第4話 5

 オレア様が調伏で倒れられ、城館に運び込まれたと聞いて、わたしは水場で洗面器に水を汲み、布を浸して客間に急いだ。


 念の為にノックするが、返事はない。


「失礼致します」


 わたしは断りを入れて入室した。


 客間は応接室と続きになって、寝室が用意されている。


 再度ノックしたが、やはり返事はなく、わたしはドアを静かに開く。


 寝室にもお付きの者はおらず、わたしはベッドに歩み寄った。


 サイドテーブルに洗面器を置き、ベッドで眠るオレア様を見下ろす。


「ふふ……」


 わたしは思わず笑みを浮かべ、身体を曲げようとした瞬間。


「――動くな」


 低く押し殺した女の声。


 気づけば、わたしの右首筋には冷たい感触があって。


「アリア嬢。いったいなんのつもり?」


 背後の人物が尋ねる。


「わ、わたしは……オレア様のお熱を――」


 と、その時。


 オレア様がうめいて、ゆっくりと目を開かれた。


「……フラン、と……アリア嬢? なにをやってるんだ?」


 フランというと、お付きのメイドだったかしら。


「オレア様! 助けてください! こ、この方がわたしを!」


 哀れを誘う声音で、必死に訴えたのだけれど、オレア様は欠伸をこぼして大きく伸びをする。


「フラン、説明」


「はい。この方がお部屋に許可もなく侵入した上、殿下に触れようとしていた為、尋問しようとしていました」


 淡々と答えるお付きメイドに、オレア様は苦笑された。


「相変わらず、大袈裟だなぁ」


「――ですが」


 言い募ろうとするお付きメイドに、殿下はサイドテーブルの洗面器を見て。


「良い良い。大方の予想はついた。

 ――アリア嬢。下がってくれ」


 手を振ってオレア様はお付きメイドを控えさせ、わたしにも退室を命じる。


 わたしは素直に応じて、寝室を出ようとしたのだが。


「そうそう。アリア嬢」


 オレア様はわたしを呼び止められて、強い目で仰られた。


「――俺は火遊びはしない主義なんだ」


 まあ。


「存じ上げておりますとも」


 わたしは一礼して客間を後にする。


 私室に向かって廊下を歩いていると、向こうからジュリアが歩いてくるのが見えた。


「あ、アリア姉さん」


 彼女はまるで犬のようにパタパタと尻尾を振って、駆け寄ってくる。


 この子のこういうところは、拾われた時から変わらず、本当に愛らしいと思う。


「ジュリア。侵源調伏隊には、あなたも参加したんですってね。すごいわ」


 わたしがそう言うと、ジュリアは照れくさそうに、頭の上の耳をピクピクと震わせた。


「オ、オレア様の騎士だもの。当然よ」


 顔を赤くしながら、ジュリアはそう答える。


「オレア様も自ら侵源調伏に出られたんですってね。

 ねえ、ジュリア。今、時間いいかしら? 調伏の時のお話、聞きたいわ」


「良いけど、夜は慰労会でしょう? メイド長がドレス合わせをしてほしいって言ってて……」


「あなたの持ってるドレスって、一年前にここに居た時の型落ちでしょうに。

 わたしのを貸すわ。部屋にメイド長も呼ぶから、合わせながらお話しましょう。

 ――ね?」


「もう、相変わらず強引なんだから」


 苦笑したジュリアの手を引いて、わたしは自室に向かった。


 ドアを開けて部屋に入ろうとすると、ソファに寝そべった、革鎧姿の男が目に入る。


「――誰だっ!」


 ジュリアがわたしを庇うように前に立ち、腰の剣に手をかける。


「――ま、待って。ジュリア。

 お、お友達! そう、お友達なの!

 クルツ! 勝手に来ないでって言ったでしょう!」


「そうそう。騎士殿、俺は冒険者のクルツ・ノーリス。アリアお嬢様のお友達さ。

 そう。、お友達ね」


 わたしの叱責を無視して、クルツはジュリアに告げた。


 ジュリアは目を細めてわたしを見つめ。


「……姉さん、またなの?」


「だって……」


「いい加減にしないと、兄さんにも呆れられるって、わたし前に言ったわよね?

 ――もう! アリア姉さんなんて知らない!」


 そう叫んで、ジュリアは部屋を飛び出していく。


「ああ、ジュリア……

 クルツ! どういうつもりなのっ?」


「いやー、騎士団のおかげで思ったより早く、黒森の侵災は終わりそうだからね。

 俺、ここに来てからまだ一ヶ月ちょっとで、あんまり稼げてなくてさ。

 狩場を変える前に、もうひと稼ぎと思ってね」


 わたしは嫌な予感がした。


「お嬢様? 俺との関係、ご当主様にバラされたくなかったら……わかるよな?」


 クルツが言いたい事はわかった。


 わかったけれど、わかりたくなかった。


「すぐには用意できないわ。少し時間をちょうだい」


「あんまり長くは待てないよ?」


「わかったわ。わかったから、今日は帰ってちょうだい」


「残念ながら、今夜の慰労会には俺達、冒険者も呼ばれててね」


 ソファから身を起こし、クルツは肩を竦める。


「お願いだから、部屋から出ていって!」


 わたしが声を荒げると、クルツはニヤニヤした笑いを浮かべたまま。


「はいはい。わかりましたー」


 そう言って部屋を出ていった。


 ああ、とんでもない事になってしまった。


 わたしはどうしたら……


 悩んでも答えは出ず、気づけば慰労会の時間が迫っていた。


 ……もう、こうなったら――

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