第2話

 呉象賢は姿勢を正して、陳永華と向き合った。


「琉球の王子にしてこの度、尚質王の代理として話をしに参りました呉象賢と申します。遠路はるばるお越しいただいた使節に対して無礼を働きましたことは不覚お詫び申し上げます」


 慇懃な態度で頭を下げて、茶を一口飲む。


「そのうえで、琉球王国としての見解を申し上げさせていただきます。私達はこれまで明国に対して忠誠を怠ったことはありませんし、常に共にあらんと願っておりました。しかしながら、明国は我々をどのように扱ったか」


「……続きを」


「かつては二年に一度の交流が認められておりましたが、現在は十年に一度となっております。しかも、ここ十数年はその交流すら行えない状態でございます。我々は十一年前、前王の即位に際して北京にご報告に上がりましたが、その時、北京は清のものとなっておりました。そのため南京へと向かい、そこで報告をしましたが、その時居合わせた者はどちらにおいででしょうか?」


 当時南京で即位した弘光帝は、その放漫な政治によりあっという間に南京を失望のどん底に叩き落し、一年足らずして清に南京を奪われ、処刑されている。その時重臣であった史可法は揚州で死に、馬士英もまた処刑された。


「そのうえで中国の大半は清の支配下にあると聞いております。このような状況でかつての忠誠を求められても、我々の立場としては応え難いということになります」


「はい。承知しております。しかしながら、広州にいる永暦帝の下には既に台湾が使節を送っております。また、李定国は湖南・江西・広東・広西・貴州を治めており、我が直接の主鄭成功も福建を掌握して浙江へと版図を広げております。琉球が明を亡国と判断するのはいささか早計ではありませんか?」


 陳永華の言葉に、呉象賢は少し不満気な表情を浮かべた。


「亡国とまでは申しておりません。我々琉球にとりましても、船を出すのは非常に労力を伴うものでございます。多くの財と人を投じて派遣したところ、北京から南京に回され、しかもその時の人間が数年も経たないうちに全員死ぬというようなことがあっては、誰も船を出したいとは思いません」


「では、我々が船と人を出すとあってはいかがでしょう?」


「何……?」


「文英(呉象賢の字)様の申しようはもっともでございます。我が朝の不甲斐なさゆえに琉球王国に損失を与えたという事実は深く受け止めておりまして、そのため、若輩ではありますが、この私と国姓爺の息子たる鄭経が琉球に参りました次第でございます」


 呉象賢は驚いた。陳永華が自分の字まで知っていたということに。


「広州への来訪については三年に一度、来年にまずお越しいただければと思います。更に向こう三回の人と船については我々の方で工面いたします。それではいかがか?」


 陳永華の提案に、呉象賢はしばらく押し黙る。顔には汗が浮かび、この状況を彼が想定していなかったことが伺えた。


「……少し、中座させていただいてよろしいでしょうか?」


「当然でございます。私も琉球がどのようなところか、鄭経様も連れて色々見せたいものもございますので、後日、改めてということでもかまいません」


 三日後に改めて協議をするという形で決まり、その日の面会は終了した。



 帰りがてら、呉象賢は汗をぬぐう。琉球の暖かさゆえのものではない。冷たいものを感じる汗であった。


(これは予想外のことになった。どうやら、鄭成功は清から降った海商を我々に押し付けるつもりらしい)


 呉象賢も馬鹿ではない。明が琉球の忠義を評価して人や金を出してくれるはずもないことは理解している。つまり、人と金を出すことが明にとっても何らかの得になることを意味しているのだと。


 金についてはさすがにそれが得になるとは思えない。となると、人であろう。想定されるのは明が直接に使い難い人物である。


(確か、鄭成功の父は清に降っていた……)


 大海賊・鄭芝龍の名前は呉象賢も微かには知っていた。父として鄭成功には仕えられないだろうが、有能な人材である。まず間違いなくこの人物を押し付けられるのだろうと想像した。


(受けるべきか……)


 清との関係においてはあまり気にすることはないと思った。清は水軍が弱いのでそもそも琉球まで来ることはできないし、また、明もいざという時には鄭芝龍を切り捨ててもいいと考えているであろう。すぐには決着がつかないだろうことを考えれば、仮に清が勝ったとしても言い訳はできる。


 問題は薩摩である。


 明と清、どちらにとっても受け入れがたい人間を琉球が抱えることを容認するかどうか。非常に厳しいと感じた。


 呉象賢は薩摩との関係改善に力を尽くしていたし、日本本土の歴史観も取り入れた『中山世鑑』という歴史書も作成していた。琉球においても指折りの親薩摩派の人物である。それだけに江戸幕府の鎖国への意欲を知っている。


 悪い話ではない、しかし、危険が大きい。


 さすがに自分だけで決められる話ではない。彼はそう感じていた。

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