第12話

 南京城外、長江を遡ったところに郎廷佐の艦隊が滞在していた。


 郎廷佐は有能な指揮官として知られており、鄭成功陣営でも警戒をされていたが、ここまで何の動きも見せていない。これには二つの理由があり、まずは他者に手柄を取られることを恐れていたこと、もう一つは彼が赴任して日が浅く、しっかりと自分の部隊を掌握しきれていないことにあった。


 そのため、これまでは手をこまねいて眺めていた形であったが、さすがに南京近辺まで敵軍が迫ってきたとなると悠長なことを言っていられない。重い腰をあげて、郎廷佐の艦隊は南京へと向かうこととなった。


 とはいえ、鄭成功の艦隊と直接立ち会える自信はない。


「本隊と戦っても負けるだけだ。支隊の停泊地などを焼き払い、消耗させていくことにしよう」


 と、鄭成功の本隊と衝突することは避け、陸側に布陣している鄭軍の部隊陣地などを焼き払う案を採用したのである。



 城内はどうか。


 南京城内には清軍の他、大勢の市民も残っていた。


 彼らの心情はというと、期待が二、警戒が八である。


 南京の市民には、李自成が北京を攻略した後、この地で即位準備をしていた福王の苦い記憶がある。中華皇帝として李自成や清に対して立ち向かうこともなく、市民が安全にいられるよう考えることもなく、ただ贅沢をすることを考えていただけの政権である。清の政治が素晴らしいものではないにしても、あの明末の悲惨なものと比べれば遥かにマシである。


 そのため、住民は清の側に立つ者が多く、「鄭成功軍迫る」の報告に緊張が高まっていた。清には城内の有意義な情報がいくつかもたらされていた。


 その一つが神策門である。


 南京城の古い門の一つである神策門は漆喰で塗り固められており、城壁の一部と化していたが、漆喰は簡単にはがすことができ、それによって門としての機能を簡単に回復することができた。


「神策門の前に布陣した鄭軍は、まさか正面に門があるとは思わないだろうから無警戒でいるだろう。それに乗じて一気に攻撃をしよう」


 と考えていたのである。



 鄭成功の軍は、南京城を取り囲み、まずは城内の様子をうかがう。


包囲図:https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/16817139555245909100


 だが、その日のうちに城内の住民の抵抗意志は強そうだということが分かった。


「進士のみならず、一般の住民が積極的に清の側に立つとは……」


 鄭成功は少なからず落胆していた。彼の軍はここまで、略奪や粗暴な行為を一切禁止しており、万一命令に背いた場合には部隊全員を斬刑に処するという程徹底していた。しかし、そうした鄭成功の意志は南京城内までは伝わっていない。


「仕方ないことでしょう。弘光帝の所業は酷すぎましたので」


 と答えるのは劉国軒である。


「とはいえ、清軍の士気は決して高くありません。一角を崩すことができれば、なし崩し的に崩れてまいるでしょう」


「一角と気楽に言うが……」


 明の副都であった南京である。城門の高さ・厚さはこれまで落としてきた福州などより遥かに堅い。この城壁を乗り越えるというのは一苦労かかりそうであった。


「これなら郎廷佐の艦隊の方が叩きやすいであろうが……」


 その郎廷佐は正面対決を避けているようで、全く姿を見せていない。


 部隊陣地などを焼き払うという作戦までは把握していないが、郎廷佐軍を捕捉することは難しいように思えた。


「心配には及びませぬ」


 そこに出て来たのは林一祥りん いっしょうであった。鄭成功の父・鄭芝龍の代から鄭氏の諜報活動を受け持っている男である。


「南京城に入れている連絡員の報告によりますと、南京の糧食はそれほどないということ。このまま包囲していれば一か月もすれば音をあげるでしょう」


「真か?」


 鄭成功が驚いた。


 それが本当であれば、時間をかければ優位に立てる。鄭軍は崇明島、杭州に長江沿いの要衝を押さえてあるので、補給に問題はない。


「それが真なら、時間が経てば経つ程我が方に優位になるが……。由井先生を呼んできてくれぬか?」


 どこか引っ掛かるところがあるのであろう、鄭成功はその場にいた者に正雪を連れてくるように命じた。

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