第10話

 八月、崇明島を出発した鄭成功の船団は鎮江に近づいてきた。ここを越えれば、ついに南京を視野におさめることができる。とはいえ、清もさすがに抵抗を強めてくる。


「あれが木浮営という筏の砦であるか」


 長江の広い水面に浮かぶ大きな筏の塊のようなものが見えてきた。いや、実際に筏である。船は揺れて清の兵士には大変なので、多数の筏をつなげてしまって安定性を増し、なおかつその上に砦のように組み立ててしまえば防壁としても果たせると考えたらしい。


 中には大砲もあるし、射手もいるという。


「どうしたものかな……」


 水戦の長い鄭成功には、「たかだか筏を繋いだくらいで、簡単に水上で戦えるようになってたまるか」という思いもあるが、実際に機能するところを見たことがないので若干の警戒も抱く。


 その警戒を解いたのは施琅の進言であった。


「浙江で抵抗していた者達が言うには、命中精度が極めて低いとか」


 施琅の下にはこの地域でしばらく抵抗しており、敗北して杭州近辺に潜んでいた者も多くいた。


「そうした者達が言うところによると、あの木の砦は多少安定しているとはいえ、やはり江の上に浮かぶものであり、限界がある。大砲は浸水を恐れて高いところにあるため、甚だ安定していないそうですし、射手も揺れる中での訓練をそれほど積んでいるわけでもないのだとか。むしろあの砦を恐れて陸地に近づいて城内から撃たれる方が恐ろしいということでございます」


「なるほど。理屈はそうだろうと思うが、実際に確かめてみるか」


 鄭成功は施琅の案に頷いたが、一度も会ったこともない人物の言うことを完全に信用することもできない。そこで三隻ほどの囮の船を用意した。それぞれの船に水泳の達者な者を乗せて、いざという時にはすぐに逃げられるようにして向かわせる。


 たちまち轟音とともに砲弾が飛んできた。


「おおっ!」


 鄭成功がびっくりするくらい誰もいない方向に向かっていく。外す、外さないというような問題ではない。方向からしておかしく、狙いをつけているのかも怪しい。


「何だ、あいつら? こんな下手な奴ら見たことないぞ」


 囮船に乗っていた面々も最初は警戒していたが、近くを通ることすらない状況に次第に調子に乗ってきた。距離を近づけていき、船上に出て踊りだす者もいる始末だ。それに怒って水上の砦から更に砲弾が放たれるが、悲しいかな、精度の無さは致命的であった。


「何という筏の無駄遣いだ。あれなら水雷でも積んで筏として流した方がまだ効果的ではないか」


 鄭成功が呆れたように言う。


 そうするうちに砲弾がなくなってきたらしい。攻撃が次第に少なくなってきて、やがて途絶える。遂には砲弾が尽きたらしく後方へと動こうとしている。砲弾を補給しようとしているのだろうが、あまりの大きさが仇になり中々後ろに進めない。


「よし、進め!」


 鄭成功が突撃の指示を出し、船団が一斉に向かっていく。砦の中の兵員はもはや抵抗することもできず、その場で次々に降伏していくだけであった。


「恐れるほどのものではないと聞いていたが、ここまで役に立たないとは。満州人はほとほと水戦の才能がないと見える。単純にばらまかれている水雷の方が遥かに怖いのう」


 鄭成功が呆れるくらいの完勝であった。


 尚、水雷というのは、火薬などの爆発物を詰めた袋を水中に沈めておき、それを水上の木と綱でつないでおくというものであった。相手の船が綱に触れると水中にある爆発物が爆発して船体に損害を与えるというものであった。


 厄介な装置ではあるが、味方の船も通るために目印となるものがどうしても必要となる。すなわち、水面に何かしら目印となるものが浮かんでいるので、それを探し当てて綱を切ってしまえば使い物にはならなくなる。対処策があるので被害はほとんど生じることはなかったが、それでも時々見逃した綱に引っ掛かって損害を受ける船もあった。


「あんな筏の砦を作るくらいなら、水雷を増やした方がましだ」


 というのは事実であった。



 周辺の城塞も次々に開城していき、八月十三日にはついに南京城を目前とした。


「者共、決戦だ!」


 鄭成功の声に全軍の威勢は天をも衝かんばかりであった。

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