四、
せむしが足を踏み締める、焚き火の燃えさしが悲鳴のように、じくじくと音を
肺が焼け附いて痙攣し、胃袋が身をよじらせて悶える。喉の入り口まで昇って来
た
あたしも、せむしも、喋らない。縛られた無言が沈黙を呼び、世界に見捨てられたように、この空間の時間だけが凍り附く。動かない時間を計るかのように、せむしの呼吸が、ふいごのようにしゅうしゅうと荒く響く。でもそれよりも、あたしの胸の奥、あたしの心臓はもっと激しく鳴り響いている、肋骨の牢獄を突き破り逃げ出そうとしているかのように、めちゃくちゃに喚き立て、暴れて止まない。
その時、あたしの後ろから、どう、と風が走る。駆け抜ける風が、凍結した空気に流れを与える、立ち
あたしの足が
「逃げるな――逃げるなよお嬢ちゃん、なあ、何ンでもないだろう、そう怖がられると、まるで、俺が醜いみたいじゃないか」
砂に額を
頭がぐるぐる廻る、吐き気がする、それでもあたしはせむしを見上げ、睨み附ける。レインコートのフードがばさりと背に落ちて、あたしの眼にじかに夜が飛び込んで来る。頬を夜が
「動くなよ、大丈夫、何ンでもない、だが動くなよ、逃げるな、この銃に弾丸はないが、だが俺はこの銃でおまえを
暗い、暗い、夜の中、せむしが何か云っている。暗くて表情が見えない、何を云っているのかも聞き取れない。あたしの頭の中、血が、漿が、ぐらぐらと煮え立ち、狂ったように駆け巡っている。吐き気が消えない、視界がぐにゃりと歪み、がんがんと耳鳴りがする。感覚がぐちゃぐちゃに
「なあ、これが怖いんだ、そうだろう、この銃、でも、これをなくしたいと思っても、駄目なんだ、取れないんだよ」
「これを取ろうと云うなら、この手首からずっぱりと切り落とすしかないんだ、でもそんなこと出来やしない、そうだろう、それに、これは俺に許されたたったひとつのちからなんだ、それを捨てるなんて、出来ない――」
厭なにおいを遮ろうと、あたしはフードを掻き上げ、しっかりと冠り直す。あごひもを蝶々にきつく結ぶ、呼気が自分の色に染まり、呼吸がすこし楽になる、
近寄って来る影法師が、あたしの眼の前で足を止める。
あたしは、こう云うの、キライだ、
「寄るな――」
あたしは途切れる息を無理遣りしぼり出し、声を出す、
「寄るな、おまえは――臭い」
せむしが怒りの咆哮をあげ、砂を撒き散らしてあたしに掴み掛かる。
がつんと真ッ向からせむしの
あたしの躰の中、淀み滞まっていた血流が再び走り始め、ひゅう、と喉が細い笛の音を鳴らす、それを合図にしたかのように、あたしの世界に重力が戻って来る。
はっとして顔を上げると、眼の前、せむしのあぎとが大きく迫っている、
肩にがしりと掛かった掌を、あたしは躰をひねって払い除ける。そのまま大きく腰を廻し、せむしの顔面に突き出た鼻を、下から思い切り蹴り上げる。
せむしが悲鳴をあげる、あたしは、素早く掌を突いて躰を起こし、かかとで砂を掻き立てるようにして、地面を強く蹴り附ける。そして今度こそ、あたしはせむしを振り切り、果て知れぬ夜に向け、駆け出した――
真ッ暗い世界、何も無い世界。その真ン中でひとり、走り続けるあたし、
どこまでも、どこまでも、続く砂漠、走っても、走っても、終わらない夜、
瓦礫、汚物、腐敗、無意味、そんなものがうず高く積もるがらくたの山は、あたしの背丈の数倍に達する、何ンのために創られたのか、何故捨てられたのか、そもそもそれらはかつて本当に何かであったのか、それすら判らない儘に連なり続く、
閉じたレインコートの中、熱気が籠もり、火照る
蹴り出すように次の足を繰る。でこぼこの地面を何度か蹴りつけて
不確かな足元、足首に、何かが
走る、走る、また何かを蹴飛ばす、闇を裂き、走る、夜を掻き分け掻き分け、
せむしの声、
ううん、きっとあいつはそんなことどうだっていいんだ。世界の中心に空いている、大きな穴、黒い穴、あいつはあそこから来た、あいつはあそこから産まれた。だからあいつは知っているんだ、
知らない内に伸び切った、手足の長さが邪魔で仕方がない、あたし、ただ眠っていただけなのに、あたし、まだ何ンにもしていないのに、いつの間にこんなに成長して
走り続けるあたしの向こう、遙か向こうに光が生まれ、大きく膨らむ――
太陽、太陽だ、
どこにあるかもわからない果てから、
あたしは光に向けて脚を速める、もう疲れも感じない。あっちに往けば朝がある、もう大丈夫、もう大丈夫――
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