第7話 自覚してしまった

 ルーシーは目を見開き、オーランドを見上げる。

 間髪入れずにレオがオーランドの前に出た。


「こいつは駄目だ。俺が代わりに行く」

「変更は聞かねえ! このガキが殺されても良いのか!」


 男に剣を突き付けられたノエルが両目をぎゅっとつむる。ルーシーは今すぐ駆け寄りたい衝動を抑えるのに必死だった。

 レオの表情も苦しそうに歪む。それでも男を睨み付ける目は荒々しく、野獣のようだ。あまりの迫力に男も気圧されている。


「レオ、良い」


 そんなレオを、オーランドが静かに止めた。


「要求通り、俺が行く。だからその子は、必ず無傷で解放すると約束しろ」

「良いだろう。大人しく金を持ってくればこのガキは解放する」


 男がニタリ、と気味の悪い笑みを浮かべたのを見て、背筋に冷たいものが走った。

 オーランドは一つ頷くとシエンナの方に向かう。


「オーランド」


 気付いた時には呼び止めていた。頼りない小さな声で。彼の行動が正しいと、わかっているのに。

 ルーシーの声に反応してほんの少しの間、オーランドが足を止めた。


「大丈夫」


 一言告げると、再び足を踏み出す。胸が締め付けられるようだった。あまりにもいつも通りな、優しい声だったから。



 オーランドはシエンナからお金が入ったケースを受け取ると、今度はゆっくりと、男に向かって歩き出した。


(このままじゃオーランドが)


 指示通りにお金を渡し、ノエルが解放されたとしても、オーランドも無事でいられるとは限らない。

 傭兵達は逃げ切らなくては意味がないのだ。エールベルトの騎士から逃げるための人質として、彼が連れて行かれるかもしれない。

 そう考えれば考えるほど、心臓の音はうるさいというのに、血の気は静かに引いていく。指先が冷え切っているのに、嫌な汗をかく。

 オーランドが王子だからではない。彼がオーランドだから、傷付いて欲しくないのだ。


(なんで、こんな時に)


 自分をこんなに馬鹿だと思ったのは初めてだ。本当にどうしようもない。どうしようもない気持ちを、たった今、自覚してしまった。


 それでも……守りたいと思っても、突如として彼を助けられる力が芽生えるはずもない。何も出来ないのだ。なぜなら、ルーシーが使える魔術は――

 悔しくて手を握りしめた時、ハッとした。手の中には、先程オーランド達に教えた魔法陣が握られている。――あるではないか。オーランドとノエルのために出来ることが。

 それに気付いたルーシーは、意識を集中させてタイミングを計る。


(上手くいくかわからないけど、何もしないよりは、マシなはず)


 静かに見据えた先には、恐怖で震えるノエルの姿。思わず唇を強く噛みしめる。早く、早く、抱きしめたい。よく頑張ったねと笑いかけたい。


 視線を横にずらすと、現状を忘れさせるような美しい青年が、ノエルを救うために迷いなく進んで行く。大丈夫、オーランドなら自分の考えを理解してくれるはずだ。


 ルーシーは最後に、薄気味悪い笑みを浮かべる男を見て、悟られないように魔術を発動させた。



 住人達が固唾を飲んで見守る中、オーランドが男の間合いに入る――寸前、シンと静まり返った広場に、随分と間の抜けた声が響いた。

 声の主である男はノエルを雑に抱えたまま、口をぽかんと開けている。

 おそらく初めて見たのだろう。こんな魔術はルーシーしか使わないのだ。驚くのも無理はない。


 男が見つめる先には、小さく愛らしい光の妖精の姿があった。

「なんだ……?」と呟いた男の前で、妖精は優雅に飛びながら微笑む。ゆったりとした動作で一輪の光の花を浮かせると、踊るように飛び去った。

 状況がつかめず惚けた様子の男。その目の前にふわふわと漂う一輪の花が――次の瞬間、強烈な光を放って弾け飛んだ。


「ぐっ!」


 眩しさで男が怯み、ノエルに回っていた腕が外された。

 素早く反応したオーランドは落下するノエルを片手で受け止めると、そのまま身体を回転させて男を蹴り倒す。男が手放した剣を手に取り、続いて襲いかかってきた他の傭兵もあっさり倒した。


(こんなに強かったの!?)


 レオから強いと聞いていたが、ここまでだとは思わなかった。傭兵達が次から次へとふっ飛ぶ。

 すぐさまオーランドの元に駆け寄ったレオも、剣を持った相手を素手で沈める。剣を握った彼は、きっとオーランドの言葉にしか従わないだろう。恐ろしいほどの気迫だ。


「おい! こんなの聞いてねえぞ!」

「早くしろ!」


 なにやら大声で叫ぶ傭兵達が必死の形相で襲いかかってくるものの、二人の強さは圧倒的だった。オーランドはノエルを抱きかかえたまま相手の武器だけを弾き、体術で気絶させる。


(今のうちにノエルを……!)


 ルーシーは自分の太ももを一発叩き、走り出す。それに気付いたオーランドは、周りに注意を払いながらノエルをルーシーの腕に抱きかかえさせた。


「頼んだ」

「任せて」


 短い言葉を交わし、ルーシーは急いで引き返す。自分の身体の震えなど気にする暇はない。安堵の涙をあふれさせたノエルを強く抱きしめる。


「大丈夫、もう大丈夫」


 安心させたいのに、絞り出した声は相当頼りなかった。それでもノエルと自分に言い聞かせるように大丈夫と繰り返し、なんとかシエンナ達の元にたどり着いた。


 その時、後方で剣がぶつかり合う甲高い音がして、ルーシーはバッと振り返る。

 無表情で立つオーランドの前で、最後の傭兵が崩れ落ちた。


(良かった、オーランドもレオも無事だ。あとはエールベルトの騎士が来てくれれば)


 味方の姿はないかと辺りを見回した時、視界の端で黒と赤の光が怪しく揺れた。ルーシーはとっさに叫ぶ。


「オーランド! 魔術師がいる!」


 声とほぼ同時に黒い光がオーランドとレオに、巨大な蛇の形をした炎がルーシー達に襲いかかる。

 シエンナ達の短い悲鳴が聞こえたルーシーは考える間もなく動く。両手を広げてみんなの前に立った。


「ルーシーお姉ちゃん!」

「何してるの、逃げなさい!」


 みんながルーシーを下がらせようと口々に叫ぶ。

 けれどもここで引き下がるわけにはいかなかった。ルーシーは防御の魔術を使えない。だから自ら盾になるしかないのだ。この人達を、守らなくては。


 眼前に口を大きく開けた火の蛇が迫る。熱気だけで燃えてなくなりそうだ。

 死を予感したルーシーはぐっと目を閉じた――。




(……あれ?)

 体に衝撃が走ったものの、想像したものと違った。

(熱く、ない)


 恐る恐る目を開ける。


「オーランド……」


 ルーシーはオーランドの片腕に抱きしめられていた。名前を呼ぶと、返事をするようにその力が強くなる。

 彼はもう片方の手で剣を振るい、炎の大蛇を叩き切っていた。


(あの魔術を、切っちゃうなんて……)


 驚きで目を瞬かせたルーシーの耳に届いたのは、馬が駆ける音。それはエールベルトの騎士達の到着を意味していた。住人達から安堵のため息が漏れる。

 襲ってきた魔術師を探してみたが、どこにも姿はなかった。騎士の到着に気付き逃げたのだろう。


 そこでようやく、周囲への警戒を解いたオーランドが口を開いた。


「怪我してない?」

「うん」

「痛いところは?」

「ないよ。オーランドは大丈――」


 ルーシーの声はオーランドの体に飲み込まれた。突然抱きすくめられ、ヒュッと喉が鳴る。


「……無事で良かった。ルーシーに何かあったら、どうしようかと思った」


 彼の切羽詰まった声と力強い腕が、二人とも生きているのだと実感させてくれる。


(生きてる。オーランドも私も、生きてる……)


 オーランドの腕の中が、こんなに安心する場所だとは知らなかった。おずおずと、ルーシーも背中に腕をまわす。


「私も、同じこと思ってたよ」


 耐えようとしたが無理だった。ぽろぽろと涙が溢れ出す。


「オーランドが死んじゃ、ったら、どうしようかと、思った……」


 オーランドが傷付くことが怖かった。自分の前からいなくなってしまったら、と考えたら苦しくて仕方がなかった。

 子供のように泣くルーシーを、オーランドはさらに強く抱きしめる。


「ルーシーが光の魔術で守ってくれたから、傷一つ付いてないよ。また助けられちゃったなぁ」


(助けられたのは、私の方)


 魔術攻撃の前に生身で飛び出すなど、無謀でしかない行為だった。そんな愚かなルーシーをオーランドは当然のように守り、無事を喜んでくれる。彼はどこまでも、人に甘い。


 依然としてルーシーを抱き込む腕は力強いまま。けれども頭を撫でる手とあやすように出される声は、ひどく優しい。だから涙が、さらに溢れる。

 それでもこれだけは言わなくては、と声を絞り出した。


「オーランド……守ってくれて、ありがとう」


 オーランドの胸元に顔を埋めるルーシーには、彼の顔が見えない。解呪前なのだから、まだ無表情のままだろう。

 しかしその時、彼が心の中で穏やかに微笑んだことを、ルーシーだけは知っていた。

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