第16話 16
まるで幕開くように世界がめくれ上がっていき、立ち込めていた瘴気の黒霧が吹き飛んだ。
大樹から降下してきたわたし達は、ロイドの<伯騎>を中心に集まる。
世界が……殿下の心象風景に塗り替えられていく。
それは暗雲に覆われた赤茶けた荒野。
吹きすさぶ風はひどく冷たくて。
「……これがステージ……オレアちんの心象風景……」
まるで泣き出しそうな声で、ステフ先輩が呟く。
やっぱり殿下のお心はまだ……
わたしは胸の前で手を組み合わせて、上空の<王騎>を見上げた。
――と、そこで気づく。
紫電渦巻く雲に切れ間が出来て……か細い白い月が見えた。
そこから射し込む一条の月光。
その向かう先に、ほんとうに小さな草原ができていて……
「……ああ。殿下……」
いまのわたしのこの想いを理解できるのは、きっとこの場にはユメ様しかいない。
この寒々しい荒野に、ほんのわずかだけど緑が生まれていて。
わたしは涙があふれるのを堪えられなかったわ。
その小さな草原に、たった二輪だけど。
虹色の花びらをもった花が生まれていたのよ。
――ひとつは八枚の花弁でささやかに。
――もう一輪は四枚の花びらで、誇るように。
ああ、この光景を王都のみなさんにもお見せしたい!
『……オレアくん。君は……君ってやつは……』
ユメ様が震える声で呟いた。
上空で紅刀を構える<王騎>を見上げ、先輩達が声援を送る。
応えるように精霊光が舞い踊り、やがて渦巻くように空に昇っていく。
その先にいるのは<王騎>で。
収束した精霊光が<王騎>の失われた腕を形作る。
『――みっつの神器の並列励起……こんなの……こんなのってさ……
君は本当にすごいよ! オレアくんっ!』
<舞姫>が拳を突き上げた。
『――『ご都合主義』を超えた、ホントにホントの奇跡だ!
やっちゃえ、オレアくんっ!』
だからわたしも負けないように、声を張り上げる。
「――がんばって! 殿下っ!」
集まった精霊光が青く輝く右腕を形作る。
不意にやってきた感触に驚きながらも、俺は両手で紅刀を握りしめる。
周囲を旋回する精霊光が、ミレディが放つ枝や葉の攻撃を縫い止めた。
『なんであんたばかりが!
世界はなんでラインドルフ様を認めないの!』
髪を掻きむしりながら叫ぶミレディ。
……それはたぶんさ。
あいつが独りで王なんかを目指したからだと、俺は思うんだ。
こんなにも想ってくれる女がいたっていうのにな。
……ミレディ。
おまえの苦悩を今終わらせてやるよ。
俺は大上段に紅刀を構えて喚起詞を紡ぐ。
詞は胸の内から自然にあふれた。
紅刀の刃筋に蒼の輝きが宿る。
「――とこしえの眠りより目覚めてもたらせ。<
<王騎>の翼がより強く輝き、俺は騎体を駆けさせる。
『おまえさえいなければああああぁぁぁぁぁ!』
大樹のすべての枝葉が俺に迫る。
精霊光を掻い潜って、騎体を傷つけるが、俺はそのまま一直線にミレディを目指した。
「――輝けぇッ! <
間近に迫った巨大なミレディの頭頂から。
俺は一気に蒼刃を振り下ろす!
『――あああああぁぁぁぁぁぁ――ッ!?』
ミレディの下半身を形作っていた妖花の根本までを断ち斬り。
<亜神>の大樹が黒の粘液となって崩れ始める。
断ち割られた妖花の花びらが解けて、中から全裸のミレディがこぼれ落ちた。
粘液の瀑布に呑まれていく彼女を見て、俺は叫んだ。
「――まだだっ!」
このままでは終わらせない!
「――応えろ、神器!」
――凛と。
鈴の音がした。
――それはすべてをすくい上げようともがく誰か……
ステージが唄を奏でる。
……そうさ。
――それは応えようとする願い……
……ああ、俺はずっと誰かに支えられてる。
――それは想いを束ねる、ただひとつの心……
だからっ!
騎体が白に染め上げられる。
俺はミレディの後を追って黒の滝に飛び込んだ。
――ミレディ、おまえの想いだって、俺はすくい上げて見せる!
「オオオオォォォォォ――ッ!」
胸の内からこみ上げてくる原初の唄。
精霊光が粘液を払って道を造る。
俺は降下しながらミレディに手を伸ばし。
「――あんたなんかにっ! あんたなんかに縋るものか!
あたしはラインドルフ様に殉じるのよ!」
「――馬鹿野郎っ! アイツはまだ生きてるんだぞ!?」
どんな処罰が待っていたとしても。
少なくともまだ言葉を、想いを交わす機会はあるんだ。
「会って言葉を伝えろよ!
想いを届けろよ!
このままじゃ絶対に終わらせないからなっ!」
――クソっ!
瘴気が邪魔だ!
「オレア様――ッ!」
耳朶を打つセリスの声。
あいつが俺の名前を呼ぶなんて、いつ振りだろう。
胸の前で手を組んだセリスを中心に浄化が拡がり、穢れの具現である粘液が祓われていく。
そうさ。
あいつだって……あいつと俺だって、やり直せたんだ。
「――おまえの恋だって救ってみせる!」
浄化によって生じた空隙で加速して、俺は騎体を走らせた。
「……ホントに……?」
囁くようなミレディの呟き。
その右手がゆっくりと俺に向けられる。
「……助けて」
「――ああっ!」
胸の内から精霊光が溢れ出る。
――それは助けを求められる誰か……だったよな、ユメ。
「オ――ッ!」
より高く原初の唄を奏でて、俺はミレディに手を伸ばした。
純白の精霊光がミレディをその場に縫い止め。
「ダアアアァァァァァ――ッ!!」
両手で覆って俺は粘液の滝を抜ける。
みんなの元へと降り立って、流れ来る瘴気から守る為に多重結界を張った。
その時……空を覆っていた暗雲が晴れて。
柔らかな月光が降り注ぎ。
「……瘴気が……」
呟いたのは、エレノアだろうか。
月光に触れた瘴気が、白の燐光となって霧散していく。
ひどく幻想的な光景に誰もが言葉を失った。
やがて、世界が閉じて。
辺りに荒れ果てた森の景色が帰ってくる。
「……やってやったぜ」
ひどい疲労感の中、俺が呟くと。
『……本当にね。
頑張った君に、どっかの誰かがご褒美をくれたんだろうね』
囁くようなユメの声が心地良い。
『……奇跡が起きたよ……』
そんな言葉を聞きながら。
俺の意識はゆっくりと沈んでいく。
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