第7話
永暦七年、正月。
施琅の下に、李定国からの使節として
「広州攻めに協力しても良いと?」
高永貴の言葉に、施琅は驚いた。
「ただし、一つだけ飲んでいただきたい条件があります」
「何だ?」
「広州を陥落させた場合、我々が引き取るという条件です」
「むっ…」
施琅の視線が険しくなる。
(こちらは既に数か月攻撃していて、それでいて攻め取ったら李定国のものになるだと? 冗談ではない)
まずはそう思った。
高永貴は施琅の不機嫌を察知したのであろう。頭を下げる。
「もちろん、貴殿の努力を無にするような不躾なお願いであることは承知しております。ただ、我々にも永暦帝の宮廷に対しての顔というものがありまして、ここを曲げることは難しいのです」
「そちらにも立場があることは理解しているが…」
広州を取りました、李定国に譲りましたでは、逆に施琅の立場がない。
だが、高永貴の様子を見ていると、まだ何か言いたいような様子を見せている。チラチラと周囲の者に視線をやっていた。
「…お前達は下がれ」
施琅は周囲にいた幹部達を下がらせ、一対一とした。
「これなら話せるか?」
高永貴は頷いて、小声で話をする。人払いをしたのに小声とは、余程聞かれたくないのだろう。
「李将軍は私にこうも仰せでした。海は国姓爺に、陸は我々に、その路線でもダメであるかと?」
「…陸と海か…」
施琅も馬鹿ではない。そこまで言われると李定国の目論見に気づく。
土地は自分が切り取ったことにしたい、しかし、李定国は海のことには全く関与するつもりがない。港など、交易の利や、交通についてはそちら持ちでいいということだ。
広州は元来からして港町である。陸の街としても広州は、いくら何でも北京からは遠すぎる。そういう点では、海のない広州は取得してもほとんど意味がない。
「…ただ、攻め取ったら話が変わるということにならないか不安だな。証書などは寄越してくれるのか?」
「もちろんです。あと…」
そうでなくても小声だったのが、更に小さくなる。
「できれば、国姓爺に
「何!? 監国?」
施琅が思わず声をあげたのを、高永貴が「お静かに」と指を立てる。
「う、うむ、すまぬ…」
自分の陣地の中であるにも関わらず、施琅は頭を下げた。
監国というのは、文字通り国を監理する立場の者である。臨時の皇帝のような立場である。
名分で言うならば理解できない。皇帝として既に永暦帝がいるのである。天に二日はない。皇帝がいるのに監国などを立てようものなら、反逆罪として斬首されても文句が言えない。
しかし、施琅は名分にこだわる男ではない。実利にこだわる海商出身である。
(考えてみれば…)
李定国もここ数か月の活躍で明朝の忠臣として名前をあげているが、元々はというと張献忠という反明活動を行っていた者の下にいた男である。忠烈無比というような忠誠心を持ち合わせているわけではない。
(保険が欲しいのだ)
李定国が活躍しすぎたことにより、永暦帝周辺との間に隙間風が吹いているということは施琅も理解している。このまま反感を抑えきれない場合、粛清ということもありうる。
とはいえ、さすがに独立するというわけにもいかない。
その場合に、均衡をとるための存在として鄭成功が浮上してくる。鄭成功の側が、永暦帝に従うのではなく、永暦帝に対抗するような存在を掲げてくれれば、いざとなればそちらに鞍替えをするという圧力を永暦帝の側にかけることができる。
(これでは数年前と同じことになるのではないだろうか…)
実は永暦帝が即位する前も、明側は隆武帝のほかに監国が立っていた。それは明らかに失策だったとも言えただろう。お互いに足を引っ張り合っていたからである。
しかし、今は鄭成功と李定国という二大勢力が台頭している。この二大勢力が不安なく戦える状況が、明にとっては望ましい。この場合の明は皇帝である永暦帝ではなく、明側の勢力全体を意味することになるが。
「約束はできないが、善処してみよう」
施琅は李定国の方針を受け入れることにした。李定国にとって広州の土地は必要なのである。いざという時、逃げこむ土地が。
しかし、海は鄭成功のものでなければならない。そうでなければ、いざという時、逃げられないのだから。だから李定国がこの約束を破るはずがない。
李定国の立場を理解し、施琅は広州攻撃の件を了承した。
(そういえば…)
高永貴が帰った後、施琅は思い出す。
正雪が「永暦帝の件については大変だ」という言葉に対して「全く手がないわけではない」と答えたことを。
(まさかと思うが、由井殿も…)
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