第7話
正雪達はその日のうちに上海城を出発し、西への進路を取った。
「由井先生」
初日の昼、唐突に呼び止められると劉国軒が追いかけてきていた。
「この辺りについては私の方が詳しいと思いますので、国姓爺に頼んでついてくることにいたしました」
崇明島の攻囲はしばらく続きそうである。となると、移動している浪人部隊の方が地の利がより活きると考えたようであった。
「それはかたじけない」
本心からの言葉である。誰かしら土地に明るい者が欲しいと思っていたし、その意中の人物として劉国軒のこともあったが、甘輝の副将となっていたので諦めようと思っていたところであったから猶更であった。
「陸路で南京に向かうのはいかがでござろう?」
早速尋ねてみる。
「はい。通常であれば、蘇州、無錫といったところは重要な拠点として防御陣が敷かれることと思いますが、国姓爺は水軍が主体ということでそこまで警戒はされていないと思います。河(長江)の南側の陸地も広く川や湖などで繋がっておりますので、水軍で警戒していれば発見できるということはございますので」
「なるほど」
「この川は黄浦江と申すのですが、これを遡ると淀山湖まで行きます。しかし、そこからも更に上流に向かうことができ、太湖から更に水路を走ることで南京の近くまで行くことができます」
「なるほど。陸を使うにしても水路は欠かせぬということか……」
と言ったところで、正雪はハッと目を見開いた。
「とすると、この張り巡らせた水路の中に伏兵がいる可能性もあるということではないだろうか?」
劉国軒も「あっ」と声をあげる。
「確かにそうですね。十分に可能な話でございます」
「鄭芝龍がその辺りに潜んでいるという可能性もあるわけだな」
「ございます。ただ……」
「ただ?」
「鄭芝龍がかなりの水軍を指揮していることは確かでございますが、練度という点ではまだ不十分ではないかと思います。水路がめぐらされているのは確かでございますが、水深が浅いところもございますし、果たしてこのあたりを行き来できるだけのものを持ち合わせているかどうか」
「潜んでいるというのは伏兵として使うだけではない」
正雪が地図を指さした。
「付近を占領したと思って長江を遡った後、後背に抜ける手段としても使える」
「……それでは、この辺りの調査をいたしますか。ただ、聞き込みに関しては由井先生や日本の方々よりは国姓爺の福建兵の方がよろしいでしょう。私、一度戻りまして、国姓爺に説明したいと思います」
劉国軒の行動は早い。即座に鄭成功のいる上海方面へと戻っていった。
朝に出て行った劉国軒が夕方に戻ってきたので、鄭成功は驚いた。
しかし、その報告を受けているうちに表情が変わってくる。
「確かに陸側の水路から後方を襲撃するということは十分にありそうだ。よし、すぐに南側の一帯も調べさせよう」
その夜のうちに三百人ほどの者を周辺に派遣し、情報収集に専念させることにした。
成果はすぐに出た。
「淀山湖のあたりに、多数の艦船を見たという情報がありました」
二日のうちに報告がもたらされる。
鄭成功は劉国軒を見た。「間違いないでしょう」と頷いている。
「鄭芝龍の艦船だろう。そなたと由井先生の危惧した通り、我々の後背を狙うつもりであったらしいな」
そう言うと同時に笑みが浮かぶ。
奇襲を狙って潜んでいるつもりの相手を捕捉したのである。
既に勝ち目はこちらにある。あとはどうやって、相手を叩きのめすかということである。
「気づかれる前に黄浦江に一部隊を回して、制圧すべきかな?」
まず思いついた作戦を口にした。劉国軒は小さく唸った。芳しくない反応を示している。
「それでもうまくいくでしょうが、黄浦江は水深の浅いところも多く、我が艦船が損なわれる恐れもあります」
「なるほど……」
鄭成功は腕組みをした。その刹那、閃きが走り、思わず会心の笑みを浮かべる。
「よし、それならば、我々は一回長江を遡上する素振りを見せよう。それで出てきたところを入り口で捕捉すればいい。これなら水深の浅さに向こう側が船を損ねることになるだろうし、後ろを由井先生に塞いでもらえば逃げ道がなくなる」
劉国軒も鄭成功と同じ笑みを浮かべた。
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