第8話
順治十年(1653年)五月、皇帝フリンは洪承疇を湖北・湖南・広東・広西・雲南・貴州を経略する特任総督として任命した。洪承疇もまたその期待に応え、遠征の準備を開始していた。
これに力を得たのが呉三桂である。張献忠の部下であった
永暦帝サイドはこの呉三桂の動きに神経を尖らせ、李定国に救援を要請した。
が、李定国にとっては「冗談ではない」という話である。
「私が衡陽から四川に向かえば尚可喜と耿仲明の二人がすぐに南に来るに違いない。そうなれば昨年の勝利を全て捨て去るようなものである。この局面が難しいことは理解しているけれども、何とか陛下の威徳をもって敵軍を追い返してほしい」
李定国はこう言って使節を追い返した。「お前達で何とかしろ」と言わんばかりであり、こんな返事を返せば永暦帝が激怒することも予想されたが、李定国は気にしない。
何せ昆明には孫可望もいるのだ。彼は数万の兵士を連れ従えているはずで、ここ二年ほど戦闘もしていないから休養も十分で、その気になれば呉三桂と戦うことは十分に可能である。それなのに何故戦おうとしないのか。単純である。李定国の勢力を少しでも削りたいのだ。
その動きに乗るわけにはいかない。
ただし、李定国は自ら援軍に立つことは拒否したものの、昨年の連勝で勢力を拡大している以上、何もしないというわけにはいかない。そこで貴州に逃げてきた劉文秀を使うことにした。広州方面から兵力を集めて、劉文秀にそれを指揮させることにした。
要は自分の勢力を削りたくないので、劉文秀を利用して場を取り繕うというものである。
劉文秀もこれに乗った。
何といっても、彼は敗軍であり、再起のためには兵力が必要であるが、昆明の永暦帝と孫可望は頼りにならない。現状、兵を与えてくれるのは李定国だけである以上、それに従うしかない。
劉文秀は桂林まで逃れてきて、そこで馬進忠が徴兵してきた六万の軍勢を借り受けると、広西から四川へと向かう動きを見せた。
この動きに対して、呉三桂も成都まで進軍して迎撃の準備を整えた。
呉三桂はこの年42歳。若い時から戦場を駆けまわっていたこともあり、細身ながらもしっかりとした体格をしていた。自ら率先して行った辮髪を撫でながら、南方に目を光らせる。
成都は三国志の時代からの四川省の中心地であったが、明末から四川では激しい動乱が繰り広げられており、その城塞はいたるところに破損があり、籠城などはまともに見込めそうにない状況であった。張献忠の屠川とも言われた虐殺の影響もあり、人口も激減している。
そのため、両軍とも簡単に戦場として蹂躙して、更に四川の人民に塗炭の苦しみを味わわせているという悪循環が続いていた。
(何とかせねばならぬなぁ…)
とは呉三桂も考えるのであるが、さりとて、何をしたらいいのかは分からない。少なくとも敵である永暦帝やその部将が向かってくる限りは戦うしかないという実情がある。
戦闘、殺戮、また戦闘という日々である。そんな日々がもう十年以上続いており、さすがの歴戦の将呉三桂も疲れを感じずにはいられない。
(こういう時、円円がおれば…)
とも考える。愛妾の陳円円は現在、保寧府の別邸にいる。呉三桂の裏切りを多くの人間が揶揄したことでいたたまれなくなり、別邸で暮らすことになったのであった。しかも、その代わりに迎えた妾が嫉妬心の強い女であり、円円が呉三桂に近づくことを徹底的に阻もうとしている。そのため、この一年くらいは満足に顔を見ていない。
「将軍、いえ、平西王」
近づいてきた伝令が言葉を正す。そう、平西王という王位に任命されていた。
「どうした?」
「劉文秀の軍勢が四川へと入ってまいりました」
「そうか。三日後出立する。その旨、諸将に伝えよ」
「ははっ」
呉三桂は溜息をついた。
(考えていても仕方ないな)
悪循環であろうが、同じことの繰り返しであろうが、相手が向かってくる以上は戦うしかない。戦って、最終的な勝利を収めて、それから清の手によって再生されていくのである。
それがいつのことになるのか。近いことなのか、あるいはまだ遥か先なのか、それは分からないが。
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