第3話
順治十年を迎えても広州城内では、尚可喜と耿仲明がずっと浮かない顔を続けていた。
夏頃から続く、施琅による攻撃に加えて、昨年末からは李定国の軍も動くという情報が伝わってきていた。これにより城内の兵が動揺してしまっており、離脱する兵士が続出していた。
「わしのところではまた数千ほどの脱落があった…」
とはいえ、討って出るとなると、陸には李定国軍が、海には施琅軍がいる。
兵力的には決して劣ってはいないが、士気という面では雲泥の差がある。しかも、仮に城の包囲を突破したとしても進む場所がない。桂林、衡陽などめぼしい場所は全て敵軍に落ちていた。長江の北まで逃げれば確実ではあるが、そこまで数万の軍勢を率いて逃げるというのは現実的ではない。
一月半ばを過ぎると城外の施琅も城内の様子を察知するようになった。逃亡してきた兵士から状況が聞けるようになったためである。
高永貴を呼び出し、相談をする。
「広州の城内の士気は高くないようだ」
「攻撃を仕掛けますか?」
「いや、攻撃をすると相手も必死に抵抗するだろう。それに城内の糧食自体は十分にあるらしい」
「周辺から徴発したということでしょうか」
「そういうことだろうな。ともかく、強硬策は獲りづらい、包囲戦では時間がかかる。しかし、時間さえかかれば勝敗が明白なのは相手も理解している」
そこまで説明をすれば、高永貴も理解をする。
「開城を呼びかけるわけですか」
清軍を攻撃しないことを条件に広州を明け渡させる。その代わりに、清軍にはどこか安全な地を約束する。
「そうだ。その方が李将軍にも都合がいいだろう?」
施琅の言葉に高永貴が苦笑した。
確かにその通りなのである。清軍を完全に撃滅してしまっては、李定国は逆に身動きがとりづらくなるし、下手をすると「狡兎死して走狗烹らる」ということにもなりかねない。
高永貴からの使者が衡陽の李定国の下に走る。
「…なるほど。長沙を明け渡してやれということか」
李定国も施琅と高永貴の意図は理解した。
「当面は敵よりは味方の方が怖いということか。全く度し難いことだ」
呆れたように笑いながらも、李定国は了承の返事を返した。
返事を受けて、施琅と高永貴は広州城内の尚可喜と耿仲明に開城を呼びかけた。
呼びかけられた側は、再び幹部を集めて議論に暮れる。
「明の側は長沙までは安全を保証すると言ってきている」
「本当だろうか? 城外に出たところを撃ち滅ぼされたりしないだろうか?」
「…とはいえ、このままここにいても道が開けるとも思えない」
「呉三桂に送った使節も全く返事がない。ということは、連絡線が完全に途絶えているのか、奴も負けているかということだからのう」
「勝っていたとしても、あいつは女のために無駄な時間を使うこともある…」
「あぁ…」
二人は溜息をついた。
呉三桂が陳円円という女性を常に帯同させていることについては、清軍の中で知らぬものはいない。そもそも、呉三桂が山海関を開いて清軍を中原へ招き入れたのも、李自成軍に円円を取られたという話を信じて、李自成から円円を取り返したくて行ったという噂もされているほどである。それが満更嘘とは思えないくらい、呉三桂の陳円円への寵愛は度を越している。
「期待はできないだろうなぁ」
「そうだな。他に援軍に来てくれそうなところは存在しない。陛下が改めて軍を出していたとしても、北京からでは時間がかかる」
「ましてや、北京はまだ睿親王の件が解決していないかもしれぬ。時間がよりかかるかもしれない」
「…あと、南部の港は全て鄭成功に抑えられている。広州だけを押さえていても、全く意味がない」
「そうだな。今となっては、海南島も明の側に降っているだろうし、越南に逃げることすらかなわぬ」
考えれば考えるほど、悲観的な要素しか思い浮かばない。
「軍として体裁をなしているうちに、出ていくのが賢明であろう」
二人の意見は開城ということで合意した。
大将の二人が意見の合意を見た以上、他の者も反対はしない。いや、他の者もこの状況では勝ち目はないし、今のうちに開城して安全を確保しておきたいという思いを抱いていたのである。
順治十年、永暦七年の二月。
広州は遂に開城し、城内は李定国が、港は施琅の軍が占領した。
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