第7話
李定国の下にも清からの使節が現れた。
「ほう…」
清に降れば呉王に奉ずるという内容を見て、李定国は目を細めた。と同時に憂鬱な思いが脳裏を過ぎる。
(同じものが
永暦帝は昨年末に、安竜から更に奥地にあたる昆明へと移っていた。その奥地の方から命令ばかりが届き、辟易となることもある。
(迂闊な事をしていると、本当に明末の連中と同じになりかねん…)
と考えて、ふと考えを止める。
(明末? 今、明末と考えたのか?)
それはおかしい。
明は今も続いている、というのが永暦帝サイドの建前である。ところが、李定国は自然と『明末』という言葉を使った。つまり、彼の中では明という国は終わっているということになる。
(では、俺は一体誰に仕えているのだ?)
しばらく考えたが、答えは見えない。
ともあれ、彼は清からの手紙をそのまま永暦帝の下に送ることにした。隠していると、「清と通じている」などと陰口をたたかれかねない。送ったとしても、どこまで信じてもらえるかが分からないというのが苦しいところであったが。
悪い話ばかりではなかった。
三月に入ると、李定国の下に厦門の鄭成功の状況が伝わってくる。それによると鄭成功は明の各皇帝の廟を仮に作ることを宣言したという。その傍らには彼らが敬う幼児がいるという話である。時同じくして、厦門の街ではこの幼児こそ隆武帝の息子
(これで、いざとなったらそちらを奉じればいいという状況にできた、な)
逃げ道があるとないのとでは、物事への取り組み方が全く異なってくる。永暦帝の信頼一つで破滅になりうる状況から、別の選択肢が出てきたということは李定国の余裕を持たせたのであった。
「将軍、ここからどうしましょう?」
配下の馬進忠が尋ねてきた。
現在、李定国の勢力は貴州から広西、更に江西と湖南南部の広域に渡っている。崇禎帝が北京で没して以降、ここまで広い勢力を明側が有したことはないといってもよい。
「まずは長沙を狙うことになるだろうか…」
広州を開城させるに際して、尚可喜と耿仲明の二人が長沙に逃げることを認めている。まだ反撃体制に移れる状況ではないようであるが、さしあたり攻撃する対象となるとそこしかない。
「中期的には南京を攻略したいところではあるが、な」
明にとって南京は特別な街である。というのも、明は元々南京を都として成立した国家であったからだ。南京を奪い返して、そこで改めて明が華北を狙うという態度を明らかにすることこそが当面の最大の目標といってもいい。いや、ここ数年、持つことも許されない目標であった。
「南京攻撃には鄭将軍との協力が必要なのではないでしょうか?」
「もちろんだ。国姓爺の意向も聞かぬことにはな」
「動きますかね?」
「分からん。向こうは海の向こうにも拠点があるから、中国ばかりにこだわっていることもないだろうし、な。ひとまずこちらの希望としては、長沙を制圧すれば南京攻めへの準備だ。そのためにどの程度の協力をしてくれるか聞いておきたいところだな」
李定国は鄭成功と、由井正雪宛ての二通の手紙を作成した。共に同じ内容であるが、鄭成功に対するものには明皇帝の威光など、形式的に明の家臣であることを意識したものであるが、正雪宛てのものにはそのような格式ばったことは書いていない。より本音に近いものである。
互いに手紙を見せあったとしても矛盾するわけではないが、正雪への手紙を作ることでより本心に近いものを示唆するつもりであった。
それからしばらくの時間が流れたが、李定国が警戒していた永暦帝からの厳しい追及や無理難題の要請はなかった。
しかし、それは永暦帝が李定国を認めていたというわけではなく、そんなことを追及できるような状況でなかったということも大きい。
洪承疇を総大将とする清軍が北京を出発し、呉三桂と合流して四川方面から雲南へと攻め込んでくるらしいという情報が流れてきていたためである。
四月になろうという頃、衡陽の李定国の下には、「四川方面への救援部隊を送ってほしい」という昆明からの使者が駆け込んできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます