第2話 7

「オレアぁ……」


 憎しみのこもった目で、グラートが俺を睨む。


 俺、こんな目で見られるような事、こいつにしたっけ?


「殿下をつけろよ、公爵令息」


 確かにこいつの父親は、王の――俺の父上の弟だ。だが、臣籍にある以上、従兄弟だろうと序列は絶対だ。


「黙れ、出来損ないが! そもそもおまえが生まれなければ、僕が王太子だったんだ!」


 ――は?


 こいつはなにを言ってるんだ?


「ソフィア!」


 名前を呼べば、真紅のドレスで完全武装したソフィアが学生達の間から進み出る。


「おまえ、こいつの言ってる事、理解できるか?」


「――学園教育の敗北ですね」


 ソフィアが黒くてふさふさの扇で口元を隠して告げる。


 よくわからん。


 確かに俺は父上と母上が歳食ってから生まれた子ではあるが。


「なあ、叔父上の継承権何位か知ってるか?」


「おまえが生まれる前は三位だった!」


 そこは理解できてるんだな。


「じゃあ、俺が生まれなくたって、父上の後を継ぐのは亡くなったクレストス公だったはずだろう?」


「だが、早逝なさっている! そして女は王位を継げない!」


 あー、なんとなく、話が見えてきたぞ。


「それでも二位だったカリスト叔父上がいるだろう」


「権威を嫌って出奔なさったではないか! 当然、我が家が王家になるはずだったんだ!」


 なるほどね。恐らく叔父上もそういう考えで、グラートもそう教えられて来たというところか。


「そうやって、都合の良い事しか見ようとしないから、商売も上手くいかないんだろうな」


 俺が皮肉ってやると、グラートの顔が驚きに染まる。


「なあ、グラート。おまえの家が経営してる劇場……あー、ソフィア、いくつだっけ?」


「五つですね。

 すべて経営が傾いてます。まあ、新紙幣発行による市場の変化に対応できなかったのと、大劇場計画による芸人の流出が原因でしょう」


 そういえば大劇場で雇って欲しいという劇団や芸人、最近多いんだよな。


 淡々と告げるソフィアに、グラートは火が着いたように声を荒げた。


「そうだ! おまえが余計な事をするから!

 庶民に劇場だと? 下賤な者に理解などできるものか! ああいうものは貴族だからこそ理解できるんだ!」


 その言葉に、俺は鼻を鳴らして笑ってみせる。


「それでエリスを囲って、劇場の出し物に、か?」


「そうだ! 彼女の歌声は我が劇場にこそふさわしい!」


 背後でエリスが息を呑んだのがわかった。


「はー……おまえ、街歩きしたことねーだろ?

 庶民だって、歌や踊り、劇なんかは大好きだぞ」


 むしろ前世の記憶のある俺としては、クラシック然とした貴族の好む演劇や音楽なんかより、下町の素朴だけれど力強いものの方が好みだ。


「知ってるか? 下町じゃ、ボロ布で人形作って劇をやるんだ。そういうものが、劇場での劇に劣っているとは、俺は思わないんだが……」


「――王族のクセに下町を巡ったというのか! 下賤の者に混じって観劇だと? やはりおまえに王太子の座はふさわしくない!」


 面倒になってきた俺は、ため息をついて、ジャケットをソフィアに手渡す。


「それで? ふさわしくないならどうする、お坊ちゃん?」


「出来損ないを排除して、僕が王座を勝ち取るまでだ!」


 ソフィアが笑みを濃くして口元を隠す。


「謀反の宣言です。有罪ですよ。殿下」


「よっし、ソフィアの判決も出た事だし、やってやるか!」


 タイを緩めて俺は肩を回した。


「魔法も使えず、<王騎>すら半端にしか出せない出来損ないが偉そうに!

 ――出よ、<公騎>!」


 グラートの背後に魔芒陣が浮かび、五メートルの白銀の甲冑――<公騎>が現れて、その胸を横に開き、グラートを呑み込んだ。


 パーティ会場に悲鳴が上がる。


 あーあー、あいつ、怒りで見境なくなってんな。


「ソフィア。生徒達の避難誘導を。生徒会の連中を使え。あと、王城に連絡。衛兵を呼んで、捕縛の用意だ」


「かしこまりました。ご武運を」


 俺はソフィアに親指立ててうなずいて見せる。


「殿下……」


 外に向かって駆け出そうとする俺に、シンシアが声をかけてきた。


「婚約者の不始末、申し訳ありません」


「元、だろ? おまえの所為じゃない。気にすんな。それよりエリスを連れて早く逃げてくれ」


 そうしている間にも、<公騎>の顔に空いた八つのスリットに真紅の光が灯り、起動が完了したのを知らせてくる。


「――おい、こっちだ!」


 グラートに叫び、俺はパーティ会場の中庭に躍り出る。


『――逃げるな、卑怯者!』


 <公騎>がパーティ会場の壁を突き破って飛び出してきて、そんな事を叫ぶ。


 生身の俺に<公騎>まで出して、どの口が言う!


 中庭の壁際まで走って、俺は追ってきたグラートを振り返る。


「――なあ?」


『なんだ? 命乞いか? 出来損ない』


 それだ。こいつ、さっきからやたら俺を出来損ない呼ばわりするんだが。


「なんで俺が出来損ないなんだ?」


『王の証たる<王騎>を片腕しか出せない者が、出来損ないでなくてなんだと言うんだ!』


 あーあー、はいはい。なるほどね。


「ひょっとして、サル大暴れ事件の時の事を言ってるのか?」


『そうだ。父上から聞いたぞ! おまえは王太子婚約破棄事件の時、勇者相手に<王騎>を片腕しか出せなかったそうではないか!』


「……おまえも、そこは言い張るのかよ……」


 俺は髪を掻き上げ、<公騎>を見上げる。


「おまえ、勇者ごときに、俺が本気を出さなきゃ相手できないとでも思ったのか?」


 ため息が出る。本当にコイツ、俺をナメすぎだろう。


 まあ、確かに幼い頃の初めてを除けば、<王騎>を人前で使ったのはアレが初めてになるのか。なら、そういう勘違いをしても仕方ないのかもしれないが。


 ……だが、王太子をできそこない呼ばわりは違うだろう?


 俺はグラートを見透かすように<公騎>を見据え、一歩を踏み出す。


『な、なんだ? 潰すぞ!』


 こいつ、これしきで声が上ずってやがる。これで王座を欲するなんて、小物の高望みがすぎるだろう。


「今後、似たような勘違いをされても面倒だ。

 ――俺の本気を見せてやろう」


 そうして俺は、胸の前で右手を握りしめる。


「目覚めてもたらせ、<継承インヘリタンス神器・レガリア>」


 呟きは魔芒陣となって背後に開き、そこから<王騎>が姿を現す。


 腕を覆うほどの肩鱗甲に、竜を模したかぶと。背中に流れるたてがみの色は純白で、無貌の面が俺を待っている。


『う、うそだ! 嘘だ! 嘘だ嘘だ! おまえは半端にしか喚べないはずでは……』


「都合の良いものしか見ようとしない。それがおまえを惑わせた」


 <王騎>の胸が横に開いて、俺を呑み込む。


 鞍のような内部で、俺の四肢が固定され、顔に面が着けられた。


 同時に<王騎>の色が、無骨な鉄色から燃えるような真紅に変わり、面に銀の文様が走ってかおを象るのがわかった。


『負けられない! 負けたら終わりだ……

 う、うおおおおぉぉぉ――――』


 <公騎>が剣を抜き放って襲いかかってくる。


 それを俺は、<王騎>の巨大な左肩鱗甲で受け止める。


 両手で肩鱗甲の付け根にある持ち手を握らせると、それは肩から外れて、巨大なナックルガードになった。


「知ってるか、血統主義者! 俺達王族も、元を辿れば庶民の出だぞ!」


 <公騎>の胴を殴りつけ、俺は告げる。


「ホルテッサ王国の前身であるルキウス帝国。その最後の皇帝は貴賤問わずに、実力ある者を重用したからな!」


 <公騎>の剣を右拳で弾き飛ばした。


「ホルテッサ王家の開祖は、帝国時代はそんな皇帝イステーリア三世に重用されて貴族になった、元庶民だ!」


 この国で暴君と言えば、百五十年ほど前のルキウス帝国最後の皇帝、イステーリア三世だ。


 俺が心から尊敬する『頭のおかしさ』を持つ彼は、当時の譜代の帝国貴族と、試験を勝ち抜いた庶民を、同等に扱った事が原因となって国を割り、譜代貴族に暗殺されて命を落としている。


 俺も行く行くは庶民だろうと拘らず、政治に関わらせたいと思うのだが、まだその土壌はできていない。


『――だが! それは元々、優れた血があったからこそ、重用されたのだ!

 ただの庶民とは違う!

 そうだ! エリスも庶民だろうと優れているから、ウチに迎え入れても……』


「論拠がブレてるぞ。血統主義者!

 おまえのようなバカを排除するのが、俺の代の役割だ!」


 両拳を打ち合わせると、両手の間の空間が揺らぎ、紫電を放って球を形造る。


「――吼えろ! <暴虐王騎アーク・タイラント>ッ!」


 俺の叫びに応えて、<王騎>の両手から濃紫の奔流が迸り、王都の夜空を染め上げた。


『ヒ、ヒイイイイィィィィ――ッ!?』

 グラートの悲鳴が辺りにこだまする。


「……ドラゴンブレス――お見事です」


 <公騎>が空けた穴から顔を覗かせたソフィアが、口元を扇で覆って静かに告げる。


 目の前で、頭部を失った<公騎>が白煙を上げて倒れ込んだ。

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