルは森のもう少し奥へと踏み入った。
そこは嘗てウォーア達の住処だった場所で今でも近づく人はあまりいない。
誰かが焚き火でも焚いたのかと思い、臭いの元へと近付く。
近付くにつれて、それは焚き火ではない事に気付く。
それは、木陰にもたれかかるように横たわっていた。
「コイツ…あの時の!」
横たわっていたのは、あの時ウォーアの群れから自分を救った仮面の男だった。
最初、死んでいるかと思ったがよく見ると呼吸をしておりただ寝ているだけだと分かった。
起こさないように恐る恐る近付き男をじっくりと観察する。
真っ黒で何の装飾も施されておらず、目の部分に穴が開いているだけの仮面。
ボロ布に隠れて分かりずらいが体のあちこちに様々な装備を身に着けていた。
武器の類は見つからないがどちらにせよ只者ではない事だけは分かる。
好奇心の湧いたスゥルは更に近付き、ボロ布に手を掛け捲ろうとした。
「やめておけ」
「ギャッ!?」
突然目の前から声を掛けられた事にスゥルは飛び上がり尻餅を突いたまま数歩後ずさる。
男は立ち上がり衣服に付いた枯れ葉などを払いのけるとスゥルの方へと視線を移した。
仮面越しに目を合わせるとスゥルの肩が跳ね上がった。
理由は分からないが彼女の獣人としての本能が警鐘を鳴らしていたのだ。
「あの時の村娘…まさかまた会うとは、な」
「むっ、村娘じゃねえスゥルだ!スゥル・マスナエド!」
名を名乗ったスゥルの様子を見て男は少し考える素振りを見せると口を開いた。
「俺の名前は……アッシェだ。ただのアッシェでいい」
相手に名乗られたからには自分も名乗るべきだと考えた男は自分も名乗ることにした。
「お、おう……アッシェか。んで、こんな所で何してやがったんだ?」
「ウォーアを殲滅した後、食料の備蓄が底を突いたからここで食べれる植物を探していた」
生憎植物の知識は乏しい為殆ど何も手に入ってないが、とアッシェは付け足しその場で腰を下ろしてスゥルと視線を合わせる。
ウォーアを殲滅した。
そんな爆弾発言を受けてスゥルの口から思わず声が漏れた。
やはりあの時大森林のウォーアを滅ぼしたのはアッシェだったのだ。
「丁度いい、スゥルならここで食える植物についても知って……聞いてるか?」
呆然としていたスゥルに声をかけるとスゥルはハッとして開きっぱなしだった口を閉じた。
これが戦士を目指した少女と、
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
野ざらしのまま何日も森の中で過ごしているアッシェを見かねてスゥルは自宅に招き入れようともしたがそれは彼の方が拒んだ。
自分を異質だと自覚していたアッシェは面倒事を無関係の人間の元にまで持ち込みたくないとスゥルに伝えた。
家に招き入れるのを諦め、その代わりにこのラッツェール大森林について教えることにした。
大森林の食べれる植物、生息する動物、森の中での生活に役立つ知識など。
スゥルの知っている限りの知識を全てアッシェに与えた。
アッシェの方は彼女の教えを淡々と受け入れ、翌日また山菜採りに来た時には食料を確保するだけでなく簡易的なテントまで作っていた。
「おっ、俺が教えたカシヤの木の皮を使ったテント、もう作りやがったのか!」
「カシヤの木はこの大森林には幾らでもあるし、作り方もそう難しいものでもなかったからな」
木の枝で作られた骨組みの上にカシヤの木の皮を被せて固定したテントの中で二人はいつものように話し始める。
スゥルの背中にはいつもの採った山菜を入れる籠に加えて小さめの鞄を背負っていた。
それを下ろし中を漁ったかと思えば何かを幾つか取り出しアッシェに差し出した。
「ほれ、キノコと草ばっか食ってちゃ栄養が足りねえぜ」
アッシェに差し出したのは一つのパンと何枚かの干し肉をスライスした物だった。
ここ最近ずっと山菜しか摂っていなかったアッシェを気遣って持って来たのだ。
「俺の分の飯我慢して持ってきてやったんだ、感謝しろよ!」
そう言ってにこやかに笑うスゥルの姿を見てアッシェは僅かに戸惑った素振りを見せる。
「…いいのか?元はお前のなんだろう」
「いいって!俺は毎日腹一杯食ってるからよ」
頑なに差し出してくるスゥルのアッシェは折れ、パンと干し肉を受け取る。
両手にパンと干し肉を持ったアッシェの様子を見ながら満面の笑みで口に運ぶのを今か今かと待っているスゥルを他所に彼はいつまで経っても食べようとしなかった。
「…どうしたよ?腹痛えのか?」
異様なアッシェの様子にスゥルは困惑する。
アッシェは俯きながら口を開く。
「すまん、テントから出ててもらえるか。素顔はあまり見られたくない」
仮面に隔たれてはいるが、スゥルには彼が悲しそうな表情をしていると感じた。
「ああそうか、悪かったな。外で待ってるからゆっくり食えよ」
そう言ってテントからスゥルが出るとアッシェは仮面をそっと外し、黙々と食べ始めた。
暫くして、全て食べ終えたアッシェがテントから出てくると外で待っていたスゥルと共に日が暮れるまで話し続けた。
話の中で、アッシェは自分の事を殆ど話さずスゥルが一方的に話す形となってしまった。
しかし彼が話した僅かな言葉の中からある程度分かった事や推測できる事が幾つかあった。
まず第一に、彼はただの旅人ではなく何かしらの、戦いかそれに関わる事を生業としている人間だということ。
ボロ布の隙間から見える身に纏った装備の数々はどう見てもただの旅人のそれではなかった。
見た目だけでなく、彼女の発達した獣人の嗅覚がそれを確信に変えた。
彼の体に染み付いている灰のような臭いに合わせて血の臭いが衣服からこれでもかと漂っていたのだ。
それも獣や魔物だけでない。
人の血の臭いまでもが感じ取れた。
その時スゥルは確信した。
彼は戦士なのだ、と。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「俺を戦士として鍛えてくれ!!」
ある日いつも通りあったかと思えばスゥルは開口一番にそんな事を言い放った。
突然の頼みにアッシェは僅かに戸惑ったが、断る前に話だけは聞いてやる事にした。
彼女の話を纏めるとこうだった。
まず彼女は物心付いた頃から戦士になる事を夢見ていた。
だが両親と自分の生きる環境がそれを許さず、戦士としての鍛錬どころか兵役に就く事すら出来なかった。
そしてウォーアの群れを容易く殲滅したアッシェの強さを見込んで戦闘技術を教えてもらおうと思った。
「駄目だ」
「な、なんでだ!?」
考える間も無く師事を断る意思を伝えたアッシェは狼狽するスゥルに淡々と理由を告げる。
「俺の強さは、鍛錬なんかで身に付く物じゃない。これは…卑怯な手を使って手に入れた力だ」
自虐気味にそう言うアッシェにスゥルは首を傾げる。
――鍛錬では身に着けられない力…まさか才能とでもいうのか?
「卑怯な…手?」
「そうだ、俺は他の戦士や兵士のように何の鍛錬も積んでいなければ、強くなる為の何の努力もしちゃいない」
だから何も他人に教える資格など無い、と続けてアッシェはその場をそのまま立ち去った。
それから何度も大森林に来ても彼は現れなくなった。
全てが動き出したのは、それから三か月後の創暦1366年1月の事だった。
いつもの山菜採りから帰ってきたスゥルを迎えたのは鮮血に塗れ、阿鼻叫喚に包まれた故郷の惨状だった。
呆然とするスゥルに何かが二匹接近する。
「………え?」
大口を開いてスゥルを食らわんと近付いてきたのは…
魔物に寄生され、最早人とすら呼べぬ変わり果てた姿になった嘗て自分を愛し、自分もまた愛した両親だった。
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