第9話

 洪承疇らが企画した広州への攻撃が失敗し、東どころか西でも不利な情勢に立たされているという報告は、程なく北京にも届いた。


 皇帝フリンは蒼ざめた顔で報告を聞き、終わるとジルガランを呼び出した。


「このままでは、南北割拠という形になってしまうかもしれん」


 中国の歴史において、長江の北と南で政権を異にするということは珍しいことではない。風土の違う北と南を双方共に支配するということは大変である。


「……大変なことになりましたな」


 ジルガランのいかにも他人事というような言葉にフリンは不機嫌になる。


「ジルガラン、おまえは関係ないことと捉えているのかもしれないが、これは清の宗室にとっても一大事なのだぞ」


 今や華北の生産力は華南に遥かに劣る。農業生産も長江流域の方が圧倒的に高いし、貿易の中心は福建以南に移っている。事実、周辺国との貿易は全て鄭成功に塞がれており、清を消極的とはいえ認めていた日本や琉球の船もほとんど寄り付かない。


「国庫収入は半分以下になる。ということは、おまえの収入も半分以下になってしまうだろうな」


「……ゴホッ」


 ジルガランが飲んでいた茶を吐き出した。ゲホゲホと咳をしながら荒い息を吐く。


「そ、それは困ります」


「困りますではないわ。朕がしたいからするのではない。そうなることを余儀なくされてしまうのじゃ。そんな状況にも関わらず、ハハムも郎廷佐も自分の勢力のことばかり考えて積極的に動こうとはせん。そうこうしているうちに下流域を押さえられてしまっておる」


「私が何とかしましょう」


 自分の収入が半分になるということは余程効いたらしい。フリンは呆れると同時に、そこまで行かないとやる気にならない面々に情けない思いを抱く。


「何とかすると言っても、どうやって南京を守るのだ? そもそもおまえは船に乗れるのか?」


「乗れませぬ」


「南京は長江の南側にあるのだぞ。長江にはとてつもなく広いゆえ、橋はないからな」


 十代の皇帝が、五十を過ぎた老臣に噛んで含めるように説明をするという滑稽な様子が展開される。


「心配ご無用。その代わり、首尾よく追い返しましたら、江南の地も私にいただきたく存じます」


「……ま、まあ、本当にできるのであれば褒美は弾まなければならないだろうな」


 半信半疑、いや、八割方疑いのまなざしを向けながら、フリンが答えた。



 ジルガランは皇帝の間を出ると、義政大臣のオボイを呼び出した。オボイはソニン、スクサハ、エピルンの四人は皇帝フリンの側近として評価を高めている面々である。


「鄭成功が南京に迫っているということで、陛下は気が気でない状態である。何かしら方法はないか?」


 気軽に聞くが、聞かれた方が簡単に答えられる問題ではない。


「……我々は船に乗れないという弱点がございますので、漢人共の頑張りに期待するしかないのではないかと……」


 極めて当たり前の回答を返す。事実、それが無理だから洪承疇なり鄭芝龍なりに任せていたのである。今になって何かができるのなら、最初から満州人が当たればいい問題であった。


「そこを何とかするのだ。このままでは国庫に入る金が半分以下になってしまうというぞ」


「それはそうですが……」


「残りの者とも諮って、明日までに何か方法を出すのだ」


 無理難題を押し付けて、ジルガランはオボイを下がらせた。



 翌日、皇帝フリンはジルガランからの面会要請を受けた。


「一体何なのだ?」


 期待は全くしていないが、ひょっとすると参謀たちから何らかの妙案を受け取ったのかもしれない。期待半分疑い半分で出仕を許可する。


 直ちに現れたジルガランは、満面の笑みを浮かべていた。本人としては手ごたえのある案らしい。


「陛下、よき方法がありましたぞ」


「本当か……?」


 昨日の今日でそんな名案が見つかるものだろうか。全く怪しいが、ひとまず話すように促す。


「大砲の弾丸は不浄なものを嫌うといいます。従いまして城壁に家畜の糞尿などを塗ればよろしいでしょう」


「……左様であるか」


 フリンは「そんなことだろうと思った」というようなげんなりとした顔で答えた。


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作者注:19世紀頃、列強と戦争した時に本当にやった話です(汗

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