第1話 2

 ポカンと俺を見上げてくる二人を前に、俺は丁寧にバックに整えられた髪を手でかき乱して前に下ろす。


「……わかった、と。素直に言うと思ったか?」


「お優しい殿下なら、ご理解頂けるはずです!」


 そう告げるセリスの目は、それを信じて疑っていない者の目だ。


 元々セリスとは、貴族間のパワーバランスを整える為の、いわば政略結婚だ。


 前世の記憶を取り戻す前から、俺はさして彼女に執着はしていなかった。


 だが……これは違うだろう?


「……俺もずいぶんとナメられたもんだなぁ」


 呟き、俺は肘掛けに頬杖突いて、足を組む。


「おまえの王妃教育や身の回りのものに、どれだけの予算が費やされたかわかっていて、それを言っているんだな?

 ――当然、コンノート家はそれを返上する気があるんだよな?」


 彼女と婚約が決まったのは五年前。俺が十二で彼女が十歳の時だ。


 その五年で、王太子妃候補として、彼女に組まれ、そして費やされた予算は、庶民百人が十年は遊んでくらせるほどの金額になる。


「毎年、きっちり予算を使い切ってくれたおまえだ。知らないとは言わないよなぁ?」


「ぞ、存じ上げませんわ!」


 顔を青くして首を振るセリス。そんな彼女をかばうように、金髪男が彼女の肩を抱き寄せて前に出る。


「予算なんて、気にする必要はない。君は王太子妃になるんだから」


 そういえば、こいつが居たんだった。


「――ソフィア」


 真紅のドレスで完全武装し、俺と同じ黒髪を背中に流した、俺の補佐のソフィア・クレストス女公爵に声をかける。


 彼女は俺と同じ歳とは思えないほど賢く聡明で、その脳内に人物名鑑を収めている。


「――勇者です」


 ふさふさの黒い羽根扇で口元を隠して、彼女は短く告げた。


「ああ、アイツが……」


 報告によれば、ノーリス伯爵領から出てきた若者で、冒険者として目を見張るものがあったから、ノーリス伯の後見で勇者認定し、王立学園に特待生として編入させたはずだ。


 俺はため息まじりに呟き、再び勇者に視線を向ける。


「今、面白い事を言ったな? セリスは俺と結婚しないんだぞ?

 なぜ王太子妃になれる?」


 すると勇者はさも当然というように胸を張って告げる。


「王太子妃になる彼女と結婚する者が王太子になるのだから、俺が王太子になるからだ!」


 ……このサルはなにを言っているのだろう?


「……ソフィア。理解できるか?」


「……完全に学園教育の敗北ですね……」


 呆れ果てる俺とソフィア。


 そういえば、勇者は身体能力は優れているが、知能が残念だからこそ、学園に編入させたのだったか。


 貴族達も冷笑を始める。


 そんな状況に勇者――金髪サルは激昂して俺を指差した。


「いつまでそこから俺を見下している! 俺は王太子になるんだぞ!」


 その様子に、ようやくセリスもなにかがおかしいと気づいたのか、周囲を見回してオロオロし始めた。


 俺はこれ以上ないほど優しい笑みを浮かべ、ソフィアに尋ねる。


「あのサル、反逆罪だよな?」


「十分、適用できますね」


 頭の中に法律辞書も持っているソフィアのお墨付きだ。


「――近衛。あのサルを捕らえろ」


 俺がサルを指させば、ホールの壁際で待機していた近衛が駆け寄ってくる。


「クソ! 卑怯だぞ! オレア王子!」


 サルは俺を罵って、それから構えを取る。 


 さすがは野生といったところか。


 サルは近衛相手に無手で大立ち回りを演じ始める。


 ホールに淑女達の悲鳴が響き、紳士達は近衛を応援して喝采を上げる。


 そんな喧騒の中で、俺は声を上げる。


「――ノーリス伯!」


 名前を呼ばれ、群衆の中から真っ青な顔で姿を現す、アゴヒゲの紳士。


「おまえ、あのサルの飼い主だろう? どう責任を取るつもりだ?」


「申し訳ありません! このような事になっているとは私も……なにとぞ、寛容なご沙汰を。殿下ならご理解頂けるはず……」


 ああ、こいつも俺をナメてる口か。


 確かに優しく、人と波風立てないように生きてきた以前の私なら、こいつは容赦してやったろう。


 罰を与えても、せいぜいが数週間の領内蟄居といったところか。


 だが、俺はもう――私じゃない。


「反逆者擁立だ。おまえ、改易――所領没収の上、爵位剥奪な」


「――殿下!」


 ノーリスがその場で膝を折って土下座する。


「後任は後に報せを出す。それまでに身辺整理しておけ。

 ――衛兵。ノーリスをつまみ出せ」


 ホール入口にいた衛兵が、俺の言葉に従って、ノーリスを退出させる。


 ホールでの近衛とサルの大捕物がいまだ続く中、ノーリスの処分を見た貴族達は息を呑んで俺に注目していた。


 それにしても近衛、弱えな。


 もうちょっと訓練増やした方がいいんじゃないか?


「……次だ。コンノート侯爵!」


「は、はひぃ!」


 呼ばれる覚悟はしていたのだろう。


 コンノート侯爵は禿げ上がった頭を脂汗でテカらせて、前のめりになって俺の前に進み出ると、即座に土下座して見せた。


「――わ、私は知らなかったのです。すべては娘が勝手にしでかした事! なにとぞ、ご寛容な沙汰を!」


「――お父様! お父様だって、わたしとアベルが一緒になれば、パルドス王国とのパイプが太くなるって喜んでたじゃない!」


 土下座するコンノート候にセリスが詰め寄る。


「そう、それだ……」


 勇者のパーティ――いまは同じく学園に通っている女生徒だ――の中には、パルドス王国の高位貴族の娘がいる。


 コンノート候はその娘の家を足がかりに、より深くパルドス王国に食い込もうとしていたのだと、王城の諜報組織から報告が上がっていた。


 そもそもセリスとの婚約は、国内外に手広く商社を持つコンノート家を、我が国に繋ぎ止める為に結ばれたものだ。


 王――父上は、コンノート候も娘が王太子妃、ひいては王妃になれば、落ち着くだろうと考えていた。


 だが、甘いと言わざるを得ない。


 コンノート候は娘を通して入手した王城の情報を、勇者パーティの魔道士の娘――つまりはパルドス王国の貴族令嬢なわけだが――を通して、パルドス王国に売っている。


 父上も以前の私も、候を警戒しつつも、身内となれば我が国の益になるよう働くだろうと思っていたのだが……


「おまえがやってるソレ、売国だよな?」


 俺は違う。


 ソフィアを一瞥すると、彼女は強い笑みを扇で隠したまま。


「外患罪は国家反逆罪と同等。

 爵位剥奪、私財没収の上、鉱山労働。内容によっては死罪も適用されます」


 淡々と侯爵に告げる。


「――わ、私はこの国の為を思って外交を……」


「おまえは財務省勤務だろう? なぜ外交に手を出す。越権行為だぞ?」


「こ、これまでは陛下も――」


「父上は離宮で療養中だ。

 ……今、この国を仕切っているのは俺だ」


 そう。五十を目前にして、過労で倒れた父上は、今は過ごしやすい南の直轄領にある離宮で、悠々自適に過ごしている。


 そのせいで俺は学園の卒業式を待たずに卒業し、政務に勤しむハメになったのだ。


 結果、婚約者との時間が減り、その間にあのサルに奪われたと思えば、自分の巡りの悪さに笑えてきてしまう。


「衛兵。コンノートを捕らえろ」


「ハッ! 令嬢はいかがなさいますか?」


 衛兵の問いに、俺はふと思いついて、残すよう告げる。


「……良い機会だ。

 俺をナメたらどうなるか、他の連中にも良く知ってもらう必要があるからな」


 呪詛を喚き散らしながら衛兵に連行されていく、コンノートを尻目に、俺は足を組み替える。


 サルはいまだに捕まらず、近衛達と殴り合いを続けている。


「そろそろ締めとするか」


「直接、手をくだされるのですか?」


 ソフィアの問いに、俺は笑って見せた。


「あのサルに、なぜ王族が王族でいられるかを教え込むのも面白いだろう?」

 

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