第11話
南京。
この地の歴史は古く、春秋・戦国時代の呉の頃から、既に華南の中心地のひとつとして発展を続けていた。
中華帝国の都となったのは、三国時代の呉の時であり、孫権はこの地を建業と名付けて独立政権を築いた。その後、華北を異民族に支配された晋が逃れてきて、建康と名前を変えて都とし、以降三百年に渡り南朝の都として栄えてきた。
隋・唐代になると運河の開通から周辺都市が栄えるようになり、相対的に地位が埋没するようになっていったが、元末、朱元璋がこの地を応天府と名付けて都とし、再度中華帝国の中心地に返り咲いた。永楽帝の時代に北の北京に都は移ったが、その後も副都として重要視され続けてきた。
鄭成功もまた、この南京の太学で学び、価値観というものを植えつけてきた。
その、歴史と伝統の都市南京を、今、鄭成功軍が包囲している。その軍勢は八万と包囲軍としては決して多くはないが、逆に雑多な軍の参加を許していない精鋭ばかりとも評することができる。
船の上から、南京を眺める鄭成功も、どうしても感慨を抑えることはできない。
(ついに帰ってきた)
もし、李自成の反乱や、清の南下という事態がなければ、鄭成功はこの地で進士を目指していたはずである。首尾よく行っていれば、どこかの知事にはなれていたかもしれない。
今、鄭成功の爵位は王位である。永暦帝から授かっていた延平群王という地位がそれであった。
ということは、鄭成功個人にとっては時代の変化はより良い方向であった、ともいえる。平穏であれば知事、どれだけ良くても大学士(宰相)止まりであっただろう。こういう時代だからこそ王になれたとも言える。
それでも、鄭成功は自分が成功したとは思えない。自分の青春は南京で過ごした学業の中にあった。ライバル達との学業達成の争いや、南京の芸妓らとの戯れといったものの中に。
(あいつらは何をしているのだろうな?)
鄭成功の脳裏に、かつて一緒に学んだ者達の顔が思い出される。
(何人かは清に降ったのであろうか)
今や南京は清の支配地となっている。かつて自分と同じように勉強し、共に明という国のために尽くしていきたいと考えた友人達であるが、一方で彼らにも家や立場というものがある。明が北京を追い出されて十年、南京を支配されて九年である。今も尚、自分が明の側にいられるのはあくまで鄭氏の勢力を有していたからである。そうしたもののない学生にとって清に逆らうということは死を意味する。自分だけではなく、家族も危うい。
(何人かは辮髪もしているのだろうか)
満州族の風俗である辮髪は、漢人にとっては死ぬよりも屈辱的なことである。しかし、当然であるが、全員が全員、名誉より死を選ぶということはないであろう。恥を忍んで、あるいは完全に諦めてしまって辮髪姿になっている者も少なくはないはずだ。
(そうした者達にとっては、今の私は、再度生活を脅かす脅威となっているのかもしれないな)
あまり考えたくない話であるが、そうした事実があることは間違いない。全てのことは移ろいやすいものであり、永遠の友誼というものは存在しないのである。
風が吹いてきた。船の旗が大きな音を立てて鳴る。
「こちらにいましたか」
声をかけられた。副将の甘輝の姿があった。
「しばらく昔のことを考えていた……。当時の友人達が、あの中で、清のために働いているのかもしれない、とも」
「左様でございますな」
「今では、仕方ないことだと思えるようになった。清が天魔の如くに強くて明が倒れたのではない。明が倒れるべくして倒れた後に清がやってきたのだからな。下にいる者はどうすることもできぬ。どれだけ頑張っても一人で長江の流れを逆さにすることはできん」
「いずれにしましても、この南京を取ってからの話です」
「そうだな。方針を考えようか」
鄭成功の船団は近くに宿営地を築き、そこに中心となる人物を呼び寄せた。
劉国軒とともに由井正雪、柳生十兵衛らの姿があったことは言うまでもない。
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