一、
ぱちり、ぱちり、焚き火が囁くように
夜を満たす闇は濃い、だから火を
それでも闇はうづくまる背中に迫るのだろうか、夜に抱かれて擬死に
あたしはフードを目深に
ひとりぼっちの夜は、暗い、というだけで凍えて
それでも寒くて堪らない――ああ、お母様、お母様――耐え切れずあたしは声を漏らす。夜の中で口にするこの名は、果たして闇を呼ぶのだろうか、祓うのだろうか。あたしのたった一人のお母様、それは夜の闇にも負けない力を持つ蛇であり、この死に絶えた世界の最後の神であり、そして、あたしのたったひとつの居場所でもあった。けれど、それはもう過ぎ去った時間の出来事、今はもう記憶でしかない。
あたしはお母様から逃げて来たのだ。あたしはお母様を捨てて来たのだ。それはあたしが選んだ事。けれど、それなのに、あたしはひとり闇の中に怯えてお母様の名を呟くの? なら一体あたしは何から逃げて来たと云うの? お母様の中には夜しか無かった、だからあたしは逃げ出した、なのにあたしは
知らず、知らず、涙が滲み、睫毛が重く湿る。違う、違う、お母様なんか
眠らない、眠るのは駄目。夜にひとりで眠ったら死んで
お母様は寝物語によく話して聞かせてくれた、神はとっくの昔に地上に墜ちて、そこで死んだ、けれどあいつらはまだ生きている、判るだろう、あいつらがほんとうなんだ、神とて所詮あいつらを生み出す為の、創られた存在に過ぎなかったんだ、判るだろう、夜の闇は人を喰う、だからお前を護る為、こうして閉じ込めているんだよ――お母様の嘘吐き、あなたはあたしが欲しかっただけじゃない。何ンでもない事、起きていればいいの、目覚めていれば、あたしはレインコートの裾だって、あいつらには掴ませない。
ちらちら、ゆらゆら、赤いレインコートに渦巻く
これを纏ってさえすれば、誰もあたしの躰を見る事は出来ない、誰もあたしの正体に気
――あたしが人間である事なんて、決して誰にも知られるものか。
あたしはふと、顔を上げる。焚き火から眼を外し、周囲を見廻す。
確かに今、聞こえた。誰かの
「ふん、今夜は星も見えないね―――」
そんなもの、始めから見えるものか。声のした方、がらくたの山は開けているけれど、濃密に立ち籠める
「おや、そこに誰かいるね」
あたしはいらいらする。獲物を見附けぬ内からおまえ達が歩き廻ったりするものか。あたしは焼け
「おや、おや、今晩は、お嬢ちゃん、当たらして貰うよ」
当たらして貰うよ。嘘、明るいのは嫌いな癖に。光はけだものの肉を削る、この焚き火が太陽みたいに眩しかったら、おまえは
「挨拶したら返事が欲しいな、悲しくなる、そうだんまりをされると、まるで、俺が醜いみたいじゃないか」
黙れ、正体が
あんたがあたしを喰ってどうする。喰ってもどうせダダ漏れのくせに、おまえの腹は膨れない。それとも、かりそめの魂しかもたぬおまえには決して満たされぬ躰こそがお似合いか。
「寝ているか、そうじゃないな、怖いかね、そうさな、こんな物をもってちゃ」
燃え立つ焚き火の輝きを受けて、黒塗りの風景の中、化け物の輪郭が緩く浮かび上がる。ずたぼろの衣服を引ッ掛けた影、それは人間のかたちをしていた、酷くいびつにねじくれているけれど。どんなに上手く
「銃だ、銃だな、怖いよな、小さいがね、イヤ小さかない、大丈夫、
きき、きき、と影は耳がひりつくような笑い声をあげている。
あたしはもちろん化け物の言葉などは信じられず、警戒心たっぷりにその銃を見詰める。――何だろう、銃は確かにそれほど大きくない、
訝しむあたしの視線を感じているかのように、左手が撫でるように銃を
「何だってこんな物、なあ、でもこいつは俺の躰の一部なんだ」
いきなり声が近くなり、あたしは驚いてつい顔を上げそうになる。
すう、とあたしの顔に影が差す、影は炎のゆらめきにかたちを変えながら、きき、きき、笑いも止まぬ儘にあたしの近くへ寄って来ようとする、おそるおそる、あたしの隣りに
「
あたしは顔は動かさず視線だけを隣りの影の上へ滑らせる、影法師のかたちはその輪郭だけなら、そこらにあるがらくたの山と大して変わらぬ程がたがたに壊れている、あたしはさらに上へ視線を昇らせる、
そこでふと、あたしは眼を留めて一点を見詰める、影法師の背のあたり、申し訳程度に引ッ掛けられた上着が異様な角度にねじれ盛り上がっている、その
せむしだ。
「本当だよ、ホラご覧、くっついているな、離れない、俺は一生この儘、こいつをぶら下げて生きる――」
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