第6話

 広州を開城させたという情報は、その月のうちに厦門の鄭成功や正雪の下に届いた。


「やりましたな!」


 日頃平静さを取り繕う正雪も、この情報には興奮して思わず小躍りする。甘輝も涙を流さんばかりに喜んでいた。


 唯一、浮かない顔をしている者がいる。鄭成功だ。


「報告を受ける限りだと、広州は李定国のものになってしまったというが…」


「左様でございますな。しかし、港は利用できるわけですし、これによって我々と永暦帝の連絡も取りやすくなるのではないかと思います」


「うむ、そうだな」


 尚も喜色を表さない鄭成功に、甘輝が苦笑を浮かべて正雪を見やる。正雪も苦笑いを返すしかなかった。




 施琅が戻ってくる前に、鄭芝龍からの手紙は厦門に届いた。


 もっとも、これは洪承疇にとっては狙い通りでもあった。


「父から、施琅への手紙だと?」


 鄭成功はけげんな顔をして中を開いた。読んでいるうちに首を傾げて、甘輝を呼んだ。


「お呼びでしょうか?」


「父から施琅への手紙が届いていた。これを何と見る?」


 甘輝は鄭成功から手紙を受け取り、一読をして首を傾げる。


「旧交を懐かしんでいるように見えますが…」


「父は北京にいる。北京から旧交を懐かしむのは怪しいと思わぬか?」


「と言いますと?」


「奴は広州を一言も断りもなく、李定国に渡した。どうも、我々の在り方に疑問を抱いているように見えるのだが」


 甘輝はげんなりとなる。


「こういう点は我々だけで考えると早まってしまう可能性がございます。是非、正雪殿に見てもらうべきではないでしょうか」


「うむ、そうか…」


 鄭成功も正雪らを呼び出すという話には弱い。


 その場を甘輝に任せて、正雪を呼ぶ使節を送った。



 半刻ほど後、正雪が駆けつけてきた。


「何やら手紙を巡って、争っているという話でございましたが」


「うむ。これを見てほしい」


 と、甘輝から渡されて手紙を読む。こちらに来て三年以上の月日が経ち、正雪も書かれてあることを読めるようになっていた。


「…これは罠でございましょう」


 読み終えてすぐに断言した。


「罠ですか?」


「現在の状況では施琅殿が仮に会いたいと思っても、北京に行くのは一苦労でございます。そんなことはお父上も分かっておられましょう」


「それはそうであるが」


「それを承知で送ってきたということは、単に旧交を懐かしんでいるか、あるいは清の皇帝に頼まれてのことに違いありませぬ」


「清の皇帝?」


「はい。国姓爺と施琅殿を切り離すことができれば、清は大いに得るものがあります。それを願ってのものと言えましょう」


「むむぅ…」


「人は意外と、当事者となってしまいますと周りが見えなくなってしまうものでございます。国姓爺におかれましては明が北京を追われた理由を当然ご存じであると思いますが、いざ当事者になってしまいますとそれが見えなくなってしまうものでございます」


「…左様でありますな」


 鄭成功もそこまで言われれば自分の問題点を把握する。


「知らぬうちに、私は施琅の手柄を妬んでいたということでありましょうか…」


「はい。そういうところが若干、ございました。また、永暦帝が李定国を妬んでいるということもございます。だからこそ、施琅殿は広州を李定国に渡す必要があったのです。いざという時、いつでも我々の側に逃げてこられるように…」


 鄭成功は椅子を降りて、正雪の前に膝をついた。


「由井先生、ありがとうございます。先生がいなければ、私は後の世に愚か者として名前を残すところでございました」


「お分かりいただけましたら幸いでございます」


 正雪も頷く。


「…そうそう、先生から話のありました、先帝の子と同じくらいの年齢の子でございますが、何人か候補がおりましたので、後日、選定したいと思います」


「なるほど。ですが、こちらは隠密裏に選ぶ必要がございましょう」


 永暦帝の代わりが、厦門にはいるのだぞ、という意思表示のための子供である。それはあらかじめ用意されていたものであり、わざわざ選定された子供であると知られてはならない。


「分かっております。後日、連絡いたしますのでまた屋敷までお越しください」


「かしこまりました」


 正雪は恭しく頭を下げた。


 以降、鄭芝龍の手紙が問題になることはなかった。三月に戻ってきた施琅は、鄭成功から三通ほどの怪しい手紙を笑顔で渡され、「ここでは誰も疑っていない」と肩を叩かれてすべては解決した。

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