第14話

 永暦帝と共にいる時間が長いということは、孫可望にとって何を意味していたのか。


 彼も元々は李定国とともに張献忠の大西国のために戦っていた。張献忠は明に対し反乱を企てていたのであるから、孫可望にとっても明は形式的には主筋の敵ではある。しかし、張献忠にしても孫可望にしても、そして李定国にしても明という国に対して叛旗を翻していたという意識は薄かった。


 彼らが抵抗しようとしていたのは、あくまで自分達を虐げようとする役人達に対してであり、心のどこかでは皇帝は雲の上の存在として捉えていた。ひょっとしたら、皇帝なら自分達を助けてくれるのではないか、そんな思いもあった。自分達の義理の父親である張献忠が皇帝となったこともあり、孫可望は皇帝という存在にはどこか敬愛を感じていた。


 しかし、いざ実際に庇護するようになり、その敬愛は砕かれた。永暦帝は若いということもあるにしても、閃きを感じるような人物ではない。その取り巻きは輪をかけて酷い。


 こんな連中のために命をかけるのか。孫可望は次第に馬鹿馬鹿しくなってきた。とはいえ、彼も一度贅沢を覚えてしまった身であるので、李定国のように再度戦闘に身を投じようという気にはならない。


 かくして、皇帝を擁した昆明で無為の時間を過ごし、敵対する者を監視し、警戒するといった時間が過ごされていた。


 そんな孫可望の下に、洪承疇からの書状が届いたのである。「我々が敵対視しているのは明であって、その配下である者ではない。おまえが皇位についた後、清に降るのであれば王として遇しよう」というのである。


 孫可望は迷った。


 永暦帝とその取り巻きのような人物達が、皇帝とその周囲であるのならば、自分が皇帝になったとしてもそれほど問題はないはずである。それくらい、彼は永暦帝に失望している。清の皇帝がどの程度のものかは分からないが、永暦帝より酷いということはないのではないか。


 ただし、自分が皇帝となって永暦帝を倒すというのは気が引ける。手紙では許すと書かれてあるが、天に二つの太陽は不要である。皇帝に就いたことを理由に後々清に処刑される可能性はないか。孫可望はどうしてもそのことを考える。


 とはいえ、これだけの大事となると不用意に誰かに相談するわけにもいかない。永暦帝に漏らされてしまえば、李定国が自分を倒すべく昆明に攻め寄せてくるかもしれない。


「そうか…」


 皇帝になる、ならないということは別としても、永暦帝から李定国への要請の中に、自分を排除せよというものが含まれているかもしれない。何せ自分が永暦帝を疎ましく思っているのだ。その逆がないはずがない。


 かくして、孫可望は昆明から東、北への道への警戒を厳重に極めさせた。



 そんなところに呉貞毓から李定国への書状を持った使者がやってきたのである。



 孫可望の警戒網に引っ掛かった使者は、いともあっさりと書状を示して、呉貞毓から預かったものであることを認めた。


「このわしが皇帝になるなど、何の根拠があってぬかしておるのだ? その噂の元が分かるか?」


 孫可望は激怒して問い詰めているが、この様相は演技でもある。何せ、実際に皇帝になることを検討していたのであるから。それが明るみになるとまずいので、心底激怒した風を装っているのである。


「分かりません。呉貞毓の下に上訴があったと聞いております」


「わしに対する反対派なのであろうが、よりにもよって大逆をでっちあげようとするとは」


 と内心で言いつつも、孫可望は冷や冷やとしていた。


(ひょっとしたら、洪承疇はわしに皇帝になれと勧めておきながら、永暦帝にはわしが皇帝になると言っているのかもしれぬ)


 自分と永暦帝はお互い疑っていることを孫可望はよく理解していた。であるからこそ、清は両者を対立させようとするはずである。できれば、そこに李定国も加えたいところであるだろうが、李定国は鄭成功とも距離を近づけつつあり、最近では「何かあったら鄭成功側に走る」という姿勢をちらつかせている。もっとも崩しやすいのは雲南・貴州から中々動くことができない永暦帝と孫可望だ。


(厳しいのう。どうしたらよい……)


 孫可望は悩みつつも、ひとまずは呉貞毓を潰さなければならないと考えた。


 いや、呉貞毓だけではない。彼に繋がる者もことごとく潰さなければ自分の地位は安泰ではない。いつ何時自分の地位がひっくり返されるか分かったものではない。




 十月、孫可望は使者の書状を下に、行動を開始した。


 呉貞毓の屋敷は完全に包囲され、兵士が踏み込んでくる。


「一体、何としたことなのだ?」


 文句を言う呉貞毓に対して、兵士は「お前達が皇帝を騙し、不義の罪をでっちあげようとしている情報を得た。陛下は不義であることに怒りを示したものの、これまでの功績に免じて処刑ではなく死を賜ることを決定された。有難く思い、潔く自決されよ」と言い放つ。


「……くっ。先を越されたか」


 観念した呉貞毓はその日のうちに首をつって自決した。事実、呉貞毓の死は有難い措置であった。


 その日のうちに連座して逮捕された十七人はことごとく処刑され、そのうち三人は凌遅刑に処せられたのであるから。


 この「十八人之獄」をもって孫可望は昆明の全てを好き勝手に動かせる立場となり、翌年には永暦帝にかわる皇帝となるだろうと噂されるようになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る