第15話

 昆明内部の反対派の粛清に成功した孫可望は引き続き、永暦帝から政権を奪取する計画を立てることにした。


 もちろん、それを認める永暦帝ではないが、十八人之獄により永暦帝の周辺にはまともな人材がいない。警戒すべきは李定国や劉文秀であるが共に昆明にはいない。昆明への行き来を徹底的に封鎖していれば、すぐに実現できる。


 孫可望はそう考えていたが……。



 衡陽の李定国は、動かない事態を静観しているよりほかなかった。


 うかつに動くと、長沙の二人や洪承疇につけ入られる恐れがあり、更には孫可望も信用ならない状況である。


 劉文秀に期待して広州からの兵士を与えたわけではあるが、その劉文秀もまた相手の拠点地である四川で戦うことを嫌って貴陽から動かない。


 誰かが動かない限り、動けない。


 そうした状況がしばらく続くと思われていたが……。



 十月の末、李定国の下に高永貴がやってきた。


「将軍、よく分からぬ男が城門の前に来ています」


「よく分からぬ男……?」


 李定国は唖然となった。そういうことをなくすために門番やら取次がいるのではないか。そうも思うが、高永貴がそんな当たり前のことを放置するような人間でないことも理解している。


「武器を預かって、ここにつれてくるがいい」


「分かりました」


 高永貴は一旦下がり、程なくして背の低い男を連れてきた。なるほど、頭から大きな布をまとっており、顔も見せないような素振りである。場所が場所であれば、この恰好だけで不審人物として斬られてしまう可能性もあった。


「私が李定国である。随分と物々しい恰好であるが、何者であろうか?」


「李将軍、お久しぶりです」


 声を聞いた李定国は「おっ」と反応した。


「毓公か?」


「はい。白文選でございます」


 男はそこで顔を露わにした。


 白文選は張献忠旗揚げ時からの大西国家の将軍の一人であり、李定国にとっても同僚とも言える間柄である。


「そなたは孫可望に従って昆明にいたと思っていたが、わざわざ私を訪ねてくるということは何かあったのか?」


「はい。明にとっては一大事でございます」


「一大事?」


 白文選はそこで孫可望が起こした十八人之獄について語った。


 これには李定国も驚く。


「……そこまでするということは、孫可望は帝位を望んでいるのか?」


「もはやそう考えるしかない事態でございます」


「ふむ……」


 李定国は思案する。


(いくら何でもそこまで急進的なことをするであろうか。ひょっとしたら、これは私を追い落とすための策略?)


 李定国が不用意に昆明に向かうための兵を出したところで、「何のための挙兵だ」と難癖をつけて処刑する。そうした可能性もなくはない。


「私を疑っておいでですな?」


 白文選にも李定国の逡巡は伝わったらしい。ニヤリと笑みを浮かべる。


「疑っているというわけではないが、信用しきれるわけではないのでな」


「確かに誰が敵で誰が味方か分からない状況ではありますからな。ならば私に五千でいいので兵をお貸しいただけないでしょうか?」


「五千?」


 李定国はけげんな顔をした。


 白文選に五千の兵を預けること自体はそれほど問題ではない。白文選が昆明に向かうのであれば、逮捕されるとしても白文選であるし、逆に何らかの陰謀があったとしても五千の兵しか率いていない白文選ならば脅威ではない。


 問題はその程度の兵数で昆明に行って何をするつもりなのかということである。孫可望は数万の兵を擁している。指揮官としての力量も孫可望の方が若干上であるはずであった。となると、五千の兵士を率いたところでただ孫可望に打ち破られるだけではないか。


「私の心配なら不要でございます。孫可望はやり過ぎました。私が兵士を率いて行けば、多くの者がこちらにつくでしょう。心配はいりませぬ」


「それなら構わないが、おまえが行くことで孫可望が陛下を弑すことはないだろうか?」


「それもないでしょう。その場合、孫可望は明も清も敵に回すことになります」


「なるほど……」


 それなら最大の損失でも五千の兵士であって、どう転んだとしても自分が痛手を被ることはない。李定国は一応納得することにした。


 その日のうちに五千の兵士を白文選に与えると、彼は直ちに昆明へと取って返していった。

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