第16話 15
濃密な瘴気の霧に侵されて。
サティリア教会の北に広がっていた森は、朽ち落ちてしまっていた。
鈍色に染まった木々の残骸を蹴散らしながら、<英雄>を背にパーラの<獣騎>が先行する。
しばらくすると、霧の中から先端が鋭く尖った枝が、まるで意思でもあるかのように襲いかかって来た。
だがライルは、<獣騎>ごと<英雄>を結界に包み、さらに周囲に三つの火球を旋回させて、それらの枝を焼き払い、手にした剣で薙ぎ払っていく。
頭上では、濃霧を切り裂いて、青白い燐光を振りまきながら、<舞姫>もまた襲いかかる枝を打ち払っているのが見えた。
今は霧で見通せないが、きっとリックも、ヴァルトも、ザクソンもまた、戦っているはずだ。
俺は胸の前で拳を握る。
あの時の感覚は忘れていない。
ユメは言った。
――<
あの時は、王都の民が俺の勝利を願ってくれた結果、神器が応えたのだという。
なら……それならば、だ。
俺はもう知っている。
――最初に気づいたのは、フランとロイドのお陰だ。
あの二人は、互いに想い合い惹かれ合っていたのに、周りの所為で行き違っていた。
それでも変わらぬ想いを積み重ねてさ。
ようやく結ばれる事ができたんだ。
すげえ事だと思ったよ。
俺は教会のそばで招待客を守り続けるロイドを、そして領主館であいつの無事を願っているであろうフランを想う。
それだけで、胸が暖かくなった。
――たとえばライルとパーラ、そしてメノアだ。
俺は最初、メノアがライルの事を好きだと思ってたんだよな。
けど、それは違っていて。
互いに好きなのに、過去の出来事の所為で行き違い、それでも「いつか」を信じて想いあっていたライルとパーラ。
そしてそんな二人を暖かく見守り続けていたメノア。
こんな想いの形もあるのかって、俺は学ばされたよ。
先を行くライル達を見て、それから足元の<獣騎>を撫でる。
『――な、なんですか~!?』
メノアが驚いて声をあげた。
「……いや、おまえらは最高だって思ったんだ」
『え? えへへ~。褒めてくださるなら、全部終わってからにしてくださいよ~』
そう告げるメノアに、俺は<獣騎>の背を軽く小突いて応える。
――たとえばリックとステフだ。
最近になってようやく気づけた事なんだけどな。
ふたりは互いを『相棒』なんて呼びあっているが、きっと互いを想い合っている。
学園を卒業して別々の道を歩いていても、ふたりが互いをかけがえのない存在だと思っているのは――今なら俺でも理解できる。
それもまた、想い合う気持ちのひとつの形なんだろう。
俺の前に座ったステフのつむじを見下ろし、思わず苦笑する。
見た目幼女のこの女がねぇ。
視線を感じたのか、ステフが俺を見上げ返してきた。
「――ンだよ?」
「いや、おまえも女だったんだなって、改めて思ったんだよ」
「意味わからンが、バカにしてんダロ?
あとで覚えとけヨ?」
肘で俺の腹を突いてくるステフの頭を掴み、前を向かせた。
黒霧の中を突き進む俺達は、やがて朽ちた木々の森を抜け、爆侵地へとたどり着く。
木々がなぎ倒されて開けたそこは、地面さえもが鈍色に染まっていて。
その中心にそびえるのは、やはり鈍色をした巨大な樹木。
伝承によれば、パルドスに発生した<亜神>は巨人のようだったそうだ。
だが、今回発生したのは樹木のようで。
<亜神>にも、魔物同様に種類があるのかもしれない。
『――殿下! 直掩に付きます!』
ヴァルトの<護陵騎>が飛び出してきて、俺が乗る<獣騎>に並んだ。
――こいつもそうだ。
学生時代から、俺に忠誠を捧げると事あるたびに、宣言していたヴァルトだが。
まさか女になって名を偽っていてさえも、同じように想われるとは思ってもみなかったんだ。
……魂に惚れた、だっけか。
ヴァルトの場合は性別を超越して、想えるなにかがあるのだろう。
俺にはいまいち理解できないが、そういう想いの形も確かにあるんだろう。
「――助かる!」
俺が告げると。
『――集え! 氷精!』
ヴァルトは騎体の周囲に氷精魔法を無数に展開して加速。
先を行く<英雄>に並んだ。
『ライル、下方から援護する。
限界まで殿下を守れ!』
『――はいッ!』
上方から、まるで波濤のような勢いで、鈍色の枝が降り注いでくる。
『――押し潰せ!』
<御陵騎>の周囲を旋回していた氷礫が、襲いくる枝に放たれた。
枝の残骸と砕けた氷精によって巻き怒った爆煙に、ライル達が先行して突っ込み、俺達もまたそれに続く。
<亜神>の鈍色の幹は目前だ。
俺達は浮遊魔法を使って、それを駆け上がる。
「――ここからは私が!」
先に待機していたのだろう。
梢に陣取ったザクソンが<伯騎>の中から声をかけて来た。
自身に襲いかかる枝や、宙を舞って襲いかかる刃のような葉を、手にした長剣で迎え撃ち。
さらに俺達に襲いかかる枝を、無数に飛ばした紫電で撃ち落としていく。
「――ライル、よく見ておけ。
アレが本物の魔法剣士だ!」
『――っ! はいっ!』
俺の言葉に、ライルが応じる。
――ザクソンもそうだ。
父親や家人、領民を人質に取られながらも。
エレノアを想って、知恵働かせてなんとか守ろうとしていた。
ザクソンが陣取っていた梢が不意に震えて。
これまで襲いかかってきた枝がそうだったように、不気味に蠢き<伯騎>を弾き飛ばした。
「――ザクソン様っ!」
下方から、少女の声が響く。
ロイドの<伯騎>が見えて。その手に立って、守られているのはエレノアだ。
『――君にこれ以上、みっともない姿を見せられないな!』
ザクソンは浮遊魔法を使って宙に留まり、再び紫電を放って、俺達の道を作ってくれる。
――そうだよな。
エレノアだって、そうだ。
ただザクソンの幸福を願った彼女は、危険を顧みずにここまで来る勇気を持っている。
……ふたりを見たからこそ。
俺はさ、信じても良いって思ったんだぜ。
幹を駆け上がり、すでに地面とは垂直になったところで。
『――僕達はここまでです!』
<英雄>を乗せた<獣騎>では、これ以上は進めないようだ。
近場の梢に飛び移り、ライルは火精魔法で援護に回る。
『――じゃあ、いよいよわたしだ!』
黒霧を裂いて現れた<舞姫>。
両手に構えた鉄扇を振るい、ユメは俺達の道を作っていく。
「正念場ダ! 気張れヨ、メノア!」
ステフが<獣騎>の背を叩いて叱咤し。
『はいっ!』
怒鳴るようにして声を張り上げたメノアによって、<獣騎>はさらに加速する。
辺りに立ち込めた黒霧の瘴気は、いよいよ濃くなっていて。
「……サティリア様、ご加護を……」
俺の腰に掴まりながら、必死に浄化を続けるセリス。
――そう、こいつもだ。
ああ、もう見ないフリはやめだ。
認めるさ。
セリスも、ソフィアも俺を慕ってくれているんだろうさ。
俺の勘違いじゃなければ、きっとエリスやシンシアもそうなんだろう。
ひょっとしたら、ユリアンもそうなのかもしれない。
アリーシャとリリーシャも……そうなのだろうか?
セリスもあいつらも、なにかしらの形で俺を想ってくれているんだと、そううぬぼれても良いだろう?
――愛なんてわからない。
けどさ。
こんな俺なんかを、あいつらが想ってくれるならさ。
それに応えるにふさわしい言葉が、きっとどこかにあるはずなんだろう。
――いまはまだ、その言葉を思いつけないけれど。
「――セリス、俺なんかを慕ってくれて、感謝する」
腰に回された手に軽く触れて、俺は短くそう告げる。
「――え?」
聞こえなかったのだろうか。
まあ、それも良いさ。
――あいつらに応える言葉はまだ思いつかない。
だけどさ。
みんなが抱える想いを。
それぞれに形も色も違うけれど、誰かを想うという事だけは共通したそれを、俺はひとつの理解で言葉にできた。
『で、殿下! さすがにもう!』
降り注ぐ枝に、ついにメノアが音を上げる。
「よく頑張った」
俺は<獣騎>の背を撫でて、並走する<舞姫>を見る。
「――ユメ!」
「まかせて!」
俺が迷いなく宙に身を踊らせると、<舞姫>は俺を掴んで、さらに上空に放り投げた。
黒霧を抜けて。
ついに俺は<亜神>の頭上に至る。
鈍色の枝葉の中心で――臼状になったその頂きに。
黒色の粘液を滴らせた巨大なつぼみが、ゆっくりと花開き。
『――オレアああああぁぁぁぁ……』
鈍色の肌をしたミレディの上半身が、俺の名を呼ぶ。
「ずいぶんな化け物になったじゃねえか。ミレディ……」
浮遊で宙に留まり、俺は思わず呟く。
――こんなにまでなっちまうのが愛だっていうのか?
本当にそれでよかったのか?
こみ上げる想いを押し殺し、俺は胸の前で拳を握る。
喚器の指輪に魔道を通せば、背後に魔芒陣が開いた。
「来たれ。竜――」
『――サせないヨぉぉぉぉ!』
あいつ、あんなになって、まだ意識があるのか!?
下方から無数の枝が伸びてきて、俺に迫る。
――瞬間。
魔芒陣が切り替わる。
鉄色をした巨大な左腕が伸び出て、その鉤爪で襲いくる枝を薙ぎ払った。
――咆哮。
「――ハハっ! なんだよ、おまえ!
修復中だろうに!」
思わず笑っちまったよ。
それは魔芒陣を強引に書き換え、空間を割って上体を現すと、その腹に俺を呑み込んだ。
四肢が固定され、面が着けられる。
流れる古代文字に、安堵する自分に気づいて。
やっぱり俺はもう、この世界の住民なんだと、改めて思う。
<舞姫>に乗った時の懐かしさとは違う……ひどくしっくりとくる安心感。
「そうだよな。やっぱり締めはおまえじゃないとな!」
だから俺は組み上げていた喚起詞を切り替える。
「目覚めてもたらせ。<
魔芒陣から下半身が引き抜かれ、喚起詞に応じて装甲が真紅に染まる。
無貌の面に銀の文様が走って
肩甲が開いて、虹色の文様を持つ黒翼が広げられる。
『――神器ナどぉぉ――ッ!』
ミレディの叫びに抗うように、<王騎>もまた咆哮をあげた。
ああ、そうだ。
<王騎>の右腕は今も治ってない。
片腕のままだ。
飛び出して来ちまったから、きっとまた再生に時間がかかることだろう。
「――おまえ、俺のこと好き過ぎだろう、相棒」
俺の言葉に応じるように、<王騎>が低い唸り声をあげる。
『……それもまた、想いのカタチだよ。オレアくん』
ユメの遠話が耳に届く。
『さあ、行こうか。
舞台はすっかり整った!
見せてやろう、みんなの想い!」
そうしてユメは単音の唄を奏でる。
青の輝きが<舞姫>に宿り、それは一条の光芒となって<王騎>の胸に注がれる。
カチリと。
胸の奥で魔道器官が切り替わる感触。
だから俺は、左手を胸の前へ。
意識するのはみんなの想い。
「――目覚めてもたらせ。<
喚起詞に乗せて魔道を通せば、俺を中心に精霊光が舞い踊り始める。
王都の時ほどじゃないけれど。
確かに想いはこの場にあって。
俺が束ねるそれは、勝利を願うものなんかじゃない。
ほのかに、ゆっくりと、俺をこの場まで導いてくれたみんなから、精霊光が立ち上り。
俺の周囲に集って踊る。
「――誰かが誰かを想い、焦がれる気持ち。
俺はそれを『恋』と呼ぶ事にしたんだ……」
俺はミレディを見下ろす。
「さあ、行くぞ。ミレディ。
――おまえがラインドルフを想う、真実の愛を!」
突き出した左手に、まるで応じるように紅刀が現れる。
「みんなの想いが打ち砕く!」
瞬間、世界がめくれ上がった。
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