第6話
十二月、鄭成功は五万の軍勢を率いて厦門を出発し、北の方福州へと向かった。
「それでは、浙江方面についてはお願いいたします」
鄭成功らの見送りを受けて、由井正雪と柳生十兵衛らを先頭に福州近郊から北へと向かった。しばらく進むと浙江の地域が見えてくる。
南宋時代に都杭州が置かれていた浙江の地では、数年前に清軍指揮官ドドの主導の下で揚州大虐殺と呼ばれる惨禍も起きていた。
「民衆は今でこそ清に服しているが、内心では含むところもあるだろう。うまくいけば我々の側に立ってくれるとは思うのだが……」
正雪はそう思うが、とはいっても、日本からの浪人軍がそれを展開するのは難しい。この戦いでは、あくまでも相手の牽制として動くのみである。
温州にいる劉国軒のところにも敵軍接近の報告は届いた。
「よし、適当に姿を現して、逃げて時間を稼ぐぞ」
「隊長」
兵士の一人がおずおずと進み出てきた。劉国軒も25歳と若いが、兵士はもっと若い。まだ16か7くらいでこの戦いが初陣ではないかと思えるような若さであった。
「どうしたのだ?」
「隊長の指示通りであれば、福州は落とされることになるのではないかと思いますが」
「うむ。司令官はそう考えているのだろう」
鄭芝龍は浙江で負けたふりをしてくれと言っている。福州の守りについては何も言っていない。福州にいる張学聖に対して支援するようなことはないのであろう。
「左様でございますか」
若い兵卒は明らかに気落ちした顔になった。
「おまえは福州から来たのか?」
「はい。母と妹・弟が福州に残っています」
「そうか。それなら不安なのだろうな。私も福建出身だから、今の状況に不安は感じている。ただ、我々一人があがいたところでどうにもならない現実もある」
「……はい。分かっております」
劉国軒は兵卒の肩を軽く叩いた。
福州近郊から温州へと差し掛かった正雪達の視界に、清軍の旗が見えてきた。
「見たところ、満州八旗の正規軍ではなさそうだな。現地の軍ということか」
「兵士数も少数。軽く蹴散らしてしまおうか」
戸次庄左衛門が槍を片手に準備運動を始める。
「……」
様子を見るべきか、庄左衛門の言うように進むべきか。正雪は一瞬だけ迷う。
「敵を前にして、考え込むなど言語道断。行くぞ!」
「あ、こら。待て」
庄左衛門は正雪の了解をとることもなく、手勢を率いて前進していった。
「正雪、考えすぎではないのか?」
丸橋忠弥が笑いながら、庄左衛門とは異なる方向を槍で差す。
「我々はあちらの方に向かうことにする。心配しなくても深追いはせぬ」
「お、おう……」
落ち着いた様子の忠弥を見て、正雪も頷いた。
「何か不安なのか?」
柳生十兵衛の問いかけに対して、正雪は首を横に振った。
「い不安というわけではないのですが、相手の情報がよく分からないのが気にはなります」
「ああ、確かにこれまでの戦いでは国姓爺の諜報力や買収工作で相手の兵力などは調べられていたからな。ただ、今回は司令官が国姓爺の父親である鄭芝龍だ。蛇の道は蛇ということで、うまいこと諜報されないようにしているのだろう」
「柳生殿、そうではないのです。鄭芝龍含めた多くの部隊については分かっております。ただ、この温州についてのみ誰が何人率いているのか情報がないのです」
十兵衛が「むむっ」と唸り声をあげた。
「それは……確かに気になるな」
「はい。もちろん、他の地域にしても千人程度と聞いておりますので、この温州にだけ万単位の兵力がいるということはないでしょうが、情報が届いてこないというのが気になります。相手が相当にうまく隠れているのではないかと」
「そうなると、忠弥はともかく、庄左衛門については不安があるな。わしが行こう」
「……お願いいたします」
正雪が頭を下げ、十兵衛が数人の兵士を率いて行こうとしたところ、シャクシャインが「自分も行こう」と進み出る。
「いや、おまえはここで正雪の護衛として残っていてくれ」
十兵衛の言葉にシャクシャインも頷いた。
畑で作業をしている二人が時折鍬の手を緩めて、道の方を見ていた。
「何を話しているのか、全く分からないな。違う地域の言葉ではない。違う国の言葉だろう」
日除け帽を持ち上げたのは劉国軒であった。隣には若い兵卒がいる。
「勇んで進んで行って、怖いのう」
耳の上まで届くくらいに肩をすくめた。
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