第3話

 衡陽にいる李定国は、白文選からの手紙を見て仰天した。皇帝を救出したので迎えに来てほしいという。


 永暦帝に対しては諦め半分となっていたが、手元に来るとなると話は全く変わってくる。至急迎えを出すと、永暦帝のための居場所をこしらえた。とはいっても、戦費などの出費が多いので簡素なものではあるのだが。


 更に三日後、今度は四川方面から永暦帝の后妃・皇子が殺害されたという報告を受けてまた驚いた。この驚きは呉三桂の行動に対する驚きである。


(むしろその方が有難い……)


 おおっぴらにはできないが、李定国の正直な心境であった。永暦帝の清に対する憎悪が更に強くなるだろうから、今後清に対する意見を通しやすくなる。


(ま、皇妃選びについては慎重にさせないといけないが……)


 この時、李定国の頭の中には、北京が陥落した後、南京に立った弘光帝のことがあった。この皇帝の政権は、清に対する反撃よりも、まず自分達を皇帝とその廷臣らしく振る舞うことに務め、南京中の女性の中から皇妃を選ぶというようなことをしているうちに清に攻められてしまったのである。


 身一つで逃げてくる永暦帝がそこまでの贅沢を主張するとは思いにくいが、皇帝や皇族がやることに際限がないことは分かっている。それは明の皇帝もそうであるし、かつての上司張献忠もそうであった。




 十二月、白文選の部隊が衡陽へとたどりついた。


「陛下、ご無事で何よりでございました……」


 出迎えた李定国は恭しく膝を落とす。その視線を向けられた永暦帝は、さすがに長い移動で疲れたのであろう、表情には疲労が色濃いし、服もいたるところが破れている。


「この李定国が身命を賭してお守りいたします」


「うむ。朕が頼れるのはもはやそなたしかいない。本当に頼む……」


 永暦帝が頭を下げた。これには李定国も驚くが、その目に涙が浮かんでいる様に更に驚いた。


「呉三桂は朕の妻や子供を皆殺しにしたと聞く。まさか、そのようなことをしようとは……」


「はっ。臣もその話は聞きました。呉三桂の所業、まさに悪鬼の所業でございます。いずれ、報いを受けさせますゆえ、今しばらくご辛抱ください」


「分かっておる……」


「それでは陛下、お体をお休めください」


 李定国は用意させた部屋へと案内した。



 永暦帝を案内し終わると白文選を呼び出した。


「……陛下には復讐を誓ったものの、すぐに出来るかというと難しい」


「昆明を守るべきだったでしょうか?」


 白文選が浮かない顔で尋ねる。


 永暦帝を保護した後、数千の兵を昆明に派遣しているが、おそらくは無秩序状態となっていると思われた。白文選は永暦帝を優先して衡陽まで移動してきているので、雲南一帯を守る者がいない。仮に呉三桂や孫可望が侵攻してくれば守ることはできないだろう。


「いや、それは仕方がない」


 とはいえ、永暦帝と雲南を比較すればやはり永暦帝の方が重要である。


「雲南はまた取り返せばいいだけのことではある。それにこういう言い方は非道ではあるが、雲南一帯も戦乱が続いていて、多くを見込める場所ではないからな」


「確かに……」


「現状、我々は広州方面を守らなければならない。我々に万一のことがあった場合、逃げるのはビルマではなく、海の方だ」


「国姓爺ですか」


 白文選の言葉に李定国は頷いた。



 その頃、洪承疇は成都に入り、報告を受けていた。呉三桂は雲南方面に出征に出ており、孫可望はその案内役として付き従っているから、説明に当たるのはその配下の者である。


 概ね頷いていた洪承疇であったが、他の者と同様、永暦帝の家族を皆殺しにしたという報告には顔をしかめる。


「……そのようなことをする必要があったのか?」


「多くの者がそう思い、止める者もいたのですが……」


「呉三桂が聞かなかったということか。困ったことだ。まあ、戦後処理のことまで四の五の言うことはできぬ。呉三桂がそうしたという以上、それを尊重するしかない。今後はわしと相談するようにしかと言い聞かせる必要があるが……」


 洪承疇も明から清に降った者である。従って呉三桂の気持ちも分からないわけではない。明から清に完全に鞍替えしてしまった以上、明に対しては徹底的に当たるしかないという気持ちが強いのであろう。


「雲南でも同じことをしないか心配です」


「それは大丈夫だろう。ここ四川でも、呉三桂は何もしていなかったのだからな。何かしでかすとすれば、永暦帝を捕らえた時だろうな。まあ、永暦帝を捕らえればこちらの方面では我々の勝ちだからあまり問題はない」


「もう一方の方面はどうなっておりますか?」


「分からぬ。陛下と鄭芝龍が何かを考えていたようであるが、何をするかまでは聞いていない。ただ、そちらは気にしても仕方ない。我々は我々にできることをやるだけよ」


 洪承疇は努めて落ち着いた口調で言う。目の前の相手だけでなく、自分に対しても言い聞かせているようであった。

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