第9話

 七月、呉三桂は成都を出発して、東の方重慶へと向かい、劉文秀を迎え撃つ体制に出た。


 劉文秀は貴陽までたどりつくとそこで進軍を停止した。貴州と四川で両軍はしばらく睨み合う形となる。


 これには理由があった。劉文秀が李定国から与えられた兵は主として広州市の籠城に携わっていた兵であり、士気はお世辞にも高いとは言えない。


 劉文秀は決して無能な指揮官ではないが、短期間で士気を奮い立たせることは難しいし、褒賞などを与えられるほど余裕があるわけでもない。


 そのような兵を率いて敵地に攻め込んでも勝てる見込みは薄い。ならば、敵にとっても地の利の薄い貴州で戦う方がいいだろうという計算であった。


 では、呉三桂の側はどうかというと、士気の点では大差はない。呉三桂が連れている兵のうち、古参の者は士気も高いが、逆に彼らは中国東北部で戦っていたこともあり、四川や貴州での戦いには未だ慣れていないという問題もある。


 呉三桂の側も「敵地に迂闊に進むのは危険だ」という判断に至り、両軍はしばらく重慶と貴陽の地にあって向かい合うこととなった。



 すなわち、両軍とも援軍を待つことになる。呉三桂は洪承疇を、劉文秀は李定国を。



 状況が膠着したことで、李定国は慌ただしく動くことは避けられたが、状況は芳しいとは言えない。自軍の精鋭をもって長沙にいる尚可喜と耿仲明を倒すことは可能であるが、永暦帝からの要請は四川の救援である。自軍主力を長沙に向けることに異論が出る可能性が高かった。そうでなくても警戒されているのである。下手をすると反逆行為と受け止められかねない。


 とはいえ、四川に向かうとなると、尚可喜と耿仲明から後背を突かれる恐れがあり、これまた危険な状況である。この二人なら何とかなるかもしれないが、洪承疇の主力まで向かってきた場合には厳しい。


「仕方がない。洪承疇については国姓爺の援軍を要請するしかない」


 どう考えても、この状況で洪承疇まで防ぐというのは不可能だと判断し、鄭成功に支援を仰ぐこととした。


「北に向かい、南京を伺っても、西に向かい我々を補佐してくれても、それはどちらでも構わない。とにかく尚可喜と耿仲明と呉三桂に加えて、洪承疇まで引き受けるのは不可能だと伝えてほしい。陛下は助けてくれんことも付け加えて、な」


 そう指示をして、使節を広州へと遣わした。広州には鄭成功の海軍、正確には施琅の部下が残っているため、こちらに連絡をすれば厦門まですぐに派遣されることになっていた。



 厦門の鄭成功のところにも、清側が洪承疇を派遣するという情報は伝わっていた。


「清にとっては最後の選択肢というべき存在であろう。洪承疇を倒せば、我々が一気に北へと攻めあがることも可能となるが…」


「歴戦の強者であるだけに、そうそう容易にはいかないでしょう、と」


 施琅の言葉に鄭成功は頷く。


「四川に呉三桂、長沙に尚可喜と耿仲明、更に洪承疇までやってきたとなればさすがの李定国にも防げないだろう。陛下も恐らく援軍を送ることはないだろうし」


 鄭成功の言葉に、一同がまたも頷く。


「恐らく向こうは我々の助けを待っているものと思います」


「ただ、どう動くのが賢いかな…」


 鄭成功は以前ほど一途に明のことだけを考える態度ではない、伝え聞く永暦帝の状況や正雪らの話を聞き入れて本質を外さない程度では修正をしつつある。そうなった場合には、当然自分達の党利という考えが生まれてくる。


 李定国を助けなければいけないのは当然であるが、どのような形で助けるのか、具体的にはどこに兵力を動かすのが鄭氏政権にとってもっともプラスになるのかということを考えて作戦を進めたいという意向があった。


「やはり海でございましょう」


「ということは、海を北上して長江沿いの街を目指すということか」


 鄭成功は頷いてはいるが、力強さには欠ける。


 本音としては、鄭成功は長江沿いまで攻めあがりたい。何故なら、南京を取り返したいという思いがあるからである。


 しかし、地に足もつけなければならない。現状、南京まで攻めあがるだけの力があるかどうかと言われると自信がなかった。


「…やはりここは、由井先生にも伺ってみては」


 思惑を察知されたのか、甘輝が正雪らに問うことを打診してきた。


「そうだな…。いつも聞いているだけで、情けないという思いもあるが、やはり何がいいか聞いておきたい」


 鄭成功も反対はしなかった。

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