第10話 3

 孤児院の一室を借りて、俺は姿変えの魔法を解いた。


「おまえら、知り合いだったんだな」


 なんでも、エリスがグレシア家に引き取られるまで、スラムで仲良くしていたのだとか。


「あたしの母さんもエリスの母さんも他国からの流れ者だったからねぇ。

 家が近所で年も近いから、自然とねぇ」


「アリーシャってのが本名か?」


「そ~。アイシャはぁ源氏名なんだ~。

 お店で本名だと、色々と面倒に巻き込まれるからって、姐さん達に言われてね~。

 でもあたしぃ、こんな感じだから、近い響きじゃないと気づけないから、アイシャにしたんだぁ」


 そういえば前にフランが言ってたな。


 初めてで女に入れ込んじゃう男の話。


 娼婦相手に入れ込んじまうパターンもあるのか。


「わたしは殿下こそ、アリーシャと知り合いなのに驚いてます」


「ああ、それはな――」


 と、俺はアイシャ――アリーシャとの出会いを説明する。


「……お父様……」


 途端、エリスは手で顔を覆ってため息をついた。


 そりゃそうだろう。


 まさか自分の親父が、貴族御用達とはいえ王太子を娼館に連れ込むとは想像できないだろう。


「だが、俺はおかげでアイシャに出会えたわけだしな。

 グレシア将軍には感謝してる」


 そうして俺はアリーシャに顔を向ける。


「それで、だ。

 俺はさっきまで顔を魔法で変えてたんだが、どうしてわかった?」


 魔法を破られた感触はなかった。


「ん~、昔からなんだけどぉ――エリス、なんて言うんだっけ?」


「破魔の魔眼ね。

 ――それも見通すだけではなく、その気になれば無効化さえできるほど強いものです」


「そういえば昔、ゴロツキに襲われた時にそんな事もできたね。

 あとはあたしに見つめられるとぉ、みんな優しい気持ちになれるらしいよ?」


 それは俺自身が体験している。


 アイシャと出会った夜、俺はなぜか明け透けに悩みを打ち明けてしまっていた。


「――魅了の効果もあるのかもしれません。

 実際、わたし達を襲ったゴロツキ達は、アリーシャに見つめられた途端、バカバカしくなったと言って去っていきました」


「なんだって……」


 アリーシャはなんでもない事のように言っているが、それは凄まじい異能だ。


 冒険者の道を選んでいたなら、一発で勇者認定されるような力だぞ。


 いや、彼女なりに魔眼の力を上手く使っているから、娼婦として二つ名まで受けているのか?


 半年後から始まる幼年学校のカリキュラムに、異能者発掘も組み込んでいるのだが、すでに世に出ている者の中からも見つけ出すシステムを考えないとな。


「しかし、破魔の魔眼とは……」


 リリーシャ皇女と同じ――いや、より強力にした異能だ。


 ……まっさかぁ。


 そんな都合の良い事ってあるか?


 ユメは俺の回りではご都合主義が起きやすいとか言っていたが、あれって危機の時って前提があったよな?


 ふう、落ち着け俺。まずは確認だ。


「な、なあ。アリーシャ。ひょっとしてお前、その髪の色、変えてたりするか?」


 途端、アリーシャとエリスが驚いたように俺を見た。


「なんで知ってるの?」


 アリーシャの声色が代わり、眠たげに下げられていた目元がすっと細められる。


 あの夜も一瞬だけ垣間見たが、それが彼女の素なのだろう。


 しかし――マジかよ……


「元々アリーシャの髪は綺麗な紫なんです。

 でも、子供の頃、その髪色を狙った人さらいが多発しまして」


「ちょっと、エリス!」


「アリーシャ。この方は大丈夫よ。

 それで彼女のお母様がわたしの母に頼んで、彼女に姿変えの魔法を覚えさせたのです」


 恐らくは……ミルドニアの間諜が彼女の生存を知って襲撃しようとしていたのだろう。


 紫髪はホルテッサでは珍しいから、人さらいとエリス達は勘違いしているようだが、アリーシャの母――きっと彼女を託された乳母だろう――は、すぐに理由に思い当たったに違いない。


 だから、髪色を隠すようにした。


「母さんは死ぬ間際でも髪色を隠せって言ってたからね。今でもこうしてるってわけ」


 そうして彼女は姿変えの魔法を解除した。


 窓から差し込む陽光に照らし出されるのは、赤みがかった紫水晶のようにきらめく髪色。


 ほぼ決まりのようなもんだ。


「――母親が言い残したのはそれだけか?」


 アリーシャの警戒心が最大まで引き上げられるのがわかった。


 魔眼を使おうというのか、目が虹色の輝きを帯びる。


「――お兄さん、ホント何者? 前にも王城関係者みたいな事言ってたよね?」


「ア、アリーシャ! この方は――」


「エリスは黙ってて!

 あたしはアンタに聞いてるんだよ?」


 本当に俺は交渉って奴が苦手だ。


 すぐに相手を怒らせちまう。


 ソフィアに任せ過ぎてるからだな。


 これからはもっとまじめに勉強しよう。


 アリーシャの目が見開かれ、強く虹色に輝く。


 その瞬間、俺は腰に佩いた紅剣を少しだけ引き抜き、刀身と鞘を打ち鳴らした。


 ――凛と音が響いて。


 薄い紅の光芒が輪となって広がり、アリーシャの目から虹色の輝きが消失する。


「――えっ!? な、なんでっ!?」


「すげえだろ? 異能の力さえも斬り裂く、ホルテッサ王家伝来の神器だ」


 写し身を持った事をコラーボ婆に伝えたら、色々な使い方を教えてくれたんだ。


 というかコラーボ婆の奴、写し身の存在を知っていながら、いつ俺がそれに気づくか、あえて黙ってたんだってよ。


 ――『試練じゃー』とか、役者のセリフみたいな口調で言ってたよ。


 今は魔法の鍛錬と並行して、コラーボ婆から紅剣使いこなす為の鍛錬もさせられている。


 今使ったのも、その鍛錬で身につけた<スキル>のひとつだ。


 そう。俺はついに<スキル>を使えるようになったんだぜ。


「――ホルテッサ王家伝来って……

 ……それじゃお兄さんは――」


「――だから言ってるでしょう!

 このお方はオレア・カイ・ホルテッサ殿下!

 王太子様よ!」


 ほとんど悲鳴に近い声色で、エリスはアリーシャを叱った。


「ひ、ひえ……」


 途端、アリーシャは座った椅子から転がり落ちるようにして床に膝をつく。


「お、お許しください!

 あたしてっきり……」


「――おまえの本当の身分を知って、利用しようと企む貴族と考えたか?」


 アリーシャはコクコクとうなずく。


「アリーシャの本当の身分?」


 エリスは怪訝な表情だ。


 まあ、スラムの幼馴染がまさか他国のお姫様とは思わないよな。


「エリス。ここからの話は他言無用だ。

 ――ロイドは知っているが、それ以外には家族にも話すな」


 そう前置きして、俺は椅子に座り直したアリーシャを見る。


 彼女は覚悟を決めたように、まっすぐに俺を見つめ返した。


「……ご自身の生まれはご存知なのですね?」


 俺も言葉を改めて、彼女に問いかける。


「どうぞ、先程までのようにお話し下さい。

 今のあたしはホルテッサの平民のつもりなんですから。

 ――亡くなる前に母が教えてくれました。

 あたしがミルドニア皇国の皇女なのだと……」


 エリスが息を呑み。


 アリーシャはうつむいて首を横に振る。


「でも、そんな事はもうあたしには関係ないと思っていたのですが……

 殿下がお探しになるという事は、なにか止まれぬ事情があったのですね?」


 俺はうなずいて。


「君の妹――リリーシャ皇女殿下が君を探している。

 ……正確には君達の母君の頼みで、彼女は動いているんだ」


「あたしの母親は母さんだけです!

 捨てておいて、いまさら!」


「――それは違う!」


 俺だって、リリーシャ殿下の事情をすべて把握しているわけではないけれど。


 彼女の姉に会いたいという願いはウソではないと思う。


 遠いホルテッサまで留学してきて、危険な魔境にさえ足を踏み入れたのは、すべてアリーシャに会いたいという気持ちからのはずだ。


 ウソや軽い気持ちで、そこまでの事はできないだろう。


 俺がリリーシャ殿下の気持ちを、すべて伝え切れるとは思えなかったけれど。


 それでも欠片だけでも伝わってくれれば良いと思い、俺は必死にアリーシャが国を追われた事情を語った。


「――だから、君の母君は決して君を手放したくて手放したわけじゃないんだ」


 ……どうか伝わってくれ。


 どんな理由があったって、家族に会えるのは喜ばしい事のはずだろう?


 うつむいたままのアリーシャを、俺は願う気持ちで見つめる。


「……アリーシャ。なにをそんなに怖がってるの?」


「エリスにはわからないよ。今のあたしの気持ちなんか――」


 顔を背けるアリーシャを、エリスがそっと抱き寄せる。


「いいえ。

 わたしだからわかるのよ。アリーシャ。

 わたしだって、お父様に見つけてもらった時にはそうだったんだから」


 ……そうだろうな。


 この場で、エリスほどアリーシャの気持ちを理解できる者はいないだろう。


「……怖いよね。いまさらって思うよね。

 でもね、せっかく血の繋がった家族が会いたいって言ってくれてるんだよ?

 会わなかったら、きっと後悔するわ。

 そしてね、会ったら今の気持ちなんて、すっと何処かに行っちゃうの。

 ――泣けちゃうくらいにね」


「でもさ、あたし今……娼婦なんだよ?

 皇女様の姉なんて、胸を張って言えないよ」


 泣きそうな顔で、そんな事を言い出すアリーシャに。


「――ふざけんなっ!」


 俺は思わず立ち上がって叫んでいた。


「他の誰がそれを言ったって構わない。

 だが、おまえだけはそれを言うのを俺は許さないぞ!」


 あの夜、美しく咲き誇った夜の華は――優しく俺を癒やしてくれた蝶は、決して卑下するような職ではないはずだ。


「俺が断言してやる。

 ――おまえは王都の男達を癒やす、誰よりも美しい蝶なのだと!」


 拳を握りしめてニヤリとして見せれば。


 俺が尊敬する蝶は――目尻を涙に濡らしながらも、あの晩に見せたような優しい微笑みを浮かべてくれた。


「やっぱり、お兄さんはそういう顔が似合うね。

 ――わかった。

 それならあたしは殿下が誇る夜の蝶として、精一杯を妹ちゃんに見せてみるよ」

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