第8話 4
それからオレア殿は熱を出して三日ほど寝込んでしまった。
久方ぶりの魔道の流れに、身体が適応しきれんかったのだろうな。
見舞いに行くと、その熱さえも愛おしむように微笑みを浮かべて、鞘に納められた紅剣を抱きしめて寝入るオレア殿が見れた。
子供や孫でもいれば、こんな気持になるのだろうか。
権能の分散や混乱を招かぬよう、伴侶をとらなかったこの身だけれど、そんな事を考えてしまう。
オレア殿が寝込んでいる間も、我は王城内や王都をいろいろと見学させてもらった。
王城内では官僚が、王都内は警備も兼ねてなのか騎士がそれぞれ案内してくれて、我は気づいた事がある。
「――サヨ陛下、いかがでしょうか?」
与えられた部屋の応接室でソファに座る我に、向かいの席に腰掛けた小太りな男が笑顔で訊いてくる。
その名と役職、爵位を脳内に刻み込み、我は笑顔の仮面を付けた。
「前向きに検討しておこう」
幼く見えるこの外見は、こういう場や戦場では相手の油断を誘えて、実に都合が良い。
「おお、それは助かります。ぜひともよろしくお願い致します!」
そうして男がしたり顔で去っていくと、我は温くなったお茶をすすって、ため息を吐く。
「……どこでも平和が長いと病むものだな」
思わず呟いてしまう。
このホルテッサ王国は、大戦以降、長く戦を経験していない。
先のパルドスとの戦でさえも、少数精鋭による王都強襲だったため、ホルテッサの貴族達には危機感というものはなかったのだろう。
その結果が今だ。
この国の貴族はふたつに大別されてしまっている。
オレア殿の理想に共感して清廉なままに国を想う者と、長い安寧とかつてない好景気に腐り落ちて、より自らの私腹を肥やそうとする者だ。
国を想うならば、多少の後ろ暗い事に手を染める覚悟も必要となる。
そう考える者がオレア殿のそばにはあまりに少なすぎる。
今はソフィア殿くらいではないだろうか。
そして逆に、後ろ暗い事をしてでも自らの家を富ませようと考える者は、余りにも多いように思えた。
いま訪れていた男もそういった貴族官僚のひとりで、我が国で扱っている魔道器のひとつの独占販売を行いたいという打診をしてきたのだった。
先達として、若くして苦心するオレア殿とソフィア殿の力になってやりたいと思うのだが、我はあくまで他国の王。
干渉が過ぎれば、それもまた彼らにとっての毒ともなりえる。
「――加減が難しいものよな……」
カップを手に窓際に寄って中庭を見下ろせば、魔道の訓練をしている三人の少女が見えた。
この国にやってきた晩の宴で、オレア殿の友人だと紹介された三人だ。
「ほう、古式魔法か。珍しいな」
どうやらユメがエリスという歌い手の少女と、シンシアという踊り手の少女に教えているらしい。
二人はいまや王都を代表する芸の持ち主なのだとか。
精霊が光を纏って中庭に舞い飛んでいる。
興味を引かれた我は、窓から飛び降りて三人の元へと向かう。
「――精が出るな」
我がそう声をかけると、エリスとシンシアは弾かれたように腰を折って跪き、ユメは片手を上げて。
「あ、サヨちゃん。こんにちわ」
そう告げて笑顔を浮かべた。
そう。我とユメは面識がある。
というより、<旅行者>である彼女に、この国を――オレア殿の事を教えたのは我だ。
あの時はユメという名乗りはなかったし、我も彼女が<旅行者>だとわかっていたので、それで事足りていたのだが。
我は手を上げて、エリスとシンシアに楽にするよう示す。
「古式魔法を教えていたのか?」
「うん。二人ともせっかく精霊光を喚べるのに、もったいないって思ってね」
ユメが笑顔で答えると、二人は応じるようにうなずく。
「でもねえ、ふたりとも上手くステージが開けないんだよねえ。
感覚的なものだから、わたしも上手に伝えられなくて……」
ステージとは、魔法が作用する範囲を指定した魔道空間の事だ。
その内部は魔法行使者の自在となる――閉じられつつも完成された、ひとつの世界とも言える。
「……ふむ」
我は腕組みして、エリスとシンシアを視た。
胸の魔道器官が、現代魔法に最適化されているのがわかる。
「さすがの<旅行者>殿でも、自身の常識外には疎いとみえる」
我が笑うと、ユメは不思議そうに首を傾げる。
「リアクターが入力だけになっておるのよ。出力側が閉じておる。そこを開けてやらねば、古式は使えん」
ユメはそれで気づいたように目を見開いた。
「そっか! この世界の人はそういう原理で魔法を使ってたんだ。
ありがとう、サヨちゃん!
それじゃさっそく整調かけて――」
「と、待て待て。その前に二人に聞きたい事がある」
ユメが二人の元に駆け寄ろうとするのを、我が両手を広げて制止する。
「魔道器官の経路を変えるとなると、そなたらしばらく寝込む事になる。
ちょうどオレア殿が今、そうなっておるようにな」
我の言葉に、二人が目を見開いた。
「そうしてでも、そなたらは力を手にしたいのか?」
「はい。わたし達、もう守られているだけじゃダメだと思うんです!」
「あのお方を支え、時には諌める為には、わたくし達は無力なままではいられないのですわ」
「ほう……」
面白いのう。
こやつら、ただオレア殿に惚れているだけではないな。
ただの令嬢ならば、好かれる事をなによりも優先するだろう。
だが、こやつらはオレア殿を諌める為にも力が必要だと訴えておる。
なるほど、<旅行者>殿が古式を授けても良いと判断するわけだ。
「ね、わかったでしょ? この子達は覚悟なんて、とっくになんだよ」
嬉しそうに微笑むユメに、我もまた肩を竦めて苦笑する。
「なるほどの。ここ数日、腐った者を多く見すぎた所為で、我の目も色眼鏡になっておったようだ。
ならば止めるまいよ。
――だが、その前に実は二人に頼みたい事がある」
それこそがオレア殿とソフィア殿に、今後必要になる力となるはずだ。
我の願いに、ふたりは真剣に聞き入り、そして頷いてくれた。
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