第5話

 永暦八年六月、先行の甘輝率いる二万の軍勢が北上して上海城を攻囲した。


 ほぼ時を同じくして施琅の率いる二万もまた、杭州城への攻撃を開始する。

 先に成果を出したのは甘輝であった。四日間の攻撃で上海を開城させ、占領に成功する。


「まずはうまく行った」


「はい。しかし」


 副将の劉国軒が北を指さす。


 長江の入り口には崇明島すうめいとう長興島ちょうよとう横沙島おうさとうという三つの島がある。そのうち最大の島である崇明島を指さしていた。その島の中央付近に城郭があり、清の将軍として梁化鳳りょう かほうが派遣されており、五千ほどの部隊が守っているという連絡が入っていた。


「崇明の守将である梁化鳳は中々優れた人物ということにございます。これを放置しておくことは後々禍根となる可能性が」


「ほう」


「まずは崇明島を押さえることが肝要かと思います」


「……」


 甘輝は迷った。鄭成功からは上海を占領した後の方針ははっきりと受けてはいない。しかし、ここまでの彼の言動を察するに南京に向けて動いてほしいという思いがあることは理解していた。


 崇明島を攻撃するということは堅実ではあるが、そこにいる兵士は五千であり、見たところ艦船もそれほど多くなさそうである。この島を攻撃すべきかどうか鄭成功に聞いた方がいいのではないかとも思えた。


 返事をためらっているうちに劉国軒は繰り返す。


「確かに南京攻略は明としての悲願であることは承知しております。しかし、鄭芝龍もまたこの流域については詳しく知っていることを忘れてはなりません。ここまで姿を見せてりおりませんが、何もせずに素通りさせるということはないでしょう」


「うむ。そうであるな」


 鄭芝龍という言葉に甘輝の迷いは消えた。かつて仕えていただけに、鄭芝龍が何もせずに引き下がることがないということは分かっている。また、劉国軒がこちらの陣営に来た時に伝えた鄭芝龍の方針「甘く見させて、どこかで慢心を討つ」ということも記憶に新しい。


(鄭芝龍なら、一度で一気にひっくり返すことを狙っているかもしれない。仮に慎重過ぎると文句を言われたとしても、ここは危険な芽を摘み取っておくことが肝要であろう)


 甘輝の心は定まった。彼は方針を手紙に記して、後方にいる鄭成功に送るように指示を出して、崇明島へと向かっていった。



 戦闘開始から十日後、杭州はいとも簡単に開城した。


 広州包囲の経験もある施琅はあまりの歯ごたえのなさに違和感を覚える。


(鄭芝龍は何をしているのだ?)


 広州攻囲の経験があるだけに、施琅は杭州も苦労するだろうと考えていた。杭州をなるべく長期間持ちこたえさせて、鄭成功の部隊を二分させて片方を叩く作戦をとるのではないかと想定していた。


 しかし、その杭州がいとも簡単に落ちたとなると、鄭芝龍の考えはそういうことではないということになる。


(一体、何を考えているのだろう?)


 漠然とした不安を感じながらも、施琅は杭州の占領処置を行っていた。



 鄭成功の下には甘輝からの手紙が届く。


「ふむ……。崇明島を攻め取りたいと」


 読んでいながら、鄭成功はやや表情を歪めた。


 甘輝の方針が不満というわけではない。しかし。


「崇明島に数万の軍がいるというのならともかく、五千程度しかいないというのに」


 たかだか五千の軍ではあるが、持ちこたえるだけなら十日程度はもちこえる可能性がある。この先も虱潰しに進んでいくとなると、南京につくのはどれだけ先のことになるのか。


「国姓爺、前線には前線の考え方もございます。焦慮に逸って失敗するよりは、堅実に攻めていく方が良いのではないでしょうか?」


 不満そうな鄭成功を正雪が宥める。


「甘輝には劉国軒もついています。このあたりのことに詳しい彼が勧めた可能性もありますので、その判断を無碍にすべきではないかと」


「そうですね」


 正雪に言われると鄭成功も中々文句は言えない。そうこうしているうちに、施琅が杭州を陥落させたという報告も入ってきた。


 これには鄭成功も驚き、正雪の方を向く。


「鄭芝龍がいる以上、このままうまくいくことはない。甘輝と劉国軒に慎重に進ようにという返事を出しておくようにします」


「それがよろしいかと思います」


 正雪は微笑んだ。


勢力図:https://kakuyomu.jp/users/kawanohate/news/16816927863104391212

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