第10話 2

 ラインドルフ殿下の件は、来訪して王城へと連絡が来てから対応する事が決まった。


 外交ではなく、手紙にある通り本当に個人的な外遊目的である可能性もあるからだ。


 ただ万が一、彼がミルドニア第一皇子として、外交目的で王城を訪ねてきた場合に備えて、歓待の用意はしておく事になった。


 歓待の仕切りは、ラインドルフ殿下の動きを察知できなかった無能の外務省どもではなく、内務省に任せる事にした。


 あくまで国内での出来事だと、俺が強引に押し切った形だ。


 外務省の連中、これで懲りてくれれば良いんだけれどな。


 それはさておき、数日後。


 俺はホツマから帰省してきていたエリスに誘われて、お忍びで城下に降りてきていた。


 なんでもホツマ土産を馴染みの孤児院に届けたいそうで。


 俺が以前、孤児達の生活を見てみたいと言っていたのを覚えてくれて、今回誘ってくれたようだった。


 そんなわけで、今日の俺はエリスの護衛のオリーだ。


 庶民慣れしすぎていて、つい忘れそうになるが、エリスも伯爵家ご令嬢だからな。


 市井を回るのに護衛が居ても不思議じゃないだろう。


 魔法が使えるようになった今の俺は、自前で姿変えを使うことができる。


 まだ顔だけしか変えられないから、髪色を隠すために皮帽子を被ってるけど。


 鍛錬を重ねて、いずれリステロ魔道士長のように全身変えられるようになってやる。


 俺は内心で拳を握りしめる。


「――ねえ、兄ちゃん」


 と、そんな俺の袖を十歳くらいの男の子が引いてくる。


「ん? どうした?」


「あのさ、オイラ、前までゴミ拾いのバイトしてたんだけど、大劇場ができて暮らしが変わってさ。

 オイラだけじゃなく、仲間達もバイトしなくても生きていけるようになったんだ」


 嬉しそうにスキっ歯を覗かせて笑うそいつの頭を、俺は思わずグリグリと撫でる。


 こんな歳でも生きていく為に働いてたんだな。


 スラムの政策を実行して本当に良かった。


「でさ、今はゴミ拾いするヤツが居ないはずだろ?

 でも通りにゴミが落ちてないのはなんでだろうって不思議でさ。

 エリス姉ちゃんに聞いてもわからないって言うし。

 兄ちゃんなら知ってるんじゃないかって、姉ちゃんが――」


 女の子達に絵本を読んでやってるエリスの方を見ると、彼女は俺の視線に気づいたのか、困ったような表情で会釈した。


 まあ、普通に暮らしてたら気づかないよな。


 俺はしゃがんで少年と目線を合わせ。


「いいか? ええと――」


「オイラ、ジョンって名前っ!」


 ジョンはにっかり笑って、そう名乗る。


「じゃあ、ジョン。

 今度街に出たら、路地の隅とか晶明柱の下とかに注意してみるんだ。

 そこになにがあると思う?」


 ジョンは腕組みして、首をひねって思い出そうとしているようだ。


「……そういえば、あちこちにゴミ箱が増えてるような」


「お? 覚えてたか。偉いぞ。

 そうだ。街にゴミ箱が増えてるんだ。

 これが道にゴミを捨てる人が減った理由だな」


 誰だって好きで街を汚したいわけじゃない。


 自分の生活圏ならなおさらだろう。


 じゃあなぜゴミを捨てるのか?


 捨てる場所がないからだ。


 そんなわけで俺は、スラム整備の際に内務省内に環境庁をこしらえて、王都全体の環境美化を促した。


 ゴミ箱はゴミ回収所を作ったんだ。


 不衛生は疫病の原因にもなるしな。


 ゴミは庁内に専門の回収部署を作って処理させている。


 貴族連中は嫌がったから、「公務員待遇だぞ」と庶民にまで広く公募かけたら、すぐに人が集まったんだよな。


 集めたゴミは、今は王都の東に<兵騎>ででかい穴を掘って捨てさせてるんだが、焼却所が完成したら順次、燃やしていく予定だ。


 煙害対策の構造造るのが難しくて、建造に時間がかかってるんだよなぁ。


 そんな事をつらつらとジョンに説明していくと。


「ゴミ拾いでお役人になれるの?」


 目をきらきらさせながら訊いてくる。


「ゴミ拾いに限らないぞ。

 ちゃんと先生の言うこと聞いて、半年後から始まる幼年学校で勉強すれば、別のお役人にだってなれるかもしれない」


「あー、オイラ知ってる!

 へたれ殿下が出したせーさくとかで、幼年学校で成績が良ければ、王立学園に行けて、お役人になれるんでしょ?

 ――合ってる?」


「ああ。合ってるぞ。ただ、へたれ殿下じゃなく、王太子殿下、な?」


 無邪気なジョンの答えに、俺は笑みを浮かべたまま、こいつの頭をぐりぐりと撫でる。


 ちょっと強めにだ。


 これくらいは許されるはずだ。


「アレ? 兄ちゃん。ちょっと痛いよ? いたた――

 街のみんなもへたれ殿下って言ってたよ? 王子様の名前はへたれって言うんじゃないの?」


 ――ちくしょうっ!


 やっぱり教育は大事だ。


 俺の名前が変な風に間違って子供に伝わってるじゃねえか!


「良いか、ジョン。王子様の名前はオレアだ。

 ――オレア・カイ・ホルテッサ。言ってみろ……」


「オレア……様?」


「そうだ。おまえは賢い良い子だから、それでも良い。

 みんなにもオレア様――もしくはオレア殿下と呼ぶように広めるんだ。

 ……できるな?」


 真剣な目でジョンを見つめると、ジョンはにっかりとすきっ歯を覗かせて笑い、強くうなずいた。


 ――よし。


 こいつは疑問を疑問のままにしないところといい、街の様子をしっかり覚えていた事といい、教育も受けていないというのに、年齢の割に賢い。


 今から仕込んでいけば、きっと良い手駒になるに違いない。


「いいか、ジョン。

 わからない事や不思議な事があったら、そのままにせずにしっかり考えて、それでもわからなかったら、今みたいにわかる奴に聞くんだ。

 そうしたら、きっとなんにだってなれるぞ?」


 俺がジョンの肩を叩くと、ジョンは再び目をきらきらと輝かせた。


「ホント? オイラ、騎士になりたいんだ!

 でも、リックの奴は騎士に勉強はいらないって。

 オイラみたいに、アレなんで? コレなんで? って考える暇があったら、身体を鍛えなきゃダメだって言うんだ」


 あー、あるある。


 騎士はとにかく剣を振ってれば良いイメージってあるよな。


「ジョン。そのリックにも言ってやれ。

 騎士こそ、勉強ができなきゃダメなんだって」


 文字の読み書きができなければ、作戦が伝えられない。


 算術ができなければ、敵の数が割り出せない場合だってある。


 一見、脳筋にしか見えない<地獄の番犬>隊の連中だって、読み書き四則演算はもちろんの事、指令書の暗号化符号を完璧に暗記してたり、測量計算だってできる程度には勉強ができるのだ。


 それらをジョンに教えてやって。


「――文武両道つってな。

 頭だけじゃもちろんダメだし、強いだけでもダメなのが騎士って職業なんだ。

 最低でも王立学園を卒業できるくらいの頭がないと、試験すら受けられないぞ」


 そう考えると、だ。


 ケイン兄貴の教育があったとはいえ、学園に通わずに騎士試験を突破したユリアンってすげえよな。


 あいつ、俺の親友なんだぜ。へへ。


「――運動も勉強も両方頑張れって事?」


「そうだ。できる事が多い方が、騎士になった時に重用――大事にされるからな。

 なんでも挑戦してみると良い」


 ジョンが嬉しそうにうなずいたところで、子供達に本を読み終えたのか、エリスがやってくる。


「どうだった、ジョン君。教えてもらえた?」


「うん。答えはゴミ箱だった!」


 と、ジョンはさっき俺が教えてやった知識をエリスに披露する。


「へえ。そんな仕組みだったんですね。考えた事なかったです」


 ジョンから話を聞き終えて、エリスは感心したように呟いた。


「ねえ、兄ちゃん。もういっこ訊いて良い?

 ――兄ちゃんとエリス姉ちゃんはコイビトって奴なの?」


 ジョンは俺とエリスを交互に見上げながら、純粋な目で訊いてくる。


「――ジョ、ジョン君っ!?」


 驚いたような声をあげるエリス。


 そりゃそうだろう。


 そんな勘違いされたら困るよな。


 大丈夫。俺がちゃんと説明してやろう。


「ジョンよ。

 エリス嬢が俺みたいな奴を好きになるはずがないだろう。

 彼女にはちゃんと想い人が別にいるのさ」


「――でんっ――オリー!?」


「そうなの? エリス姉ちゃんが男の人と一緒にくるなんて、兄ちゃんが初めてだから、オイラてっきり……

 姉ちゃんは貴族なのに、昔からオイラ達に優しくしてくれるからさ。

 兄ちゃんみたいなヤツだったら、任せても良いと思ったんだけどな」


 ははっ。ジョンは賢いようで、やっぱりオコサマだなぁ。


 思わず俺はジョンの頭を撫でる。


「心配するな。エリスの想い人は俺なんかとは比べ物にならないくらい、優しくてしっかりした人だ。

 おまえだって、会えば好きになるぞ」


 なにせ俺が気づくよりずっと前から、スラムの民を支え続けていた心優しい人だ。


 ジョンが気に入らないワケがない。


「……オリー、絶対になにかおかしな勘違いしてますよね?」


 エリスが胸の前で両拳を握りしめながら上目遣いで見てくる。


 それ、睨んでるつもりなんだろうか。


「大丈夫。俺はそういう方面にも理解がある男だ。

 いずれそういう嗜好が世にはばからなくても済む世の中にしてやる」


「――その言葉で、絶対に勘違いしてるって確証が持てました!

 ……これはお姉さまと……いいえ、皆様と対策を取る必要がありますね」


 後半の言葉の意味はよくわからなかったが、エリスの中ではなにか俺が勘違いしてる事になっているらしい。


 ……よくわからん。


 そんな会話をしていると。


 孤児院の金属製の門が鳴いて、ピンクブロンドの少女が姿を現す。


「――みんな久しぶり~

 あら、今日はエリスも来てたのね~」


 紙袋を抱えながら片手を挙げて、のんびりした口調でやってくる少女を俺は知っている。


 高級娼館<女神の泉>のナンバーワン。


 癒やしの女神の二つ名を持つ王都屈指の娼姫。


 そして、俺が尊敬する人物のひとりだ。


「――アリーシャ! 久しぶりねっ!」


 ん?


 そいつはアイシャって名前だろう?


 俺が不思議そうに首を傾げたので彼女も気づいたのか。


「あれ? お兄さんもお久しぶり~。なんでウチにいるのぉ?」


 んん?


 俺は今、姿変えの魔法で顔を変えてるんだぞ?


「……ひょっとして、ジュリア様が言ってた娼婦って……」


 そして、エリスもまた、俺とアイシャを交互に見やってなにやら呟いている。


「……説明してもらえるか?」


「――説明してくれるぅ?」


「説明してもらう必要がありますね」


 三者三様に同じ問いを言葉にして、俺達は思わず噴き出した。

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