第7話 5
俺が辿り着いた時、周囲を招待客に囲まれて、女性に抱きつかれたカリスト叔父上は、困ったように頭を掻いていた。
「――あの女性は?」
俺が隣にいた婦人に尋ねると、やや恰幅の良い彼女は、俺を見て驚いた顔をしたが、すぐに腰を落として一礼し、手にした扇で口元を隠して告げる。
「ルブラン侯爵家のクリスティア様ですわ」
「ルブランと言うと……あっ! 叔父上の婚約者か!」
「ええ。御家の運輸業を国外にまで拡大させて、カリスト様をお探しになっても見つからず……今日、ようやくこうして再会できたのですわ」
言いながら婦人は、ハンカチを取り出して目元を押さえる。
家督は弟が継いでいたはずだが、まさか運輸業の運営に彼女が関わっていたとは思わなかった。
――十年。
叔父上の出奔当時十八だった彼女が、独身を貫き通すにはあまりにも長い時間だ。
その強い意思と想いに、俺は感服するしかない。
「……きっと生きていてくださると、信じておりました」
カリスト叔父上に縋りついたまま、クリスティア嬢は涙ながらにそう告げる。
「……クリス。俺なんか死んだものと思ってくれれば良かったのに」
叔父上が苦笑交じりにそう返すと、クリスティア嬢は顔を上げてキッと叔父上を睨みあげ、その頬を張った。
俺の隣で、婦人が小さく悲鳴を押し殺す。
「それができるなら、十年も待つものですか!
――わたくしにとって、あなたは唯一無二なのです!
生きていらっしゃるなら、せめて、せめて手紙だけでも欲しかった……」
クリスティア嬢は再びカリスト叔父上の胸に顔を埋めて、嗚咽し始めた。
周囲の貴族の女性陣が、もらい泣きを始める。
俺もちょっと涙が滲んできた。
こんなにも強い女性がいたんだな。
「……すまない。俺は勝手に国を飛び出したからな。
君も早々に見切りをつけて、別の男とくっついてると、勝手に思い込んでいた……」
女性の婚期は男性より早い世界だ。
いかに王弟とはいえ、その地位を捨てて出奔し、生死不明ともなっていれば、次をと考えても不思議ではない。
そして本人が拒否しても、周囲が放っておかないのが貴族社会だ。
それを十年もの間、ひとりで戦い続けたクリスティア嬢に、俺は感動すら覚えた。
叔父上はクリスティア嬢の肩を掴んで顔を上げさせ、その顔を覗き込む。
「――こんなおっさんでも良いのか?」
するとクリスティア嬢は綺麗な涙をこぼしながら微笑む。
「わたくしだって、良い歳になってしまいましたわ」
「あー、サラって
「あなたが出奔してなければ、わたくし達の間には、あのくらいの娘が居ても不思議ではなかったでしょう?
――聞けば、あの子はみなしごだったと言うではありませんか。
なら、あの子は生まれてくる場所を間違えただけの、わたくし達の子です!」
涙を流しながら、きっぱりと言い切るクリスティア嬢。
その涙を拭うように、叔父上は彼女にキスを落とす。
それから男臭いニヤリとした笑みを浮かべ。
「それじゃあ、一緒になるか!
……ずいぶん待たせて悪かったな」
「――いえ! いいえっ!」
感極まったクリスティア嬢は、再び叔父上に抱きついた。
周囲の者達が涙を流しながら、二人に祝福の拍手を送る。
「――ねえ、オレアお兄様」
いつの間にかやってきていたサラが、俺の袖を引いて声をかけてくる。
「あのお姉さんと、お父様、結婚するの?」
結婚をもう理解しているのか。
サラはやっぱり賢いな。
俺が答えようとすると、サラの声を聞きつけたクリスティア嬢が、カリスト叔父上の胸から顔を上げ、涙を払ってこちらへやって来た。
俺に一礼し、サラの前で膝を折って目線を合わせる。
「ええ、そうよ。
――サラちゃん。わたくしをあなたのお母様にならせてくれないかしら?」
問われたサラは、一瞬、きょとんと首を傾げ。
「お姉さんがサラのお母様になってくれるの?」
「ええ、サラちゃんが許してくれるなら」
クリスティア嬢が微笑んでそう答えると、サラは拳を握りしめて、ぷるぷると震えだした。
「……お、お母様って……呼んでいいの?」
「そう呼んでくれると嬉しいわ」
サラは堪えきれなくなったように、大粒の涙をこぼしてクリスティア嬢の胸に飛び込んだ。
「サ、サラね。ずっと、ずっとぉ、お母様が欲しかったぁ!
お爺ちゃんの村でも、みんなお母さん居たのに……サラだけ、サラだけ居なくてね――うわあぁぁ……」
まるで堰を切ったように泣くサラを、クリスティア嬢は優しく抱きしめてその頭を撫でた。
「それじゃあ、みんなで家族だな」
叔父上がやって来て、二人をその大きな胸に抱き寄せる。
その美しい光景に、感極まった俺は、涙がこぼれそうになって慌てて上を向いて堪えた。
皆がサラの歓喜に涙を浮かべる。
だが、空気の読めないバカはどこにでもいるんだ。
「――兄上! 勝手をされては困ります!」
「――クリスティア! 貴女には私が婚約を申し込んでいたはずだ!」
そう言って招待客を掻き分けて進み出てきたのは。
「……アドミシアか」
「オースティン殿……」
叔父上とクリスティア嬢がそれぞれの名を呼ぶ。
「勝手とはどういう事だ?」
叔父上はクリスティア嬢とサラを庇うように、進み出て来た二人の前に立って尋ねる。
「兄上も公爵になられたのです!
その立場を揺るぎないものとする為に、もっとふさわしい者を娶るべき!
私にお任せ下さい! 兄上に足る女を見つけて差し上げます!」
「クリスが俺にふさわしくないと? 俺の婚約者だったんだぞ?」
「――当時はそうでしょうとも。しかし状況は変わるのです!
今はもっと兄上にふさわしい者がいるはずです!」
カリスト叔父上は舌打ちし、面倒くさそうにアドミシアを見た。
「末っ子と思って、兄貴達が甘やかしすぎたな……」
ポツリとそう呟く。
「――アドミシア伯。
公爵家の婚姻に、伯爵に過ぎない貴様が口を出す権利はない」
俺が進み出てそう告げると、アドミシアは憎々しげに俺を睨み。
「それが叔父に対する物言いか!?」
「残念だが、俺の敬語は使う相手を選ぶんだ。
今のあんたにゃ、この口でも十分すぎるくらいだ。
あんたこそ王太子の俺にその物言い。何様のつもりだ?」
俺は腕組みして、鼻で笑う。
「衛兵! アドミシア伯爵がお帰りだ! お送りして差し上げろ!」
「オ、オレアぁ! こんなやり方がいつまでも続けられると思うなよ!」
衛兵に拘束されて、アドミシアがホールから連れ出されていく。
「それはこっちのセリフだ。いい加減、わかれよ……」
さて、次はオースティンと呼ばれた男だ。
オースティン家と言えば、ルブラン家同様、運輸業を生業としている家だったはずだが。
「――クリスティア! なぜわかってくれない! 私は本当に君を愛しているんだ!」
叔父上を無視して、クリスティア嬢に言い募るオースティン。
「――いいえ。あなたはルブラン家の事業が――国外販路が欲しいだけでしょう」
クリスティア嬢の毅然とした態度に、オースティンは一瞬怯んだものの。
「互いの家にとって益となる婚姻だろう? 貴族ならば、これも真実の愛の形だ!」
あー、面倒くせえな。
こういう論点ズラすバカとは、まともな会話にならないものって決まってるんだ。
「衛兵! もう一名、お帰りだ!」
俺の言葉に従い、オースティンは衛兵に取り押さえられた。
「――で、殿下!? なにを……」
「二人の結婚は俺が承認する。
おまえは外野なんだよ。冷静になれないなら、さっさと帰れ」
「――クリス! クリスティアーっ!」
オースティンは叫びを残して、ホールから連れ出されていった。
「殿下、お手間をかけました」
公の場だからなのだが、叔父上が俺に敬語を使うのが、気恥ずかしく感じる。
ふと見ると、クリスティア嬢の腕の中で、サラがウトウトし始めていた。
「叔父上。サラは俺が預かります。ふたりで踊ってきたらどうですか?」
俺がそう勧めると、ふたりは照れくさそうに視線を絡めてうなずき合う。
「それではお願いできますか?」
「任せておいてください」
そうして俺は、宴の席をソフィアに任せ、眠るサラを抱えあげて寝室に向かった。
メイドにサラを着替えさせて、俺も礼服を脱ぐ。
俺も疲れていたのか。
すっかり寝入って、幸せそうな笑みを浮かべているサラを眺めている間に、俺もまた眠りに落ちていた。
そして、翌朝。
サラと二人で朝の支度をしていると、カリスト叔父上が飛び込んできた。
「――オレア! 頼む、暗部を貸してくれ!」
そう告げる叔父上の表情は、ひどく切迫したものだった。
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