第9話
五日後。
陳永華は厦門に着くと、すぐに鄭経の教師役の募集でやって来たと告げた。
「また随分と若いのう」
担当となった兵士は、明らかに懐疑的な様子であった。既に一か月が経ち、我こそはと名乗りをあげた者も大勢いたが、全員が不合格となっている。今更来る者の中に逸材などいるものかという先入観のようなものがあった。
とはいえ、彼らとて、この人材選抜に自分達の未来がかかっているということは理解している。疑っているとはいえその選抜に手抜きをすることはない。経歴などを記し、それをまとめて鄭成功のところに持ち込む。
その鄭成功はというと、さすがに当初の時のような気合は薄れてきている。ここ数日は志願者すらいないということで、息子の教師を募集していたということすら忘れそうになっていた。
「ほう。新しい者が来たのか」
兵士からの報告を受けたが、あまり期待しているという顔ではない。これまで何度も期待を裏切られてきたため、そもそも期待しないようにしている面もあるが、やはり「今頃来る者に有能な者がいるのだろうか?」という思いが隠せない。
「まあ、これだけ若いのなら多少期待外れでも軍で採用する余地もあるか」
と、呑気なことを言いながら、陳永華の待つ厦門の学堂へと向かっていった。
「むっ? これは……?」
学堂で陳永華を一目見るなり、鄭成功の顔付きが変わった。
鄭成功は陳永華の正面に座り、大きな音をたてて机を叩く。
「わしが鄭成功だ。主たる者が来たというのに、貴様は座ったままというのはどういうことだ?」
陳永華は平然としている。
「私は、現在何者に仕えているわけでもありません。それに私は教える者として参ったのです。主たる者に無条件に従うような者が他者を教えることなどできましょうか?」
鄭成功は憤然としている。
「見たところ、その方はまだ二十歳を僅かに超えたばかりと見える。既に歴戦の経験を積んでいるわしに対して、敬う姿勢を見せぬというのはどういうわけだ?」
「何かを乞うことを考えてここに来たのではありません。自分が教育者として適格であることを示すために参ったのでございます」
素早い返事を受け、鄭成功は頷いて頭を下げた。
「教師たるものにふさわしい品格の持ち主か確かめたくつまらないことを申しました。お許しいただきたい」
「とんでもございません」
「それでは我が息子の教師としてふさわしいか色々と試させていただきたいと思います。まず先生は息子にどのようなことを教えていただけるのでしょうか?」
「はい。まずは国姓爺様の代理として、国の内外に表敬外交をするにふさわしい知識・知恵を授けたいと考えております」
「何? 何故、そのようなことを教えようというのだ?」
冷静さを装おうとしているが、鄭成功の表情には動揺の色が明らかであった。
「鄭経様はまだ戦場に出る年ではありませんし、厦門で十分に学業を積める環境にあるにも関わらず、教師を募るといいます。これは単純に何かを教える教師ではなく、鄭経様の補佐として他国と交渉のできる人物を探しているのではないかと思いました」
「うむ。その通りである」
鄭成功は満足げに頷いて、兵士を呼び寄せた。小声で「由井先生を呼んできてくれ」と指示を出す。兵士も頷いてすぐに学堂を出た。
半刻後、由井正雪が現れた頃には鄭成功はすっかり陳永華の話に聞きほれていた。
「どうやら、見つかったようですね」
その表情を見るだけで、相手の若者が合格に達したのだということを正雪も悟る。
「はい。由井先生、この者は鄭家の諸葛孔明となれる逸材かもしれません。この者がいれば私の死後、息子を輔弼してくれるでしょう」
「それは素晴らしいことです」
正雪も正面に立ち、頭を下げる。
「私は由井正雪と申します。日本から参りました」
「陳永華と申します。この度、鄭経様の教師として採用されることと相成りました」
鄭成功が咳払いをする。
「早速、陳永華には鄭経を連れて琉球王国に行ってもらいたいと思う」
「承知いたしました。琉球でございますな」
陳永華はあっさりと引き受けた。そのあまりにあっさりとした様子に、正雪も鄭成功も驚く。
「琉球は遠いが、大丈夫か?」
「はい。先ほども申し上げました通り、私の役目は鄭経様が国姓爺様の代理を果たせるように務め上げることでございます。遠いなどと言っておれませぬ」
朗々とした回答に正雪も頷いた。なるほど、確かに鄭家の諸葛孔明となれるだけの逸材である。
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