アッシェの鎮魔歌
COTOKITI
第1話 火の尽きぬ灰
《創暦1365年 9月16日 ラッツェール大森林にて》
大樹の生い茂る深い森の中を1人の少女が駆ける。
犬の耳と尾を持った獣人の少女だった。
その表情は恐怖と焦り、絶望が混ざり合ったように歪んでいた。
涙と汗を垂れ流しながらひたすら走り続ける。
服は既にズタボロで体のあちこちに傷を負い血が僅かに垂れている。
もうどれだけ走ったか分からない程に走ったが、背後から聴こえて来る追跡者達の声が途絶えることは無い。
息が乱れ、走るスピードも徐々に落ちていく。
追跡者達の声と足音がすぐそこまで迫って来ていると少女は感じた。
「………誰か…誰か…!!」
疲弊して掠れた声で必死に誰もいない森の中で助けを求め続ける。
少女は己の軽率さをこれまでに無いほど呪った。
――欲を出してこんな奥深くにまで来なければ…!!
薬草や山菜を取りに出かけていた少女は余り収穫が良くなかった為欲が出てしまい少しの間漁るだけなら大丈夫だろうと村の中でも誰も立ち入らないように言われているラッツェール大森林の奥深くまで来てしまったのだ。
背後から少女を追うのはこの世では魔物と呼ばれている生物。
その魔物の中でもウォーアという名前を持つ個体だった。
細い体の人型で真っ白な肌には体毛の類は一切無く外面から見て取れるのは四対の橙色に輝く眼球と獲物を食らうためだけに発達した人の頭さえ呑み込めそうな大きな口と鋭い牙だけ。
奇怪な叫び声を上げながら大群で向かってくるその様は大の大人でさえも失禁しそうになるほどにおぞましい。
そのウォーアの群れから逃げ続けていた少女だったが遂に限界が訪れる。
足に激痛を覚えた少女はそのまま地に倒れ伏す。
「………あ…」
顔を上げればそこにいるのは今にも少女に喰らい付かんとしていたウォーア達。
手足は震えるばかりで動かなくなり、顔は恐怖と絶望に塗れ先程まで助けを呼んでいた口は僅かに痙攣するだけで声を発する事すら叶わなかった。
恰好の獲物にウォーア達は嬉々として喰らい付く。
「―――――ッッ!!!!??」
手に、足に。
胸に、腹に。
肉が皮下脂肪と共に食いちぎられる。
腫物一つ無い綺麗な肌はピンクと黄色と赤色が混じりあい原形を失っていく。
少女が言葉にならない悲鳴を上げながらもがくが成す術無く食われ続ける。
手足はあっという間に肉の残っていない骨と化しその頃には腹が引き裂かれ腸が引きずり出されていた。
引きずり出した腸を奪い合うウォーア達を見ながら全てを諦めた少女は次第に目を閉じていく。
最後に少女が見たのは、突然背後から何かの刃物に背中を貫かれたウォーアの姿だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
突然仲間が背中を貫かれ絶命した事に他のウォーア達は後ろを振り返る。
ウォーアの背中を貫いた短剣は柄を鎖で繋がれており、その鎖の続く先には一人の男がいた。
ボロ布に身を包み、珍妙な仮面で素顔は見えない。
短剣から続く鎖が男の手に握られている事を確認したウォーア達はその男を敵と認識し一斉に襲い掛かる。
森の中の木という木に飛び移り、細い体からは想像も出来ない身体能力で急速に男に接近する。
そして最初の一匹が男の首に喰らい付かんと飛び掛かった時だった。
飛び掛かったウォーアの頭が弾けた。
下顎から上を全て失ったウォーアはそのまま男の背後に墜落する。
ウォーアの頭を吹き飛ばしたのは鎖が巻き取られた事によって戻って来た短剣だった。
男は両手にその鎖の付いた短剣、鉄鎖剣を持ち、振り回し始める。
鉄鎖剣はまるで鞭のように振るわれ、先端の短剣が次々とウォーアの体を両断していく。
前方から向かって来た二匹の頭を両手の鉄鎖剣で貫き。
背後から飛び掛かってきた3匹を更に薙ぎ払う。
何kgとある鉄塊が意思を持っているかのように動き、全方位のウォーアの命を刈り取っていく。
バラバラに切り刻まれたウォーアの死骸が飛び散る。
今度は二方向から同時にウォーアが襲い掛かるが呆気無く両手の鉄鎖剣で半身を切り飛ばされる。
しかし、その隙を突いて一匹のウォーアが男の背後から飛び掛かった。
大きく開かれた口が男の頭を捉える、という所だった。
ドゴン!!
そんな爆発音がしたかと思えば背後のウォーアの頭の上半分が消えた。
飛び散った皮膚と頭蓋骨、そして脳漿が周りの木に降りかかる。
男の左腋の間から何かが飛び出していた。
それは鋼鉄の筒、散弾銃だった。
上下二連式の散弾銃から放たれたのは23mmのシェル内に収められた直径8.5mmのペレット。
一発でウォーアの頭部を破壊したそれを更に右からやってきたウォーアにも向けた。
またしてもけたたましい銃声を鳴らしながらウォーアの胸部を深く抉った。
二発全てを撃ち終わるとラッチを解除し薬室を開放して勢いよく排莢された23mmシェルを左手で受け止め、懐から次弾を取り出し素早く装填する。
流石にここまでやられるとウォーア達も警戒して迂闊には近づいて来なかった。
鉄鎖剣の恐ろしさを理解したウォーア達はなるべく散開しながら攻撃目標を一つに絞らせないようにした。
その様子を男は仮面越しにただじっと見ていた。
配置に付いたウォーア達は一斉に吠えながら突進してきた。
物量で圧し潰そうというのが彼らの作戦だった。
鉄鎖剣は先端の短剣が脅威なだけであってそこから更に内側の懐にさえ入り込めれば反撃の余地はある。
勿論、散弾銃による迎撃もあるだろうがそれだけではこの十匹を越えるウォーアの群れを止めることはできない。
勝利を確信した彼らは奇声を上げながら一斉に飛び掛かる。
そこで、ある違和感に気が付いた。
男の手には鉄鎖剣は握られておらずいつの間に持ち替えたのか別の何かを右手に持っていた。
それがハルバードだと気付いた直後にウォーア達は自分の下半身が無くなっていることに気付いた。
ウォーアの死体だけが残った森の中で男は何かを探すように歩き回る。
男が見つけたのは大木の傍らに横たわる食い散らかされた獣人の少女だった。
その場で膝をつき少女の容態を確かめる。
額に手をかざし、少しするとその手を離した。
――脳がまだ生きている…流石は獣人の生命力と言った所か。
少女がまだ脳死にまでは至ってない事を知った男は何かの準備を始める。
「助かる余地は…ある」
そう呟くと、男の体から黒煙のようなものが出てきた。
黒煙はやがて灰燼へと変わり、少女の体に纏わりつく。
灰燼が少女の体の奥底にまで入り込み、付着する。
――灰は無にして有。
灰燼が徐々に光を帯びていく。
まるで燃え尽きた灰が再び燃え出すかのように。
――灰は全ての終わりにして全ての始まり。
「
男がそう唱えると少女に纏わりついていた灰燼が骨と血肉に変換されていき、見るに堪えない姿だった少女の体は徐々に元通りになる。
あっという間に体が元通りに修復された少女は暫くすると息を吹き返した。
「え…?…え…?…うわっ!?」
自分の手足が、腸が確かにあることを認識した少女は困惑して辺りを見回しそして男と目が合った。
真っ黒なボロ布を纏い、真っ黒な仮面を被った明らかに普通の人間の容姿ではない姿の男を見て少女は驚いて後ずさる。
よく見ると男の背後には大量のウォーアの死骸が散らばっていた。
「あれ…アンタが…?」
死骸を指差して問いかけても男は何も答えなかったが十中八九やったのはこの男だろうと少女は確信した。
「………何故、こんな危険地帯にいる。近隣の村民も入らないようになっていた筈だが」
「それは……」
男に問いかけられ、少女は口ごもる。
欲をかいて魔物に殺されかけた、とは少女のプライドが言わせなかった。
「…まあいい、兎に角ここを早く去れ。もうじき日が暮れる」
「ま、まてよ!アンタはどうするんだ?」
少女は男も一緒に逃げるように促そうとしたが男は森の奥の方を見ながら再び鉄鎖剣を持って歩きだした。
「元より、俺の目的地はここだ」
そのまま暗闇の中へと入っていく男の姿を少女はただ黙って見送ることしか出来なかった。
村に帰ってきた少女は両親やその他の村民達にその日あった事を話したが仮面の男に関する話だけは信じて貰えなかった。
あれから何日か経った後、ラッツェール大森林近辺の村々にある吉報が届いた。
それはラッツェール大森林内の魔物が突然全滅したという内容だった。
原因は不明だが、確かに大森林にはもうウォーア一匹すら残っていなかったそうだ。
大喜びで森の中に踏み入っていく村民達の後姿を見ながら少女は脳裏にあの仮面の男を思い浮かべる。
「もしかして…アイツが…?」
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