第10話
由井正雪は屋敷にはおらず、港の方にいた。
「えーっと、この野菜が三束で、キノコが二組だから…」
「ちょっとあんた、計算が遅いよ!」
「す、すまぬ…」
港の女将に文句を言われて、正雪もすごすごと引き下がる。
何をしているかというと、台湾にある浪人組の収穫物の販売に立ち会っていた。台湾で取れるものであるだけに、台湾では多数出回っている。ならば、厦門まで運んで売ってしまおうということでオランダ船の協力も受けて厦門で販売していたのである。そこに実際の商人というものはどんなものだろうと挑戦してみたのであるが、見事なまでに邪魔になっているだけであった。
「あんたねぇ、頭の回転が遅すぎるんじゃないの?」
「いや、何せこちらの貨幣のことがまだよく分かっていなくてな…」
明末から、中国では一条鞭法という納税制度が広く広まっていた。複雑化していた税金を人頭税と地税の二つにまとめて一括して銀で納めさせようというものであった。清も税制に関してはひとまずそれを引き継いだのであって、銀と紙幣の併用が一般であった。
正雪にはどうしても日本で使っていた寛永通宝のことが頭にあるので、銀と紙幣との使い分けがうまくできない。政治や外交に関しては頭の切り替えが早く、最近では言葉の問題もほぼ解消されていた正雪であるが、身近な貨幣についてはてんでダメだという状況があった。
「面白い髪形しているんだから、もっと頭をしっかり使わないとダメだね」
「ははは、面目ない…」
「しかし、あんたのお仲間の野菜は珍しいものも多いねぇ」
「台湾からの野菜だからな。多少は違うものもあるのだろう」
女将の叱咤激励を受けていると、遠くの方から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「…どうした?」
と声の方向に向かうと、甘輝がいた。
「おお、由井先生、このようなところにおられましたか」
「うむ。商人の難しさについて身をもって知らされておるところだ」
正雪の言葉に甘輝は笑う。
「由井先生は生まれてからずっと兵法をされていたわけですから、できるわけありませんよ」
「確かに、な。それで用件というのは?」
「それがですね」
甘輝から伝わってきた北京の状況についての説明を受ける。
「ということで、これからどうするかについて、由井先生にも説明していただきたく思います」
「承知しました」
正雪は、残りのことを女将その他に任せて、国姓爺の屋敷へと向かう。
鄭成功の屋敷に向かい、再度状況説明を受けた。
「どのように向かうのがよろしいでしょうか?」
「向かう先も大切ですが、まずは一度、オランダからの使節を迎え入れましょう」
正雪の言葉に鄭成功がポンと手を叩いた。
「以前先生がおっしゃっていた、台湾の冊封を受けることで、清に圧力をかけるということですね」
「はい。厦門で受けたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
既にオランダの同意を得ていた冊封の件であるが、「永暦帝のところに向かうべきではないか」という鄭成功の希望があったため実行はされていなかった。
正雪が「よろしいですか?」と確認したのは、永暦帝以外の形で受けることについての確認である。鄭成功もここ半年以上の間に永暦帝についての評価は相当下がっていたようである、大きく頷いた。
「仕方ありません。オランダの側にあまり失望させるわけにもいかないでしょうしね」
「それなら問題ありません。オランダの冊封を受けた後、福建から江西の方へ進みましょう」
「陸路で李定国と接する方向を目指すということですね?」
「左様でございます。冊封を受けたとなれば、清は我々を無視して李定国の方ばかり行くわけにもいきません。こちらに向かってきた清軍を迎え撃つとなれば、大分やりやすくなるものと思います」
「そうですね。その通りに進めましょう」
鄭成功は満足そうに頷いたが、念のためにと前置きして自らの希望も述べる。
「とはいえ、我々としてもできれば早いうちに南京を取りたいという希望はございます」
「分かっております。ただ、今すぐというわけにはいかないでしょう。二度、三度と清を跳ね返し、相手の厭戦気分を高めてからの方がよろしいかと思います」
正雪の返事に、鄭成功も頷いた。
その夜、意気揚々と戻ってきた正雪は港での売上を受け取り、更に気分を良くする。しかし、その際に「あんたがいなくなった後、かえってみんなの手際が良くなったよ」と説明を受けたことには落胆した。
以降正雪は、二度と港の売り場に立つことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます