第6話

 杭州を支配した施琅の下には、予期せぬ訪問があった。


 張煌言ちょう こうげん張名振ちょう めいしんはかつて北京が李自成に占領された後に打ち立てられた南京政権で軍の要職についていた人物である。南京政権が滅亡した後も清に対する抵抗活動をしていたが、それも梁化鳳らに敗退してこの付近に潜伏していたのである。


「国姓爺が復明のための軍を挙げたとのこと、真に素晴らしいことでございます」


 という言葉を施琅は冷ややかな目で眺めている。


(杭州から福建まで来ることがそんなに難しいことなのか? 歩いてでも来られる距離であろうに……)


 鄭成功を除いて、鄭氏の陣営には進士出身者はいない。客将として来ている者は何人かいるが、彼らは大抵「鄭氏の陣営は礼儀がなっていない」と距離を置いている。施琅もまた、そんな彼らに対して「口だけは達者で何もしていない」という思いを抱いていた。


「追従はいいので、具体的な情報が欲しい。ここから先、何か打たなければならない手はあるのか?」


「ははっ。清軍は水戦が苦手でありますので、河に砦を浮かべて戦っております」


「河に砦?」


「つまり大きな筏のようなものを多数並べて、安定性を増すのでございます」


「ああ、全てつなげれば安定するという理屈だな。わしも三国志で聞いたことがある」


 かつて曹操そうそう軍が長江で戦うに際して船を鎖でつないで戦ったという。この連環れんかんの計は周瑜しゅうゆの火計によって敗れたが、当時と今とでは銃の有無という違いがある。


(小型船が多いから、下手をすると射程外から撃たれる可能性もあるということか)


 一応、参考にすべき情報であると考えて、施琅は鄭成功の下に送ることにした。


「して、その方らは今後どうされるおつもりで?」


「もちろん、国姓爺の下で復明のための戦いをしたく存じます」


「……そうか。ならば一応渡りをつける手助けはしよう」


 とは言ったものの、今頃出てきた連中に大きな顔をされるのも癪に障る。


(由井殿ならば、うまいこと取り扱ってくれよう)


 まずは正雪に連絡をつけることとした。



 鄭成功は程なく、上海城に到着し、甘輝と合流した。


「改めて見ると、島というが大きいのう」


 かつて南京で勉学に励んでいた鄭成功はもちろん崇明島のことを知っていた。ただし、その頃は軍事基地としてではなく、遊び場所として捉えていた。だからこそ、「そんなところは無視してしまっても構わないのではないか」と考えたのである。


 しかし、今、近くに来て軍事拠点として見た場合、長江の入り口の一大拠点となっている崇明島は無視して通るのは危険な場所であることが明らかである。


「梁化鳳は昨年南京政権の残党を叩き潰した実績があると言います」


 甘輝の説明に鄭成功も頷いた。


「うむ……、南では李定国や私が勝ってはいるが、清はまだまだ甘くはないということだな」


 伝統的に北から攻めてきた異民族政権は、長江の南に行くと極端に弱くなる。南京や崇明島はその境界線とも言えるような場所であった。すなわち、華北ほどには強敵ではないが、かといって長江以南のこれまでのように簡単に行くような場所でもない。


「あまり時間もかけたくないがどうしたものか」


 季節は五月。これからは台風なども盛んにやってくる時期である。いかに水戦が得意といっても暴風雨には勝てない。


「雲隠れしてしまっている鄭芝龍の所在も気になります」


「確かに」


 それも悩みどころであった。まさかこの時、自分達のいる上海城付近を通る黄浦江を遡上したところに鄭芝龍の主力がいるということは予想もしていない。


「我々が動いてみましょう」


「由井先生が?」


「はい。少し長江の西側まで陸路を進んで様子を見てみたいと思います。陸路伝いに西の蘇州まで占領することができれば、長期戦となった場合にも対応可能であると考えます」


「確かに蘇州の米があれば長期戦にも対応できますね。清に対する打撃にもなります。分かりました。我々は崇明島を持久戦で攻めてみますので、由井先生には陸路の偵察をお願いいたします。ただ、くれぐれも無理をなさらぬようにお願いいたします」


 鄭成功も承諾し、正雪はその日のうちに浪人・アイヌの連合軍一万を組織した。柳生十兵衛を先頭に、正雪、忠弥、庄左衛門、シャクシャインといった面々が西へと徒歩で向かい始める。


 南京攻略戦の一つの分岐点となる決断であった。

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