第16話

 白文選は、兵力五千を率いて雲南へと戻っていった。


 途中、町の者達に「孫可望は陛下をないがしろにし、忠臣十八人を処刑するなど専横余りある。私はひそかに陛下から密使を受け取り、李定国将軍とともに立ち上がったのだ」という触れを広めて進軍していった。


 こうした告知効果は想像以上のものをもたらした。昆明周辺にいる者の中での反孫可望の動きは予想外に大きく、その大半が白文選に合流していったのである。もっとも、正確には白文選を信じてというよりは、その後ろにいるであろう李定国を信じて、ということになるが。


 五千しかいなかったはずの白文選の兵は、昆明に近づく頃には十二万にまで膨れ上がっていた。



 報告を受けた孫可望は目を白黒させた。


「白文選が李定国の支援を受けている、だと……?」


 白文選だけであればそれほど恐ろしくはない。いや、それも安泰ではない。かつての孫可望であれば白文選であれば相手にならなかっただろうが、ここ数年政治ごっこに入り浸っている孫可望は自らの戦場での能力に不安を抱いていた。


 しかも、相手は孫可望だけではない。李定国が後に控えているとなると、とてもではないが相手になりそうにない。


(こうなると、皇帝にならずに正解だったな……)


 孫可望はそう考えた。現在の彼の強みは永暦帝を抱えているということだけである。もし、皇帝になっていれば永暦帝とも決定的に決別することとなっていたので、徹底的に追い詰められていたであろう。


 孫可望は昆明の宮廷に出た。


「陛下。白文選が反逆いたしました」


 永暦帝は33歳であるが、その年齢以上に老けて見える。経験があるわけではないし、ずぬけて有能というわけでもない。ただ、苦労をしていることだけは間違いなかった。


「白文選は、陛下が孫可望こそ君難であるとし、その密勅を受けたと主張していますが、本当でしょうか?」


「まさか。そのようなことを朕がするはずがない」


 永暦帝は慌てて否定した。この昆明で孫可望に反しようものなら、皇帝であろうとも身の安泰は保障されない。


「……左様でございますか。それなら、そういうことでよろしいでしょう」


 真偽は分からないが、孫可望は皇帝を信用していない。とはいえ、ここでそれ以上言うことはない。


「どうやら愚鈍な者達が白文選の話に乗ってしまっているようでありまして、この昆明を守れるかどうか怪しくなってまいりました。陛下は私とともに行動をしていただきたい」


「……分かった。良きにはからえ」


 永暦帝には拒否する権限などない。うなだれるようにして頷いた。



 かくして、孫可望は永暦帝を連れて昆明を出ることにしたが、逃げる先を考えなければならない。


 昆明は中国に西南にあり、これ以上逃げるとなると、ビルマやヴェトナムといった外国に逃げることになる。しかし、ヴェトナムでは鄭阮戦争という内戦状態にあり、中国と同じくらいに危険な状態である。


(逃げるとすればビルマだが……)


 一方のビルマはこの時代、ピンダーレ王の下で比較的安定していた。とはいえ、ビルマとの間に友好関係はなく、どのように動くか予想ができない。


(仮に匿ってくれたとしても、それは皇帝だけであろう。我々がどうなるか知れたものではないか)


 孫可望はそう考えた。


(そうなると、打ちうる手は一つか…。四川まで逃げて、呉三桂の保護を受けるしかない。永暦帝を連れていけば悪くは扱われないだろう)


 孫可望は三日間ほどで準備を整え、三万ほどの軍勢を集めると昆明の王宮に火をつけて北へと落ち延びていった。



 昆明に火を放って孫可望が逃げたという報告を受けた白文選は驚愕してしばし固まってしまった。彼の頭の中にはどうやって孫可望に勝つかということしかなく、それ以外の選択に対する備えが全くなかった。


「火をつけて、どの方向に逃げたのだ?」


「北とのことでございます」


「北だと? ビルマに逃げたのではないのか?」


 しばらく考えて、最悪の可能性に思い至る。


「まさか、陛下を手土産に清に降伏するつもりなのか!?」


「いかがなさいます?」


「いかがなさいますも何もあるか! とにかく北へ追いかけるのだ!」


「しかし、昆明の宮殿には火がつけられているということですが…」


「そのうち雨も降るだろう! 今はそれどころではない。とにかく孫可望を追うのだ!」


 白文選は兵士達を叱咤し、すぐに北へと進路を変えることとなった。

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