王太子、ロマンを語る

第3話 1

 朝の心地よい空気を胸いっぱい吸い込んで深呼吸し、ボクは準備運動を始める。


 夏が近い季節だというのに、朝がまだまだ冷えるように感じるのは、ボクが南の生まれだからだろうか。


「――おはよう、ユリアン。今日も早いな」


「ニルス隊長、おはようございます!」


 名前を呼ばれて、ボクは姿勢を正して敬礼する。


 隊長は苦笑しながら手を振って、楽にするように示した。それから自分も準備運動を始める。


「それではボクは、お先に走ってきますね」


「おう、頑張れ」


 隊長の励ましを受けて、ボクは訓練場を走り始める。


 小柄なボクは、他の騎士達に比べて筋力に劣る。その不利を覆すには、とにかく走って走って、持久力をつけるしか無い。


 いずれ<騎兵騎>に乗れるようになれば、筋力の差はなくなるんだ。そうなった時、最後にモノを言うのは持久力のはず。


 そう信じて、ボクは毎朝毎晩、ひたすら愚直に走ってきた。


 ――早く一人前の騎士になるんだ。


 そして、兄さんの手伝いができるようになる。


 それが今のボクの目標だ。


 広い訓練場を三周もする頃には、他の隊員達も顔を出し始める。


 第三騎士団はその任務の性質上、実戦に出ることが多くて、自然と強面が多くなる。身分もそれほど高い人はいなくて、ボクのように家を継げない人が多い。


「今日もユリアンが一番かよ」


「マジメだねえ」


 みんなの前を通り過ぎる時に、彼らはそう言って、ボクの頭や肩を叩いてくる。それが彼らなりの励ましなんだ。


「いつまでも先輩達に負けてられませんからね」


 そう言って拳を突き出して見せれば、彼らは苦笑しながら、ボクと一緒に走り出す。


「あのユリアンちゃんが、言うようになったもんだよなぁ」


「最初の頃は、なに言っても生真面目な答えしか返ってこなかったのにな」


 う……あの頃の事にはあまり触れてほしくない。


 恥ずかしさで顔が赤くなる。


 騎士団に入団したばかりの頃のボクは、騎士とはもっと紳士的なものだと幻想を抱いていたんだ。少し考えてみれば、戦いの場に身を置く者なのだから、そんなわけないのに。


 そんなボクも、入団からもうじき一年。


 いまでは訓練中に先輩達に「死ね! クソ野郎!」「おまえこそ死ね!」と言い合えるくらいには成長した。


 ん? これは成長でいいんだろうか?


「そう言えばユリアンちゃん、そろそろ騎兵試験だろ? 調子はどうだ?」


「そうそう。おまえ、<騎兵騎>に乗りたくて入団してたつってたろ?」


「頑張りますよ。ようやく受験資格を得たんです!」


「<騎兵騎>もらって、兄ちゃんの手伝いするんだもんな?」


「そうです。そうなれば、実家ももうちょっと楽になるはずですから」


 ボクは拳を握りしめてうなずきを返す。


「――ほう。それは良い目標を持っているな。ユリアンの実家はどこなんだ?」


「あ? 知らねえのかよ――って、殿下!?」


 先輩の声に、みんな驚いて足を止め、後ろを振り返る。


 この国では王族しか持たない黒の髪に、ややツリ目がちな目元。


 ――オレア・カイ・ホルテッサ。


 この国の王太子殿下だ。


 以前は穏やかな笑みを絶やさない人だったけれど、最近、婚約破棄された事をきっかけに、恐ろしい本性を表したともっぱら噂の人物。


「今日はまた、ずいぶん早くからお越しっスね」


 先輩のひとりが尋ねる。


 殿下は政務の合間を縫って、時々訓練に現れる。


 王族なのだから近衛に稽古をつけてもらえば良いと思うのだけど、性格が変わる前から、殿下はなぜか好んで、第三騎士団所属のウチの部隊に顔を出していた。


 以前、不思議に思って尋ねてみたら、「ここは私に気遣いせずに訓練してくれるからな」と、爽やかな笑顔で教えてくれた。


 先輩の質問に、殿下は頭を掻きながら苦笑。


「実は先日、<王騎>を全力稼働させてみたんだが……」


 知ってる。


 新聞にも載った、「王太子、怒りの咆哮事件」だ。


 学園の中庭から放たれた竜咆ドラゴンブレスが王都の夜空を染め上げたのを、ボクもはっきりと見た。


「アレで数日、筋肉痛で寝込む事になってな。鍛錬不足を痛感した。だから、数日は政務をソフィアにまかせて、鍛錬に集中しようと思うんだ。

 邪魔にはならないようにするから、みんな頼むな」


 殿下は気さくにそう言って、みんなを先導するように再び走り出す。


 以前の爽やかな雰囲気の殿下も格好良かったけれど、今の気さくな殿下の方が、ボクは話しやすいと思う。なぜか貴族には恐れられているようだけど。


「それで? ユリアンの実家はどこなんだ?」


 殿下はボクの隣に並んで走りながら、そう尋ねてくる。


「スローグ家です。その……辺境伯家の」


 家を継ぐわけでもないのに、家の名前を出すのが恥ずかしくて、ボクはちょっと口ごもりながら答えた。


「ああ、黒森守護のスローグか! それなら確かにおまえが騎兵騎士になれば、<兵騎>も持ち帰られるな」


 殿下が納得したようにうなずいて、微笑む。


「――どういう事です?」


 先輩が小首を捻って尋ねると。


「おまえは筋肉だけじゃなく、もっと頭も鍛えろ。

 いいか? 我が国では領主の軍事力保有を禁止しているな?」


 ホルテッサ王国の前身であった、ルキウス帝国が滅んだ原因となった内乱。それは貴族が軍事力を保有していた為に起こせたものだ。


 王国は同じ徹を踏まない為に、領主が私兵などの軍事力を保有することを禁止している。


 もちろん、街の警備などを行う衛士は除外されているのだけれど。


「はい。その為に各領には第二騎士団の分隊が派遣されて衛士の監督をし、即応としてウチ……第三騎士団が王都に控えてるわけですよね」


 ちなみに第一騎士団は王都守護がその役割だ。


 ボク達、第三騎士団は魔物などの、第二騎士団の分隊では対応しきれない事態が発生した時に、領主の求めに応じて派遣される。


「だが、その法を免除されている領がある。それが辺境伯領だ。

 辺境伯領は国境なんかが多いからな。騎士団を常駐させるより、直接、辺境伯に兵を育成管理してもらった方が効率も良いし、有事の際にも士気が上がるんだ」


「それがユリアンと、どう繋がるんです?」


「辺境伯軍も名目上は騎士団の扱いなんだよ。辺境騎士団つってな。だから、ユリアンが騎兵騎士となって異動願いを出した場合、<兵騎>と共に実家に<兵騎>を持ち帰る事ができる」


 殿下の説明に、先輩は目を丸くしてボクを見る。


「おまえ、いろいろ考えてたんだなぁ?」


「先輩達が頭を使わなさすぎなんですよ! 絶対にその中身、筋肉でしょう」


 ボクの言葉に、みんなが吹き出して大笑いする。


 本当にここは良いところだ。


 ボクもまた笑いながら、そんな事を考えた。

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