第19話

 南京城外。


 手応えを感じてはいるものの、鄭成功はまだ最終攻撃の決心をできないでいた。


「城外の士気は相当に下がっているはずだが、まだこちらに降伏を呼びかける者がいない」


 ということが理由である。


「とはいえ、城内に派遣している者に聞いても、城内はもう意気消沈しているという話。こちらが攻め込めば向こうから降伏してくるのではないでしょうか?」


 いつもは慎重な甘輝が攻撃を呼びかけるが、それでも消極的な反応に終始する。


「分かりました。もう一日、様子を見ましょう」


 甘輝はそう言って退いていった。



 鄭成功の陣を出た甘輝は、そのまま正雪の陣へと向かった。


「勝ちが確実なものになってきて、今度は名誉を損ねることを恐れているようです」


「名誉とは?」


 甘輝の愚痴を、正雪はまず受け流す。


「つまり、迂闊に南京に攻め込んで、兵はともかく民を傷つけることを恐れております。できれば相手の降伏を待ちたいと」


「なるほど……」


 確かに勝利が明白な状況で、敵城に乗り込んで不用意な殺戮が起これば鄭成功の名声に瑕がつく。相手に降伏するという動きがない以上、そのようなことが起きうる可能性は否定できない。


 甘輝はそうした姿勢が不満のようで、強くまくしたてる。


「もちろん、占領した城で虐待をすることは大問題ですが、南京のような大都市を制圧するにあたって犠牲がゼロということはありえないのではないかと思います。以前までは猪突猛進だったのに、ここに来て急に臆病になられると迷惑千万」


 中々厳しい物言いで、正雪も苦笑するしかない。


「とはいえ、既に完全に包囲されてかなりの日数が経過しておりますし、郎廷佐の降伏も相手にはかなりの打撃になっているはず。もう一押しして降伏させたいという国姓爺の意向も分からないではありません」


 正雪は顎に手を置きながら思案をする。


「……北の方はどうなっているのでしょう?」


「北?」


「北京にいる清軍は何をしているのでしょうか?」


「さあ、そこまでは分かりませんが……」


「北京の動きを見て、最終的な決断を下しても悪くはないでしょう。援軍が来るようであれば、このまま包囲をしているわけにも参りません。一方で、相手が動かないようであれば我々には余裕がありますので、兵站に支障を来すまで続けたとしても問題ないのではないでしょうか」


「なるほど。それもそうですね。分かりました、北の状況を調べてみましょう」


 甘輝は頷いて、すぐに軍内にいる偵察隊を北へと派遣した。



 結果は数日で出た。


「申し上げます! 清の八旗軍が淮安に向けて進軍しているということです」


「清の八旗だと!? いよいよ主力が出てきたか。しかし、淮安というのは?」


「どうやら敵は南京を奪われた後、連鎖的に反乱が起こることを恐れているようです」


 兵卒の注進に甘輝は驚いた。


「何だと? ということは、清の皇帝は南京を諦めているということか?」


「水軍がない以上、南北朝の再来となることを想定しているという噂もあります」


「ううむ……」


 甘輝は半信半疑ながら、得た情報を正雪と鄭成功に伝えに向かう。



「清は南京を諦めているだと?」


 鄭成功も情報に仰天した。正雪は多少平静である。


「とはいえ、現実を見れば水軍のいない清は守り切れるものではございません。南京にとらわれ過ぎると、失った後総崩れとなる可能性もございます。それならば、まずは華北をしっかりと治めるということはもっともな話。清の皇帝はまだ若いですし、一旦仕切り直しをするということは十二分に考えられます」


「……ならばどうすればいいでしょう?」


「この情報については、南京にそのまま伝えてしまう方がいいでしょう」


「そうですね」


 真偽はともかくとして、北京の政府が南京防衛を諦めたという話を聞けば、城内の士気は更に下がることは間違いないし、あわよくば降伏することも考えられる。



 翌日以降、城外の鄭成功軍は淮安の状況をまくしたて、更に強く降伏を呼びかける。


「郎廷佐提督の降伏で、清は南京を諦めた。このまま抵抗しても無駄な苦しみを味わうだけだぞ!」


 城内のハハムは切歯扼腕するが、北からの援軍の報告は何もない。


「このままでは……。しかし、我々にも満州の誇りがある。降伏するわけにはいかん」


 この日、ハハムは最後の決戦を挑むことを決意した。

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