二、
「黙って」
影法師が――せむしが黙る。あたしの申し入れが素直に受け
「うるさいの。黙って」
あたしはもう一度云う。途端、せむしは急に落ち着きを
「イヤ、お嬢ちゃん、そうおっかながる事はない――」
「あたしはあんたの話なんか聞きたくない。それにしても確かにそれは目障りね、しまっておいてくれない」
せむしは暫くきょとんとし、それから右手の銃に眼を遣ると、まるで火にくべた栗が
「おう、お嬢ちゃんが遠くなって
まだ云うか、畜生ふぜいが、おまえ、あたしが誰だか知らないから。あたしはお母様の娘、蛇の愛し
くるくる、くるくる、湿ったひもが焚き火に火照った
「まただンまりかね、お嬢ちゃん、もう、お喋りはお
きり、とあたしは奥歯を噛み締める。いつもこうだ、こいつらはいつも、直ぐに襲い掛かって来たりはしない。こいつらはとにかくあたしに喋らせようとする、あたしの声を聞きたがり、あたしの言葉を受け止めたがる。あたしは時々、こいつらは言葉も喰うのではないか、人の心までも喰うのではないか、そう疑うことがある。でもそれにしたって同じ事、こいつらの腹はその儘あのひとつの穴へと通じている、何をどれだけ喰おうと、こいつらは永遠に飢え続けるんだ。 こいつらはそう云う生き物、だから何ンだって喰う、あたしはいちど、飢えに狂った夜のけものが地面に歯を立て、砂をがぶがぶと喰っているのを見た事がある。
――そうだ。おまえもそうすればいい。そんなに腹が空いているなら、やせっぽちのあたしなんかに
あたしはそれだけ云ってやろうかとそっと顔を上げる。燃え立つ炎の輝きを受けて、一瞬眼が
まさか、こいつ――ずっとあたしを見てたのか。 せむしの双眸、黄色く濁った眼球が、真ッ直ぐあたしに向けられ、にたにたと厭らしく光ってあたしの輪郭からぞろぞろと
「イヤ、お嬢ちゃん――」
せむしが喋り出す、まるで、つかまえた、とでも云うように。
「どうしたものか、イヤお嬢ちゃん、あんたの
あたしは引き剥がすように眼を逸らす。せむしを拒むように、レインコートの前を強く掻き寄せ、
「寒いかね、お嬢ちゃん、こっちへ来るかね」
黙れ、うるさい、あたしを見るな。厭らしい言葉に血まで冷えつく、冷えて、凍りつきそうな胸の中、重くなった血に心臓が軋み、痛い、黙れ、黙れ、
せむしがまた何か云おうとしている、また何かを云おうと、
「黙れッ――」
思わず漏らした言葉、
やめろ、やめろ、おまえなんか、あたし、あたし―――
ああ、お母様、お母様――頭に昇った血が往き場を無くし、熱い涙となってぼろぼろと溢れ出す。厭だ、厭だ、やっとお母様なしであたしは居られるようになったのに、お母様なんていなくたってあたしは誰にも負けない、そう思っていたのに、
お母様がとぐろを巻いて、あたしをぐるりと包み込む、こうしていれば夜は来ない、安心してお眠りなさい、お母様はそう云うけれど、目覚めていても、夢の中でも、あたしの眼が見るものは
もう眠りなさい、暗いから眠りなさい、お母様はそう云うけれど、お母様の中、ずっと暗いのに、あたしいつ起きればいいの、夜はあぶない、眠りなさい、お母様の口はそれだけを云い、あたしの耳はそれだけを聞く。でもお母様、それならあたし何ンのために産まれて来たの、これじゃ死んでいるのと変わらない、それともあたし、死ぬまで眠っていなければ
そんな言葉を喉に詰めたまま、あたしは黙って眠りに
お母様は高く高くとぐろを巻き、あたしの上に城のようにそびえ立つ――決して
初めて見た外の世界、それは瓦解した後の世界だった。
それが今のあたしの世界、お母様を捨てて、あたしが自分で手に入れた世界。あたしはここで生きてゆかなきゃならない。夜になんか負けない、空がどんなに暗く重くあたしの上にのし掛かって来ても、あたしは決して眠ったりしない、
だって、あたしはもう二度と、お母様のもとには帰らないのだから。
「なあ、お嬢ちゃん――」
せむしの腰が上がり掛ける、それをあたしが思い切りきつく睨み附け、せむしは突き飛ばされたようにまた坐る。せむしが茫然とあたしを見る、
あたしは炎を透かしてせむしを見返す、間抜けた顔をしているせむしと眼が合う、あたしは顔を
「人間はほんとうは、蛇なのよ、蛇が人間を
何の
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